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福重郷土史同好会
2017年の活動報告(9)

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鈴田小学校での郷土史講話(概要報告) 「地域学習」

(右側の)6年生へ、4人の講師(左側)紹介中

日時:2017年10月30日09時20分〜11時00分
場所:鈴田小学校
参加
6年生19名、先生3名、講師4名=合計26名
概要:まず、講師(ゲストティーチャー)全員、校長室に集合しました。そして、他目室へ移動して全体会が開催され、今日の地域学習(鈴田の郷土史)を学ぶ6年生、学校の先生、講師全員が一堂に会しました。ここで、講師の紹介、児童代表からの挨拶、学習の流れなどの説明がありました。

 その後、各々のテーマごとの教室で、各講師から講話がありました。そのテーマ内容で、上野担当の2項目は、下記を参照願います。他の講師の方の受け持ち内容は、「鈴田牢」、「大神宮、長崎街道」、「専念寺、岸高城」の項目でした。

  上野は、下記の項目別に分けて、合計2回の講話(合計1時間くらい)をおこないました。
鈴田の史跡(しせき)2か所について
 1)地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) 地主大明神の詳細は、ここから参照
 2)鬼の石
(おにのいし)

 下記の二つの事項は、各班共通した内容です。(念のため、このページの色分けは、見やすいようにしているだけで、特に意味はありません)

・下級生に教えることは良いことで、すばらしいこと
 皆(みな)さんは、下級生(かきゅうせい)におしえるために、今回(こんかい)しらべているときいた。人へ、おしえることは自分も勉強(べんきょう)しないと、おしえられないし、たいへん良いことで、すばらしいことだとおもう。そして、自分が住んでいる所を少しでも知っているということは、大人になって何かためになるとおもう。ぜひ、がんばってほしい。

鬼の石について講話中(上野)

・史跡(しせき)とは
 今日(きょう)は、鈴田の史跡(しせき)の話で、この言葉(ことば)が、たくさん出てくる。史跡(しせき)の国語辞典(こくごじてん)の解説(かいせつ)は、かえって難しい(むずかしい)ので、下記のことではないかとおもう。
史跡(しせき)=歴史(れきし)のあった、ある場所(ばしょ)のこと。
 1,記録(きろく)に書いてあるところ。
 2,言い伝えがあるところ。
 など

・ しせき(史跡)をしらべる時に、大事(だいじ)なこと
 (1)名前(なまえ)、
 (2)年月日(ねんがっぴ)、
 (3)場所(ばしょ)、
 (4)目的(もくてき)、
 (5)だれが作ったのか

 (6)大きさ、広さ  など
 このようなことは、むずかしいことではない。たとえば自分におきかえてみて、(1)は自分の名前、(2)は自分の誕生日(たんじょうび)の年月日、(3)の場所は自分が現在住んでいる所、(4)の目的は、鈴田小学校で勉強することなどと同じである。

 ただし、全部(ぜんぶ)がぜんぶ、史跡(しせき)の記録(きろく)は、そろってあるわけではない。上記のことが分からないことが多い。だからこそ、しらべるし、そこが、おもしろいのかもしれない。また、このような項目(こうもく)は、下級生(かきゅうせい)から質問(しつもん)も、おおい内容(ないよう)かもしれない。あと、分からないこともおおいので、その点は「分からない」と書いた方が、正しい。

  あと、上記(1)(6)まの中で、特に、(2)の項目をしらべるために、たくさんの人がやっているが、なかなか分からない。鈴田の史跡(しせき)もつくられた年代など分かっている方が少ない。正確(せいかく)に分かっているのは、たぶん一割(いちわり)もないだろう。だから、この項目をしらべていくことが大切(たいせつ)である。

 下記からは、上記の講話の主な内容と、各班から出た質問と、それに対する答えなどである。

地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) 、陰平町
1、地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)  場所(ばしょ):陰平町、鈴田川近く
 いつできたか、分からない。ただし、江戸時代 (えどじだい)の初期(しょき)と言われている。石のほこらのまんなかに、「文政」(ぶんせい)九年」の文字(もじ)がある。西暦(せいれき) 1826年に、このほこらは、たてられた。

 鈴田の名前のきっかけ=田んぼから出てきた鈴のはなし
・地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)近くの田んぼから鈴(すす)が出てきた。それを、きっかけに、それまでの今里村(いまぞとむら)から、鈴田村(すずたむら)にかわった。

・鈴(すず)の意味(いみ)
清水(しみず)わき水---豊か(ゆたか)な水のある水田(すいでん)---コメなどがたくさんとれるところ

<質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:だれが、(すず)を見つけたのか?
 A1:記録(きろくが)がないので正確(せいかく)には分からない。たぶん、昔(むかし)、農家(のうか)の人が、地主大明神近くのたんぼをほっていた時に、みつけたのではないかとおもう。そこから、「が見つかったんぼ」、「鈴田」になったとおもわれる。

 Q2:鳥居(とりい)は、あったのか?
 A2:折れた鳥居の柱(はしら)が、今も2本のこっているので、江戸時代(えどじだい)には、鳥居はあった。

 地主大明神の詳細は、ここから参照

鈴鬼の石(おにのいし)、小川内町
2、鬼の石(おにのいし)  場所(ばしょ):小川内町、畑(はたけ)の脇(わき)
 この鬼の石の場所(ばしょ)は、小川内町の墓(はか)から直線(ちょくせん)で西へ200メートルくらい行った畑の脇(わき)である。石の大きさは、高さ約4.5m、横幅(よこはば)約8mくらいある大きな石である。

 この鬼の石については、「鈴田小学校100周年記念誌」の114ページに書いてある。それによれば、おもに次のとおりである。

 鬼(おに)がフンドシ(したぎ)に石をのせて、鈴田の谷(たに)をわたっていたところ、ポロリとおとしてしまったので、「鬼の石」とよばれてきた。

 みなさんも、鬼の石に先生と行かれた時に、巻尺(まきじゃく)で測って(はかって)みてほしい。そうすれば、良く分かると思う。

<質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:だれが見つけたのか?
 A1:記録(きろくが)がないので正確(せいかく)には分からない。たぶん、何万年前という古くからあるし、さらには大変(たいへん)目立つ所にあるので、大昔から見つかっていたと思う

上野の感想
 鈴田小学校は、かなり以前から鈴田地区の郷土史や行事などにも取り組んでおられます。上野がこれまで、お会いしました先生方からは、異口同音に「児童に郷土の美しい自然や豊かな歴史を学ぶことによって住んでいる地域に関心持ってもらいたい」などと話されています。今回の地域学習も、その一環だと私は思っています。

 今回、私が講話した2項目(地主大明神、鬼の石)は、鈴田の史跡では有名で、児童からも「見たことある」とか、「知っている」などとの返事もあり、話しやすかったです。また、後日、「下級生に紙芝居などで見せる」とのことですから、そのようなことも楽しみでもあります。あと、上野は、今回で2年連続講話していますが、鈴田小学校の児童は、改めて素直で真面目だと実感しました。

 最後に、今回の「地域学習」(郷土史講話)に出席された皆様、お疲れ様でした。

(以上)

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