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大村の歴史
 大村の馬頭観音 

 はじめに

はじめに
 大村の馬頭観音について、2014年4月現在で調査終了と、情報のみも含めれば約40体を確認しています。ただし、大村市内には、まだ数十体があるようで合計では、60体を超えるのではないかと推測しています。

 そのほとんどが江戸時代頃より近代に沢山(市内全部で40体以上と推測される)建立されました。私が調べたところ馬頭観音には、様々な説があります。その代表例として、国語辞典の大辞泉によると、次の<>内の通り書いてあります。<馬頭観音=六観音・七観音の一。宝冠に馬頭をいただき、忿怒(ふんぬ)の相をした観音菩薩(ぼさつ)。魔を馬のような勢いで打ち伏せ、慈悲の最も強いことを表すという。江戸時代には馬の供養と結び付いて信仰されるようになった>

  この馬頭観音について、大村市内の存在について何かに書いていないか調べたところ、大村の郷土史愛好家なら誰でもが知っているような郷土史関係書籍類(例えば大村史談、大村史話、大村市の文化財、大村の歴史、その他多数)に、馬頭観音についての記述はないようです。当然のことながら今まで、計測、写真撮影、拓本作業などの調査もされていなかったようです。まずは、その理由含めて書いていきたいと思っています。結論から先に言えば、主に下記5点にまとめられると思っています。

・庶民が建立、信仰、守護してきた馬頭観音(今まで書籍化されなかった主な理由)
(1)大村の馬頭観音は庶民(農民)が建立し、信仰し、守護してきたので、それ以外の人には関心が薄かった。
(2)大村だけでなく全国でも歴史記述は常に為政者中心主義(権力者、首領、豪族、役人など)で、庶民や民衆に立ったものではなかった。
(3)江戸時代以前の古い石仏に比べ、大村の馬頭観音は近世からの建立のため、価値観がないようにも思われていた。
(4)市周辺部に数多く(約70%)点在しているため調査しにくかった。
(5)郷土史愛好家でも、これまで全体に石仏関係に関心が薄かったのか、特に馬頭観音を調べる人がいなかった。

 ただし、上記(3)(4)(5)について補足すると、平安時代末期の建立も数体あると言われている福重の石仏でさえも数名の論文を除き書籍類には、多くは掲載されていないので「古い石仏だから」、「新しい石仏だから」みたいな時代分け関係なしに、これまで大村の馬頭観音は、調査や研究対象になっていなかったと推測されます。

・なぜ馬頭観音を調べたのか
 馬頭観音の本来の意味は、上記辞典の通り、馬の供養や守り神様みたいなことばかりではありません。しかし、近世の頃より、大村でも産業の発展と同時進行のように馬が、農業、林業、運輸業などで大活躍しました。そのため、江戸時代中期頃から徐々に馬頭観音が建立され始め、明治、大正、昭和(主に戦前)時代に多数作られました。

 しかし、戦後しばらくして農耕馬は耕運機やトラクターへ、運輸用の馬はトラックに替わりました。結果、大村の農業地帯でも馬が見られなくなり、さらには現在、段々と地域で祀っておられる馬頭観音さえも伝承出来る方が減ってきている状況です。また、馬頭観音があること自体を地域で知らない人もいます。さらに、存在は知っていたとしても若い方の中には、「もう馬もいなくなって60年位経つけんが、 祀らんちゃ良かたいね」と言われたそうです。そのような経過や状況から、私が馬頭観音を調べ始めたのは、主に下記の意義と重要性があると思ったからです。

<調査の意義と重要性>
(1)各地域ごとの馬頭観音の建立年月日、建立者、建立目的、大きさや特徴点などを調査することにより記録化したい。

(2地域で馬頭観音を伝承できる方が少なくなっている状況下、上記(1)の事柄だけでなく、早目に昔の祀られ方や伝承話しなどを書き留めたいと考えた。(このまま放置しておけば、誰も分からなくなってしまうのではないかと予測した)

(3)馬頭観音を祀るか、まつらないかまでは各地域の事情と自由ですから、私は何も言いませんが、せめて今回の調査資料作成により馬頭観音の本来の意味を知って頂ける一助になればと思った。

(4)長崎県内には、”独特のキリシタン史観”があって、その関係は微に入り細に入り県内の教育、マスコミ、出版関係が出され広めておられる。しかし、それ以外の宗教などは極端に少ない状況であり、(宗教史なども含め)郷土史は可能な限り広範囲に記録したいとも思った。

(5)どんな粗末な調査資料でも1回データベース化 しておくと、名称・所在地・建立年・大きさなどは最低限これからも活用できると思うので、いずれ後世の頭の良い方が間違い事項は訂正され、もっと良い論文を作成されるのではと考えた。

などです。上記には色々と欲張ったことも書きました。とにかく、各地域の方から、「あん人は生き字引のごと、よー知っとらす」、「この付近の物知りバイ」と評される方がいらっしゃる内に、できるだけ馬頭観音をデータベース化したいと言うのが、一番の本音です。残念ながら、いくつかの地域では伝承などは既に不明になっている所もありましたが、上記(1)の事項だけでも今後書き留めたいと思っています。

各ページ構成について

 大村市内8地区別の馬頭観音一覧表は、調査未着手を除き、もくじページに名称や場所だけですが、既に掲載中です。あと、各個別の馬頭観音紹介ページでは、主に下記1,〜9,の項目を出来るだけ掲載したいと考えています。また、馬頭観音一体に付き1ページを作成しようとの計画です。ただし、大村郷村記の内容や地域での伝承が多い、あるいは特徴点の豊富な馬頭観音は当然記述が多くなる可能性がありますので、あらかじめご了承願います。
<ページ掲載予定項目>
1,名称(主に地域名が入ったもの。あるいは地域での通称とする)
2,写真
3,所在地(現在地や元あった場所など)

4,大きさ(高さ、横幅、胴囲など)
5,建立年(主に碑文に彫られた年月日など)
6,建立者(同上、建立者、寄進者、建立地域名など)

7,建立目的(同上、願い事など)
8,地域で祀られている現状や伝承など
9,個別の特徴点(姿、形、碑文内容などからの感想)

  以上、既に私の手元で作成している調査報告書から、できるだけ載せようと思ってはいます。しかし、色々な都合により、そのようにならない可能性もあります。あと、サーバのメモリー不足の関係上、コンスタントに掲載できないことも、あらかじめご了承願います。なお、大村の馬頭観音で何か情報をお持ちの方は、フォームメールページから、お願いたします。

関係ページ:仏の里 福重(目次ページ)  、 CG石仏写真(目次ページ) 

・初回掲載日:2012年3月24日、第2次掲載:2012年3月29日、、第3次掲載:2012年3月31日

参考文献、書籍一覧表 城関係用語集

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