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祝・第100回福重地区地区敬老会・記念ページ
 2018年10月14日開催、第100回福重地区敬老会(福重小学校にて)郷土芸能の披露中:立福寺の龍踊り
福重青年団史(表紙、1988年10月1日発行)

祝・第100回福重地区敬老会
 
はじめに
 福重地区敬老会は、旧・福重村時代を含めれば今年2018年で100回目を迎えた長い歴史と伝統を持つ行事です。後の項目に、分かっている範囲内で書いていますが、初回の敬老会は、大正8(1919)年で主催は当時の福重村青年団でした。昭和63(1988)年10月1日に福重青年団史が発行されていますが、この中に敬老会の歴史なども紹介されています。(右側写真は福重青年団史の表紙。この冊子の紹介ページは、ここからご覧下さい)

 この敬老会開催の趣旨は、1919(大正8)年に当時の内務・文部両大臣から福重青年団が長崎県下ただ一つ優良青年団として表彰を受けたのがきっかけとなりました。これを機会に「この美しい福重村を築いて来られた先輩方に感謝の念を表すとともに日頃のご労苦を慰安しよう」と敬老会が始められました。(福重青年団史より)

 今回、福重地区住民の方から、昭和時代後半の敬老会写真を中心に提供があったことと併せ、先の青年団史を引用参照して、この特集ページを企画しました。ただし、現在のところ戦前の写真や記録類は1枚もなく、さらに戦後の資料類も少ない状況です。

 そのような写真や資料類の少なさから、100回も開催されている福重地区敬老会を正確かつ詳細に紹介し表現することは、最初から不可能なのかもしれません。ただし、今後なんらかの資料類や情報提供もあるかもしれないと思い、ホームページ掲載を思い立ちました。

 何か福重地区敬老会に関係している写真や記録類をお持ちの方は、ここのメールページから情報をお願いします。なお、本ページは、今後も追加や改訂などの更新はおこなっていく予定です。

福重地区敬老会の概略史

1974(昭和49)年の福重地区敬老会の運動会(上記は短距離走と思われる)
 
 (推定ながら昭和30年代頃か?)矢上郷(現・福重町)の踊り披露中
 
1954(昭和29)年10月17日、野田の新地節(敬老会出演記念写真) 
 1988(昭和63)年9月、重井田浮立(後方は東校舎と階段) 

(1)敬老会を始めたきっかけは
 1919(大正8)年に当時の内務・文部両大臣から福重青年団が長崎県下ただ一つ優良青年団として表彰を受けたのがきっかけとなりました。これを機会に「この美しい福重村を築いて来られた先輩方に感謝の念を表すとともに日頃のご労苦を慰安しよう」と敬老会が始められました。

 ここからは上野調べと推測ながら、全国には戦後間もない頃より始められた敬老の日に関する取り組みはあるようです。しかし、福重の敬老会(敬老の日の行事も含む)のように、大正8(1919)年から始められたのは珍しく、たぶんに日本一古い歴史と伝統のある敬老会と思われます。

(2)開催場所の変遷
 当時の開催場所は、記録がないため正確には不明ながら旧・皆同郷(町)「城の前」にあった福重小学校の運動場と思われます。その福重小学校は、昭和20(1945)年4月、現在地の旧・矢上郷(福重町)に移転していますので、以降は同場所でした。その後、昭和48(1973)年に同校の体育館が落成していますので、雨天の日などは開催場所として利用されました。

 そして、長年、先の通り福重小学校で開催されてきましたが、主催者の青年団の団員数減少や様々な要因から、例えば嬉野温泉センターや旅館などを経て、現在は、大村夢ファーム・シュシュの「ぶどう畑レストラン」で開催されています。ただし、今度の第100回記念の敬老会の場所は、福重小学校の体育館で開催されます。

(3)主催者の変遷
 大正8(1919)年の当初から戦後しばらくまで福重村(地区)青年団の単独開催でした。しかし、青年団の団員数減少が続き、正確には不明ながら昭和30年代に、青年団、消防団、婦人会の3団体共催(主催)となりました。そして、この3団体共催が続いて、さらに(正確には不明ながら)2000年(平成12)以前頃に、福重地区町内会も主催となり4団体共催となりました。

 その後、事実上、青年団が無くなり、その後は残り3団体(町内会・消防団・婦人会)となりました。2005年頃より婦人会も共催から外れ、その後は2018年現在に至るまで福重地区町内会長会と消防団の共催が継続しています。当然、第100回の敬老会の主催も先と同様です。

(4)内容の変遷
 当初の大正時代とか、戦前に開催されていた敬老会の内容は、今では伝承も少なく把握できていません。しかし、戦後しばらく青年団が開催していた当時の内容<朝の時間帯は運動会、昼食後、昼からは余興(郷土芸能や踊りなど)>と、「戦前も基本的には変わらなかった」と言っておられる人もいました。

 そして、運動場での開催ができなくなってから、例えば嬉野温泉センターやシュシュ・レストランでの開催(現在と同じ)内容は、次のリンク先ページ「2011年、第93回福重地区敬老会(概要報告)ページ」や、「2017年、第99回福重地区敬老会(概要報告)ページ」をご覧頂くとお分かりの通り、この約10年間は大きくは変わっていません。

 現在の通常開催時のプログラムは、主に次の通りです。
(注:各年度で若干の違いはあり)
 開会式  1)開式のことば  2)実行委員長あいさつ 3)来賓あいさつ 4)敬老者記念品贈呈式 5)閉式のことば  祝舞

 懇親会(余興) <年度によって違いあるが、郷土芸能、各踊り、カラオケ大会など>

 閉会式  1)開式のことば  2)副委員長あいさつ  3)敬老者代表者謝辞  4)万歳三唱  5)閉式のことば

(5)敬老会の感想や印象などについて
 ここからは、福重地区敬老会について、私の個人的な感想や印象を書いていきますので、あらかじめご了承願います。

・敬老会へ行くのが楽しみだった
 私は、1952(昭和27)年生まれです。福重小学校の児童や郡中学校の生徒の頃は、毎年この(青年団主催の)敬老会を楽しみに参加していました。たぶん、私だけでなく、私と同じような年代や諸先輩の方々で、この当時の敬老会に参加された方ならば、たぶん誰でも同じ気持ちではなかったのではないしょうか。また、良く覚えておられることでしょう。

 寿古町の増元氏が保存されていた1983年9月11日(昭和58)開催の第69回敬老会はじめ、その後も含めて4回ほどの敬老会プログラムが残っていました。それを複写して、それ以前の状況が少し甦りました。それらのプログラムでは、確かに朝は運動会、昼からは余興となっています。

 2016年9月19日、第98回福重地区敬老会(記念写真) 
2016年9月19日、第98回福重地区敬老会(踊り披露中) 
2017年9月18日、第99回福重地区敬老会・乾杯

 なお、ご参考までに、この運動会の距離競争の一部は、戦後しばらくしてからの大村市青年団陸上大会の予選も兼ねていたと思っています。それだけ、福重でも市内全体でも青年団員数が多く、盛んだったということでもありました。

・町別対抗リレーは物凄い大声援だった
 特に、運動会の最後半におこなわれた福重地区10町内対抗リレー競争は、各町内の小学生・中学生・青年団の各層の男女から選出された人(事実上、その町の各層で一番足の速い人達)が出場するため、各郷(各町)をあげて物凄い声援が送られました。運動場にいる全員が、あまりの大声と拍手のため、それ以外の話し声が聞こえないほどでした。リレー終了後でも興奮冷めやらずで、独特の余韻が残っていたのも覚えています。

 また、記憶曖昧ながら、学校の正門入口前の道路(坂道)には、飲食やおもちゃの出店(露天商)もあったと思います。それも子どもの頃は、楽しみで、両親とも大抵なにか買ってもくれました。このように、当時の福重地区敬老会は、年に1回の旧・福重村や現・福重地区の青年団あるいは全町内あげての運動会(秋祭り)の雰囲気だったと記憶しています。

・各町内全員が皆家族みたいな雰囲気だった
 また、運動会が終わり、昼食となり各郷(町)内ごとテントの下や周辺で、家族ともどもの昼食も雰囲気含めて本当に楽しく、和気あいあいでした。分かりやすくいいますと、一家族別というより郷(町)内全員が皆家族みたいでした。運動会で頑張ったことを褒められたり、あるいは次に出る踊りのことなど、何でも話しながらの昼食でした。

・福重に郷土芸能が多い理由は敬老会出演だったのではないか
 そして、午後からは、町別に年度担当は持ち回りだったと記憶していますが、余興(郷土芸能や各踊りなど)がありました。その披露のため、早い町内では何か月も前から各公民館で練習をしていました。その踊りも、「
(入場と退場の時の)道行き踊り」と、「本踊り(本番踊り)」と、最低二つは覚える必要がありました。

 そのような練習の成果もあり、出演時には、家族や各町単位で温かい拍手がおくられていました。あと、福重には郷土芸能(詳細は「福重の伝統芸能」ページ参照」)が、8つ(現在、踊られているのは主に4つの踊り)も存在したのは、この敬老会が、”郷土芸能の発表の場”となっていたのと、順番的に数年ごとに伝統芸能や各踊り披露が、必ず各町内に回ってきていたので長続きしてきたと思われます。

・地域の絆
(きずな)は今後も何かに活かされるのでは
 現代は、地域の繋がりが希薄とか、地域コミュティー崩壊などと呼ばれて久しいです。しかし、この種の行事が福重地区(旧・福重村)で100年も続いた要因は、地域の絆
(きずな)、つながりがあったからと、私は思っています。

 このような地域でのコミュティーは、何も災害とか緊急時対応だけでなく、子どもたちを地域全体で見守る、あるいは様々な助け合いなどにも活かされていくのではないかとも考えています。


2018年10月14日開催、第100回福重地区敬老会

 2018年10月14日開催、第100回福重地区敬老会 食事会・乾杯 乾杯のご発声(手前左側):朝長・大村市議会議員

 1919(大正8)年から続く、第100回記念 福重地区敬老会は、下記の場所、内容で開催されました。先のリンクページに、その概要報告は、既に掲載中ですが、改めて本ページにも同内容を書き、そして追加や補足をしていきます。まず、事実関係から再録いたします。

日高・実行委員長挨拶

名称:第100回記念 福重地区敬老会
日時:2018年10月14日(日)10:30〜14:10
場所:
大村市立福重小学校・体育館
主催:福重地区敬老会実行委員会
参加:敬老者=122名、来賓=22名、歌謡2名、実行委員会関係=40名、沖田踊=80名、今富浮立=80名、立福寺の龍踊り=60名、妙宣寺保育園=23名、福重小学校=52名で小計=481名。他に地域・見学者など含めて総合計約500名以上
内容
(プログラム)
・敬老者記念撮影
・開会式 1)開式のことば、2)実行委員長あいさつ、3)来賓あいさつ、4)来賓紹介、5)閉式のことば
・郷土芸能披露 1)沖田踊、2)今富浮立、3)立福寺の龍踊り

・食事会 乾杯 余興 1)妙宣寺保育園・万燈行列、2)福重小学校・よさこいソーラン、3)町内会親睦・カラオケ大会前半(1番〜5番)、4)美山歌謡ショー(1部)、5)町内会親睦・カラオケ大会後半(6番〜10番)、6)美山歌謡ショー(2部)、7)カラオケ大会・参加者贈呈


 (この項目の後半原稿は、現在準備中です。 しばらく、お待ちください)


福重地区、敬老会(敬老の日などの行事)の歴史について<概略の経過>
開催状況

主催団体、場所

1919(大正8)  第1回敬老会(以降毎年開催) 青年団主催(開催場所は福重小学校・運動場)
 戦時中  戦争時、一時中断もあり 中断を除き継続開催
 戦後  毎年開催(以降同様) 青年団主催(開催場所は福重小学校・運動場)
1963(昭和38)年  (以下、日時判明分だけ掲載) 青年団、消防団、婦人会の3団体主催(場所:福重小学校・運動場)
1983年9月11日(昭和58)  - 

上記3団体主催、福重小学校・運動場(注:プログラムより)

1987年9月13日(昭和62)  第69回 上記3団体主催、福重小学校・運動場(注:プログラムより)
1988年9月11日(昭和63)  第70回 上記3団体主催、福重小学校・運動場(注:プログラムより)(青年団史発行)
1995年9月10日(平成7)  第77回 上記3団体主催、福重小学校・運動場(注:プログラムより)
2000年(平成12)  第82回 町内会、青年団、消防団、婦人会の4団体主催
2004年9月19日  第86回 町内会、消防団・婦人会の3団体主催。福重小体育館
2005年9月19日  第87回 町内会、消防団など。(注3) 嬉野温泉センター
2006年9月26日  第88回 町内会、消防団など。(注3) 嬉野温泉センター
2007年9月16日  第89回 町内会、消防団など。(注3) 嬉野温泉・和多屋別荘
2008年9月15日  第90回 町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ
2009年9月20日  第91回 町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ
2010年9月20日  第92回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ
2011年9月19日  第93回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概略報告ページ)
2012年9月17日  第94回(台風のため中止) 町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ
2013年9月16日  第95回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概略報告ページ)
2014年9月14日  第96回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概略報告ページ)
2015年9月13日  第97回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概要報告ページ)
2016年9月19日  第98回  町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概要報告ページ)
2017年9月18日  第99回 町内会、消防団など。(注3) 弥勒寺町・シュシュ (概要報告ページ)
2018年10月14日  第100回 町内会、消防団など。(注3) 福重小学校・体育館
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 注1:上野(ホームページ管理人)が調べた範囲内ですが、1919(大正8)年より、戦争による中断や台風などを除いて毎年敬老会開催している地区は、長崎県下ではないようです。また、日本国中でも戦後から開催されている所(50回を数える町あり)は、あるようですが、この大村市福重地区(旧・福重村)のように1919(大正8)年から継続して現在でも開催している所はないようです。この件含めて、何か情報をお持ちの方は、右記メールにお願いします。(掲載日:2004年9月6日)

 注2:上野は、2009年春、上記の表「(注:プログラムより)」に書いてある通り、この当時の運動会・敬老会プログラムを資料として入手しました。この当時の主催は上記の表通り、青年団、消防団、婦人会の3団体主催で、開催場所は福重小学校の運動場です。また、午前に運動会、午後に各町内からの余興(郷土芸能や踊りなど)でした。なお、現存している敬老会プログラムは、福重地区の商工店のコマーシャル入りで戦後間もない頃よりあったようです。しかし、近年分を除けば、残念ながら古いプログラムは資料として残っていないようです。(掲載日:2009年9月23日)

注32004年の第86回福重地区敬老会から主催者団体が変わり、その後も、さらに主催団体も実施場所も変遷がありました。詳細は一部調査中もあり、しばらくの間、上表は概要紹介としてご参考程度にご覧下さい。

・関係ページ
 2011年、第93回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。 
 2013年、第95回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。
 2014年、第96回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。
 2015年、第97回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。
 2016年、第98回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。
 2017年、第99回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。
 2018年、第100回福重地区敬老会概要報告ページは、ここからご覧下さい。

(第一次掲載日:2018年10月13日、第ニ次掲載日:10月14日、第三次掲載日:10月25日、第四次掲載日:10月 日、第五次掲載日:10月 日、第六次掲載日:10月 日)


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