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福重の名所旧跡や地形

赤似田堤の水神(野田町)

赤似田堤の水神(あかにたつつみのすいじん) 場所:長崎県大村市 野田町
 赤似田堤の水神は、大村市野田町、赤似田堤の北北東側にあります。地元では、「赤似田の水神様」(大村弁で「あかんたのすいじんさま」)と言われています。赤似田堤は、福重地区で最大の溜池(ためいけ)で市内でも大きい方と思われます。

  農家にとって堤=溜池は、単に田畑にここから農業用水を引くだけでなく、収穫=収入に大きく影響を与えるものです。この赤似田堤の水神は、その堤の守り神様の意味があると思われます。建立年は、1899(明治32)年3月です。建立者は、ほぼ全て当時の野田郷(町)の水利権者と推測されます。

 なお、この水神の石工は、峯阿乗の碑などを彫られた吉江幸太郎さんです。水神にも様々な形式がありますが、赤似田堤の水神は普通に見られる形です。

赤似田堤の北北東側(写真中央奥側)赤似田堤の水神がある<写真左の山は笠山(272m)、右の山は花尾の辻(270m)>

水神のある赤似田堤の概要紹介
 この水神のある赤似田堤のある場所は、大村市野田町で標高125mの所にあります。堤面の形は、大雑把に言えば長四角の形状です。水深の深い所は、中央部で数10mはあろうかと推測されます。なお、ご参考までに、この堤の直ぐ南側(下方)には、赤似田小堤(あかにたこづつみ)もあります。

  赤似田堤は、江戸時代の寛文年間(1661年〜1670年頃)に、野岳湖などをつくった深沢義太夫(ふかざわ ぎだいゆう)の二代目(弟の)深沢勝幸(ふかざわ かつゆき)にて築堤されたと伝えられています。そして、1940(昭和15)年頃に堤防が、1.5m程かさ上げ工事され、貯水量が増大しました。

 その結果、市内で数多い堤(溜池)の中で野岳湖、池田湖、葛城堤、城田堤などとともに大きさだけならば赤似田堤は、10位以内に入るほどです。(福重地区では最大の大きさです)

 この堤には、春夏秋冬、白鷺や鴨などを始め、様々な野鳥も見られます。(右写真でもお分かりの通り)堤の南側から北方向を見ますと、左側に笠山(272m)、右側は花尾の辻(270m)があり、この両山が堤面に逆さに写ってもいます。春は、桜も咲きます。このように赤似田堤周辺は、景色の良い所です。

 赤似田堤の水神は、堤の北北東側(右写真の中央奥側)にあります。堤の中にあり(ただし、最下部にある土台の石垣含めて水面より上で乾いた地面上)ではあるのですが、旧市道脇みたいな位置にあるので直ぐに分かる場所です。

赤似田堤の水神(大村市野田町、赤似田堤の北北東側にある。本体部の高さは55cm、横幅22cm。拓本作業中)

赤似田堤の水神下部の正面碑文
(拓本作業中))

赤似田堤の水神の大きさと碑文(概要紹介) 
 まず、右側の(上から2番目)写真をご覧願います。上部が水神本体で、その下側に土台、自然石や石垣があります。その大きさは、下表の通りです。

赤似田堤の水神の大きさ
 水神本体  高さ:55cm  横幅:22cm  胴回り:79cm -
 土台  高さ:25cm  横幅:34cm  奥行き:30cm  周囲:126cm
 土台石  高さ:45cm  横幅:100m  奥行き:80cm  周囲:283cm
 土台の石垣  高さ:150cm  横幅:160cm  奥行き:160cm  周囲:640cm

 この水神は、赤似田堤の中にあります。ただし、ほぼ満水状態でも最下部にある土台の石垣含めて水面より上側に位置しています。そのようなことから、先の石垣や土台石などを含めたら、全体の高さが275cmもありますが、本体だけなら上表の通り55cmですから、市内に沢山ある石仏(例えば『大村の馬頭観音』など)と大体同じくらいの大きさと思えます。

 あと、写真でも分かる通り、水神の姿形は、普通一般にみられる形状です。顔を中心にレリーフ部分が盛り上がっていて、小さいながら整った形といえるでしょう。

水神の碑文について
 この水神の碑文について、通常は目視だけでは長年の風雪による摩耗・損傷により見えない状態でした。しかし、2012年11月7日に拓本作業をしてみると、本体下部に下記の「」内の碑文と、あとは省略して書いていませんが、石工名と寄付者名が14名彫られています。念のため、損傷による1名以外は、全て氏名は判明しています。

「明治三十二年  水神社 己亥年三月之建」
 <現代語訳:(赤似田堤の)水神(水神社)、明治32己亥(つちのとい、きがい)年(1899年)3月に之(これ)を建てた。>

 また、石工は二人の名前の中間上部にかかったように彫ってありますが、一人は石工が本職の吉江光太郎さんで、もう一人は農家の方(たぶんに水神本体ではなく土台石や石垣を築かれたと推測される)です。

 先の吉江さんは、峯阿乗の碑(=自然石に素晴らしい碑文を彫っておられる)など、市内の近代建立記念碑では、凄腕の職人で、しかも自分の在住していた野田郷(町)にある赤似田堤の水神建立のために尽力されたことが、碑文の内容や流れからも分かるものです。

 建立寄付者名の件ですが、上野調べで損傷による1名の不明分は別としても、他の全員が当時の野田郷に住んでいた人(=水利権者、農家)でした。碑文にある氏名の家系は、数名を除き、そのご子孫も現在、野田町在住者です。

 あと、私は、この水神の建立年=1899(明治32)年についても、考えてみました。最初の築堤(江戸時代の寛文年間=1661年〜1670年頃)も、約1.5mかさ上げ工事(昭和15年=1940年頃)とも、関係ありません。ならば何か、この1899年に関係あるのか、私なりに調べてみましたが、この年と水神を結びつける事柄はなかったようです。

(掲載日:2013年1月27日、第二次掲載日:1月28日、第三次掲載日:1月31日、第四次掲載日:1月311日)



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