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大村の歳時記シリーズ 松原くんち(宮日、秋の例祭)
松原本町、松原八幡神社のくんちわらべ太鼓
(2014年11月15日撮影)

松原くんち(まつばら くんち)
 この松原くんちは、おくんち言う大村市内で数々の秋祭りはありますが、その長い歴史(案内ポスターによりますと、一説には「540年前からの祭り」とも言われている)と伝統からして、大村の秋祭りを代表する一つです。

 このことについて、大村史話・続編1<大村史談会、1986(昭和61)年3月25日の発行>の「第16章 大村藩の民俗 その1 大村市歳時記」(河野忠博氏の執筆)にも記述されています。

  ただし、松原くんちの記述だけでなく、前後の関係もありますので、上記の論文332ページから引用して、次の<>内で紹介します。(原文は縦書きですが下記はホームページ上、横書きに直しました)

 < (前略) 十月の中旬から十日間隔ぐらいに村々の氏神社の祭礼があり、その日を宮日(くんち)と呼び御馳走を作った。萱瀬宮日は十月十七日、最後の松原宮日が十一月十五日、近 い親戚は竹松・福重と次々に呼ばれて往来した。

 特に松原宮日は最大の賑いで有名力士の奉納相撲、宿場中に小屋掛け(こやがけ)した様々の出店(でみせ)、どこの家でも酒食の饗応(きようおう)にありつける無礼講(ぶれいこう)、踊り出演など独特な神事風俗を持つ伝統行事だった。 (後略) >

 このように松原くんちは、昔から賑わっていたことが良く分かるものです。また、松原くんち開催日についてですが、先の1986年当時の記述では定まった日のようですが、別の書籍には違う日もあります。また、現在は、11月中旬頃の休日(土曜日、日曜日、祝日)のようです。

松原八幡神社のくんち、小学生相撲大会
(2014年11月16日撮影)
松原八幡神社のくんちの通りと出店
(2013年11月16日撮影)

松原八幡神社のくんち、地元の刃物屋
(2013年11月16日撮影)

 なお、先の論文通り、神事、各種相撲大会、出店などは、ほとんど長年変わらないものの各種踊り、郷土芸能や様々な出し物などは、年によって変化もあります。

主な内容
 松原くんちの開催について、大変長い歴史があります。神事など当然継続されてる内容もあれば、年ごと(各回ごと)に改善あるいは新設されている行事もあります。この項目では、そのほんの一例として2014年11月15日、16日開催内容について、ポスター(プログラム)から参照し、補足しながら紹介します。

 なお、念のため下記項目は、一部省略もあり、プログラム内容全部ではありません。また、数多い出店も松原くんちの特徴ですので、その紹介は、下段に概要のみを書いています。

<松原くんちの行事一例(2014年のくんちポスターより)
  ・八幡神社祭典(神事など) 、 ・浦安の舞 、 ・寄せ太鼓(松原保育園) 、 ・ 女角力甚句道踊 、 ・道踊り(松原婦人会・小学生含む〉 、 ・子供みこし 、 ・野岳じゃ踊り 、 ・相撲(全九州高校選抜) 、 ・赤ちゃん土俵入り 、 ・舞台踊り(地元合同) 、 ・小学生相撲 、 ・ミュージックフェスタin松原 、 ・松原No.1ステージ 、 ・大村室内合唱団ミニコンサートなど。

 上記の行事実施場所について書いていませんが、松原八幡神社の社殿、社殿前、社殿横(西側)の相撲場、八幡神社周辺や市道、旧松屋旅館などです。特に、神社周辺、旧長崎街道を始め市道沿いを道行といって歩きながら、あるいは一か所づつ立ち止まって歌や踊りを披露する伝統も息づいています。

 ここからは、私の推測・想像ですが、この道沿い披露の目的は、その一つが神社へ行けない方々へ見せること、もう一つは親戚・友人・知人・町内の方から寄付を頂くことだろうと思われます。私も実際、市道横で祝儀袋を世話役へ渡しておられ、そしてマイクでその氏名を読み上げておられる場面を何回となく見聞きしました。

<相撲が盛んな地域で相撲関係行事も多い>

 上記のプログラムにも「女角力甚句道踊」、「相撲(全九州高校選抜)」、「赤ちゃん土俵入り」、「小学生相撲」など、相撲関係行事が多いのも松原くんちの特色です。なぜ、これだけ多いのかと言いますと、これも長い歴史・伝統と地域性があるからではないでしょうか。

 この経過は、近代の新しいことではなく、松原は江戸時代から既に相撲が盛んでした。相撲取りの墓(鹿の島海水浴場の東側付近)もありますし、また時代は下りますが松原八幡神社の境内には、関取が持ち上げたという力石までもあります。さらに、松原小学校も相撲が盛んで大村市内の大会では、上位成績者を毎年出しておられます。

 また、松原地区の方々と、話してみると総じて相撲に詳しい方が多いです。このような相撲に熱心な地域性含めて、境内に見学者用の観覧席含めて立派な相撲場もあるので盛り上がるのかもしれません。

<出店が多いのも松原くんちの特徴>
  ここから松原くんちの、もう一つの特徴でもある数多い出店について、触れます。松原は、大昔から鍛冶屋が多く、包丁などの刃物や農機具などは名産地で、その露店もいくつか出ています。また、漁業や農業も盛んでしたので、その産地直売もありました。現在は、物品販売関係の店も当然ありますが、どちらかと言いますと食べ物の出店が多いように見えます。

 しかし、何十年か前までは、八幡神社周辺からJR松原駅近くまでの数百メートルの距離内に、例えば陶磁器、木工製品、海産物など、様々な出店が数店づつあったような記憶もあります。車が、まだまだ一般化していなかった私が子どもの頃(50年以上も前)の話です。

 特に、陶磁器関係は、まとめて買えば重くなるので、例えば波佐見や有田などの遠距離で購入し、戻ってくるのは大変でした。そのため、焼き物の産地から直接店が出ていた、この松原くんちで買う人も多かったのでしょう。この傾向は、その後も何十年かは、続いていたと思われます。

松原町、松原八幡神社のくんち、松原女相撲甚句
(2014年11月15日撮影)
松原町、松原八幡神社のくんち、松原女相撲甚句
(2014年11月15日撮影)

<郷土芸能>
 松原くんちでは、松原地区の郷土芸能(伝統芸能)も披露されています。その中で、今回、 松原女相撲甚句(女角力甚句道踊)と、野岳蛇(じゃ)踊りを紹介します。

(1)松原女相撲甚句
 この標題の名称は、通称多く言われているものです。松原くんち案内ポスターには女角力甚句道踊とあり、それ以外にも例えば松原女相撲(幟=ノボリに書いてある)とも言われてもいます。この女相撲甚句は、古くから当時の松原村浦郷(現在の大村市松原地区の松原本町)に伝わってきた郷土芸能と言われています。(詳細は、下記、小文字の松原くんち案内ポスターの説明文を参照)

・松原くんち案内ポスターの「女相撲とは?」より
 松原の浦地区に古くから伝わつてきた郷土芸能です。女がうたう相撲甚句に含わせ力士の格好をした女性(白装束にまわしをつけた女性)が土俵入りをします。 この踊りや甚句の起源は定かではありませんが、日露戦役の折、郷土の出征兵士を送つた際、.また戦勝祝いの際に、あるいは松原浦で鯨がとれたお祝いの折に踊つたと伝えられています。


 この郷土芸能は、私の子どもの頃も見ましたし、大村の郷土芸能紹介書籍類にも紹介されていたような記憶が残っています。そして、長年この女相撲は開催されませんでしたが、1997(平成9)年に久しぶりに松原くんちに出演しました。そして、約10年間また開催されず、2014年11月15日に復活し、大きな話題になり新聞やケーブルテレビでも取り上げられました。

(2)野岳蛇踊り
 この名称は、表題と同じく野岳蛇踊り(のだけ じゃおどり)と書くのが一般的ですが、松原くんちポスターには「野岳じゃ踊り」と書いてあったり、他にも「野岳龍踊り」などとも書いてあるようです。踊りの場所は、読んで字のごとく当時の松原村野岳(現在の大村市松原地区の野岳)です。踊りの起源は、不明です。(この踊りの起源などについて、下記内容も含めて概要は、2013年5月31日開催の大村市住民主導型地域活性化事業・各地区発表時、会場で少しだけ聞いたこともありましたので、このページにも書いています)

 ただし、これにも様々な説があります。踊りが出来た後、踊りの地元周辺である野岳湖(大村市東野岳町)なども含めて、1894(明治27)年に大干ばつになった時に、野岳湖の水神様への雨乞い祈願をするために踊ったと伝えられています。元々、龍踊り(じゃおどり)の由緒は、一説によると「龍踊りは中国で五穀豊饒を祈る雨乞い神事に始まったもの」と言われているようです。

 その意味からして、既に野岳蛇踊りは既に出来ていたと思われますが、上記の1894(明治27)年の大干ばつ時にも踊られたのは、伝承通りのことと思われます。なお、この踊りも長く上演されていませんでした。しかし、2012年度の大村市住民主導型地域活性化事業・松原地区の計画として、龍などの新調や踊りの練習などが実施されました。そして、2012年11月18日の松原くんちで約15ぶりに復活しました。今年2014年11月15日の松原くんちでも、この野岳蛇踊りは上演されました。

浦安の舞、扇舞(2016年11月19日撮影)
浦安の舞、鈴舞(2016年11月19日撮影)

<浦安の舞(うらやすのまい)>
 松原くんちは、先の主な内容項目にも書いています通り、神社本殿でおこなわれる「 ・八幡神社祭典(神事など) 、 ・浦安の舞」から始められます。この項目は、その中で、浦安の舞について書いていきます。まず、国語辞典の大辞林には、下記<>内のことが解説されています。

 <浦安の舞(うらやすのまい)=神事舞の一。1940年(昭和15)の皇紀二千六百年祝典の際に作られたもの。上代の手振りをしのぶ、荘重典雅な女舞>

  私は、子どもの頃から両親に連れられて松原くんち自体は、何十回となく見て歩いていました。しかし、行った時間帯の関係からか、あるいは神社本殿でおこなわれていたためか、この浦安の舞を見たことがありませんでした。近年、写真撮影の関係から主催者の許可を得て、神事のある時間帯から本殿にあがり、浦安の舞を2回見て、写真も撮りました。(右側の2枚写真参照)

  あくまでも、私が見た2回(2015年11月21日、2016年11月19日)の見学での話ですが、いずれも舞っておられるのは、松原小学校の女子児童2名でした。地元の方に、人数について、お聞きしますと「ずっと以前は4名の時もあったし、2名もあった」と言うことでした。

 私の第一印象、とにかく優雅で素晴らしい舞だなあと思いました。そして、両手をいっぱい広げる所作(しょさ)や舞姿を見ますと、小学生児童とは思えないくらい大きく、表現力があるなあと感じました。

  この舞の詳細について、私は知りませんが、最初は扇を持って舞う扇舞、次に鈴に変えての鈴舞がありました。扇舞は、広がりを感じました。また、鈴舞は、シーンと静まりかえった本殿に、シャリン、シャリンと響き渡る鈴の音によって、優しさと安らぎを覚えました。

  舞う人も、ご両親、指導される方なども、この舞のための装束の着付け、化粧、その他の準備も大変だろうなあと思いつつも、今後も続けて頂ければなあと祈念しました。

補足
 先の項目に既に松原くんちの主な内容、郷土芸能あるいは若干の歴史も書きましたので、大きな補足はありません。ただし、私が、マダマダ調べきれていない何かの書籍類に松原くんちのことが書いてあれば、追加、訂正含めて今後も書いていきます。

 大村の秋祭り(神社の例祭、各地のくんち含む)で、2日間開催(以前は3日間だった)は、この松原くんちだけと思われます。祭りを3日間であろうが2日間であろうが、長年続けて開催していくことは大変な準備あるいは煩雑さも伴いますので難しいことでもあります。それをずっと松原地区の方々は、総出で作り上げておられるのですから頭が下がります。

松原本町、松原八幡神社
(2013年11月16日撮影)

このようなことが出来るのは、松原地区の方々の熱意が一番の原動力と推測されます。さらに大村市内において竹松の昊天宮(大村市宮小路2丁目)とともに松原八幡神社は、古代に創建された旧・大村領を代表するくらい古くて格式のある神社の、その祭りだからかもしれません。

  (ご参考までに、大村市内発行の書籍類に先の松原八幡神社について「鎌倉時代創建」説を書かれたのもあるが、その従来説は間違いと思われる。この説について論じるのは本ページの主旨とは違うので別ページに書くことを計画中。他の市内の神社は、ほぼ全て中世時代か江戸時代の創建である)

このような歴史・伝統を大切にされるがゆえに、上記の二つの郷土芸能の復活でも良く分かる通り、「伝承できる間に高齢者に教えてもらいながら、この伝統ある郷土芸能を守っていこう」と言う熱い心意気さえも、この松原くんちの祭りでは伝わってきます。

この項目の冒頭にも書いていますので重複しますが、今後も松原くんちについて新たな資料などがあれば補足・改訂をしていきたいと考えています。

初回掲載日:2014年11月16日、第二次掲載日:11月18日、第三次掲載日:11月23日、第四次掲載日:11月24日、第五次掲載日:11月27日、第六次掲載日:11月28日
第七次掲載日:2016年11月20日第八次掲載日: 月 日


 

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