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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

沖田郷の国防婦人会


沖田郷の国防婦人会

<補足説明>
(1)写真左側には、國防婦人會員沖田郷の文字があります。この沖田郷(町)の国防婦人会は、下記国語辞典にある大日本国防婦人会の一つの支部ということです。

<国防婦人会=昭和7年(1932)大阪で結成された婦人団体。出征兵士の送迎など、戦争協力団体として活動。同17年愛国婦人会と合併して大日本婦人会となった。正式名称は大日本国防婦人会。>


(2)撮影場所は、先に紹介中の「沖田郷の軍人家族」ページと全く同じ場所・角度です.。沖田郷(町)に違いありませんが、まだ(2013年11月現在)、調査中で特定できませんでした。(分かり次第、追加したいと思っています)

(3)写真には、合計36名の方が写っておられます。婦人会ですから当然、女性ばかりです。ただ、前列右端側で1名だけ左足と左手しか写っていませんが、男性らしき人が見えています。この方の役割は、白い幟(のぼり)を左手で持つ役目だったと思われます。

 あと、この婦人会の年齢層は若い方から年配まで幅広いようです。赤ちゃんを背負った方も、2名おられます。

(4)前列右端側にある白い幟(のぼり)をには、文字があり上から順に横書きで大日本、縦書きで國防婦人會福重村分會 沖田支部と刷り込まれてあります。また、ほぼ全員の方が、肩から掛けておられるタスキには、大日本國防婦人會の文字が見えています。あと、最後列の後方にある白い旗は、たびたび紹介中の食糧増産奨励のものです。

(5)この写真に写っておられる人数は、上記の(3)通り合計36名です。私は、この数字に意味もあろうかと思っています。それは、当時の沖田郷(町)の世帯数に近いと推測しています。たぶんに、実際の世帯数は、もう少し多いのでしょうが、当時の沖田郷(町)は、40戸前後だったと推測されます。

 (初回掲載日:2013年11月4日、第2次掲載日:2013年11月6日)


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