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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

青年学校生徒(1)


青年学校生徒(1)

<補足説明>
(1)写真左側には、青年學校生徒の文字があります。(次に掲載する写真も同種類なので、分けるため便宜上、表題は「青年学校生徒(1)」)としています。青年学校は、国語辞典の大辞泉に下記の通り書いてあります。

青年学校:
昭和10年(1935)、実業補習学校・青年訓練所を統合し全国市町村に設置された学校。小学校卒業の勤労青年に職業教育・普通教育・軍事教育を行った。同14年、満12歳から19歳未満の男子は義務制となり、軍事教育が中心となる。同22年廃止。

 この青年学校は、様々な設立状況や形態があるので一口で説明は難しいですが、現在の各種学校みたいなものだと思われます。

(2)撮影場所は、福重小学校の本館正面玄関近くです。41名の生徒さんが写っておられるようです。毎回の玄関正面前写真と違うのは、列の左側に木がありますので、この影を避けておられるのと、人数も多いので上記写真位置になったと推測されます。

(3)服装は、国民服(注1)に似た制帽・制服姿です。先に掲載中の福重小学生の「軍人家族児童(男子)」や「軍人家族児童(女子)」写真にある和服あり、学生服あり、セイラー服姿ありに比べても差が歴然としています。

(注1):国民服とは、国民が常用すべきものとして昭和15年(1940)に制定され、第二次大戦中、広く男子が着用した軍服に似た衣服。(国語辞典の大辞泉より)

(4)小学校の平均身長について、先の「軍人家族児童(男子)」ページに書いている通り、1941年頃は、かなり低かったと思われます。ただし、伸びが著しい上記の年代では、見た目では大きくなられた感じに見えてきます。ただし、顔つきは幼い感じに見える生徒さんも、まだまだいらっしゃるようです。

 (初回掲載日:2013年10月2日、第2次掲載日:2013年10月8日)

 

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