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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など

鈴田小学校の二宮金次郎像

 概要紹介
掲載中
 1)像の大きさ、緯度経度など
掲載中
 2)像について
掲載中
 3)碑文内容について
準備中
 4)補足
準備中
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
掲載中

(写真1) 鈴田小学校の二宮金次郎像(大村市大里町、本館校舎近くの南側)

概要紹介
名称:鈴田小学校の二宮金次郎像<すずたしょうがっこう の にのみや きんじろう ぞう>
所在地:長崎県大村市大里町1546番地1、大村市立鈴田小学校 (本館校舎近くの南側)
大きさや碑文など:下記の1)、2)、3)項目などを参照

 始めに、この「大村の記念碑、石碑や碑文」(目次)シリーズは、大村市内に点在している記念碑や石碑を紹介しているものです。戦前、二宮金次郎(二宮尊徳)像は、全国どこの学校にもありました。

 しかし、戦後になり二宮金次郎(二宮尊徳)の功績は、賛否両論含めて様々な意見があり、評価も分かれています。今回のデータは、その論について述べるページではなく、あくまでも鈴田小学校にある一つの記念碑としての紹介データです。

 この像についての概要を述べますと、建立年月日昭和29(1954)年2月5日で、寄贈者(建立者)は渡辺薫氏です。本体は石造の立像で、小ぶりの姿形ながら、顔の表情は幼くて、優しいです。また、石像なので、全体ガッシリした造りでもあります。

 また、像下側の土台に大きな文字で勤勉(きんべん、この場合の意味は「勉強に一心に励むこと」)と彫られているのも特徴でしょう。あと、この像がある場所は、築山(つきやま、庭園風に土などを盛った場所のこと)みたいになっていて、他にも記念碑、記念像が3基ほどあります。

 先にも書いていますが、戦前どの学校にもあり、当然、大村市内の小学校などにも沢山、二宮金次郎像はありましたが、戦後になり、その多くが壊されたか、なくなりました。現在、上野が見学した大村市内の範囲内では、今回の鈴田小学校、福重小学校、松原小学校など数校にあるだけのようです。(ご参考までに、福重小学校の二宮金次郎像(陶像)紹介ページ)

 そのようなことから、二宮金次郎(二宮尊徳)の人物や功績評価は別としても、像そのものの存在が大村市内に少ない関係上、貴重とも言えます。

1)像の大きさ、緯度経度など
 このページ1番目と2番目左右の写真を参照願います。写真に写っているのが、鈴田小学校にある二宮金次郎像、土台石や石垣です。それらの大きさと緯度経度は、下表二つを参照願います。
念のため、高さがあるので巻尺計測時、手が届かず結果、数値未記入欄は、ご容赦願います。

 全体高の半分以上もある高い石垣も特徴です。あと、下記右側写真でも、お分かりの通り、二宮金次郎像がある築山(つきやま)には、合計4基の(記念像2基と記念碑2基)があります。

鈴田小学校の二宮金次郎像の大きさ

 全体  高さ:303cm  -  -  -
 本体  高さ:90cm  横幅:35cm  奥行:  周囲:
 土台1(勤勉の碑文)  高さ:33cm  横幅:50cm  奥行き:46cm  周囲:192cm
 土台2(建立の碑文)  高さ:20cm  横幅:76cm  奥行き:71cm  周囲:294cm
 石垣  高さ:160cm  横幅:137cm  奥行き:135cm  周囲:544cm

鈴田小学校の二宮金次郎像の緯度経度
(GPS実測値)
 名称:二宮金次郎像  場所:大里町1546番地1 鈴田小学校(本館校舎近くの南側)
 GPS実測値:32度53分25.31秒 129度59分34.35秒  (国土地理院)地図検索用 
 グーグルアース用数値:32°53'25.31"N,129°59'34.35"E  標高:GPS高度計は12m、気圧高度計は11m、地図上の標高は12m


(写真2) 二宮金次郎像(土台の高い石垣も特徴)
(写真3) 左側が二宮金次郎像(築山に合計4基の記念像と記念碑あり)
(写真4) 鈴田小学校の二宮金次郎像(2013年10月20日、南側から撮影)

2)像について
 
まず、学校入口側(南側)から撮った右側写真を参照願います。像本体の高さ約90cmからして、そう大きくはありません。さらに、土台石や石垣が高いため(上記の左右写真参照)、つまり2メートル以上もある台座(石垣含む)に本体が乗っているため、運動場(地面)から見上げると、さらに小ぶりのような印象さえあります。(注:上野の手が届かない位置に頭部があるので、巻尺計測上やや正確な数値に難があることは、ご容赦願いたい)

 次に、像の姿形や顔の表情などについて書きます。金次郎像の形は、負薪読書(ふしんどくしょ=背中に薪を背負い、手に本を広げて読んでいる。朝日日本歴史人物事典などを参照)姿を現していていると、言われています。ただし、全国どこにでもある負薪読書姿は、二宮金次郎(二宮尊徳)自体の史実にあったのか、どうか、今では疑問があるようです。

 ご参考までに、この二宮金次郎の負薪読書姿は、一般には「背中に薪、たきぎを背負って仕事、歩きながらもも手にには本を広げ、片時も惜しんで一心に勉学に励んだ」ことを表現していると言われています。

 顔の表情ですが、児童(少年)をイメージして造られたのか、幼くて、優しい雰囲気に仕上がっています。石像は、その造りそのものに難しさがあると思われます。しかし、この像の顔、頭部(毛髪)、背負い子(しょいこ)、薪(まき)、腕、手、本、足さらに衣類に至るまで、表現力が発揮されています。

 あと、良く見ますと足の底部を盛ったり、また足もと衣類の間には、像が強固に保つように支えみたいな台やモルタルも施工されています。このため、長年経っても頑丈に立っているのでしょう。

 先に掲載中の陶器製の福重小学校の二宮金次郎像に比べれば、スマートと言うよりは、石造りゆえに、この像本体は、全体がガッシリとした造りといえます。

3)碑文内容について
 このページ掲載の(写真1、2)をご覧になれば、お分かりの通り、二宮金次郎像本体下部の土台石(上から1番目、2番目)に碑文があります。その土台石1と2の大きさなどは、先の項目の「1)像の大きさ、緯度経度など」に書いていますので、参照願います。

(写真5) 土台石1、2の碑文CG写真

(注:横書きの活字版)

勤 勉

八十周年記念
寄贈
渡辺薫氏
昭和廿年二月五日

 この項目では、その碑文について、左表にCG写真含めてまとめてみました。ご参考までに、建立年月日が、昭和29(1954)年2月5日ですから、記念像や記念碑としては新しい方です。そのため、碑文が雨や風雪による欠損や傷みが少ないため、実物でも充分視認できます。

 今回、(写真5)のように碑文をCG加工して掲載し、その下側にホームページ用に横書きに直して活字化もしています。
分かりやすい文字ばかりなので、あえて口語訳などは不必要でしょうが、補足や西暦換算などもありますので、下記<>内の青文字で書いています。

  < 勤勉  (鈴田小学校創立)80周年を記念して、渡辺薫氏が寄贈(建立)された。 (建立年月日は)昭和20年(1945)2月5日である。 

・碑文の評価:
 この碑文は目視でも、あるいはデジタル写真からCG加工する場合でも彫りが深くて鋭いのが、良く分かります。つまり、碑文の出来栄えが、素晴らしいです。この建立年の昭和20年(1945)は、まだ、機械彫りはなく、全て石工さんの手彫りだったと思われます。

 特に、上段「勤勉」の大きい文字の彫りの深さは、目測で1cm前後あります。さらに、触れば今でも手が切れるのではと思う位、文字の一辺が鋭いです。しかも、一部において、二段彫りみたいに見える文字もあります。

 あと、この碑文には揮毫(きごう)された方(この場合、碑文の書を毛筆された方)の文字も達筆(たっぴつ)で、力強く見やすい文字です。

4)補足
 

 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:福重小学校の二宮金次郎像(陶像) 

(初回掲載日:2017年11月11日、第2次掲載日:11月12日、第3次掲載日:11月15日、第4次掲載日:11月23日、第5次掲載日:11月 日)

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