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福重の写真集 その231

2013年 沖田町老人会・郷土史講演会(概要報告)
 

沖田町老人会

日時:2013年7月213時30分〜14時15分 場所:大村市沖田公民館、参加者数:全体で35名、講演者:上野(福重郷土史同好会)

沖田町の郷土史講演会の主な内容(概要)
1)草薙(くさなぎ)部隊について
  (大村海軍航空隊、第21空廠、大村空襲の概要については、ここからご覧下さい)

草薙部隊(第352海軍航空隊)=本土防衛の戦闘機隊で 1944年(昭和19年)夏頃に当時の沖田郷(現在の沖田町、郡中学校の敷地)で開隊された。主に九州上空の迎撃・戦闘に出撃したと言う。 主な使用機は零式艦上戦闘機、その他だった。

 沖田郷に草薙部隊があったためアメリカ軍の空襲が激しく、福重地区10町内で一番被害が大きく全焼、半焼などをこうむった家もあった。

 その後、終戦を迎え草薙部隊の跡地は現在の大村市立郡中学校となった。この学校を作るため当時の沖田郷はじめ福重青年団や大人たちが、敷地の整地、石の片づけ、兵舎の整理その他、大変苦労されたと聞いている。

2)竹松遺跡と彼杵群家中心地の疑問
 6月7日に竹松遺跡についての発表があった。そして新聞やテレビなどで一斉に報道された。遺跡や遺物そのもについて、私は今までにないような、あるいは謎の多い古代県央地域の解明につながるのではないかと期待も持っている。しかし、報道内容(「彼杵郡家の中心地=竹松遺跡」)や遺跡展チラシの見出しなどについては、大きな疑問がある。

 一番の疑問は、古代肥前国の役所=彼杵郡家の中心地が竹松遺跡にあったとの内容である。(遺跡展チラシにも「郡の都〜古代・中世の竹松」とのタイトルがある) かつて川の流れた跡があり、郡川の氾濫時に上流から運んできた丸形状の石ばかりで造られた石垣が遺跡周辺に沢山あるのに、本当に役所の中心地があったのだろうか。

 小規模の役所はあったかもしれないが、2町×2町(1町=約109m)位の大きな役所跡や大規模な建物跡が見つからない限り大きな疑問があると言える。

  むしろ、寿古町の好武周辺が小高い丘のため水害にも遭っていないし、役所跡の可能性が高い。寿古町の伝承で「一度も水害に遭っていない」と言う(かまど)権現や地蔵が約263年間、無傷状態なのは水害に遭っていない証拠であろう。

3)福重史跡説明版と健康ウォーキング
 下記3基の福重地区内史跡説明版が今春(2013年3月10日)福重地区活性化委員会・観光部会によって設置された。(各説明版の詳細は省略。下記リンク先ページを参照)

・石走道祖神(この道祖神の詳細は、ここからご覧ください)
・線刻不動明王像(この史跡説明版の詳細は、ここからご覧ください)
・下八龍の線刻石仏(この史跡説明版の詳細は、ここからご覧ください)

  上記の史跡説明版は2013年4月19日付けの長崎新聞や6月10日、11日の大村ケーブルテレビの「歴史の散歩道」番組でも大きく報道された。今年度、来年度も徐々に説明版は増やされる予定と聞いている。

 沖田町の方は良く健康ウォーキングをされている。そのような機会に、この史跡説明版も見学コースに入れられたら、どうでしょうか。 
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 講演終了後、「あんたの話は分かりやすかったバイ」、「今日は迫力あったねえ」などの感想を頂きました。沖田町老人会の皆様、お疲れ様でした。また、重ねて感謝申し上げます。



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