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大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など 松原八幡神社、嘉永六年の石灯籠
 概要紹介
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 石灯籠の大きさ
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 石灯籠と碑文の評価
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 ・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。
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松原八幡神社嘉永六年の石灯籠(中央やや左側)

概要紹介
 
松原八幡神社には、本殿の社(やしろ)以外に正面階段の両脇方向に小さな社が、2社あります。(右側写真は、その内の一社)この社の内、北側(正面階段の左側)の前に石灯籠1基があります。(右側写真参照、中央やや左側にある)これは江戸時代の嘉永六(1853)年に建立されたものです。

 松原八幡神社には、江戸時代に建立された石灯籠として他にも大きいのが2基あります。(これは、既に『松原八幡神社、享和二年の石灯籠(2基)』として掲載中)

 今回は、嘉永六年建立の石灯籠についてですが、実は先に紹介中の大きい享和二年の石灯籠(2基)と同様に(大村)郷村記には記述されていません。この嘉永六年の石灯籠の碑文からして、建立者は当時、松原村(現在の大村市松原地区)の中嶋清次郎氏です。まだ、詳細なことまでは調べていないのですが、この建立者は、現在、松原八幡神社の神主さんである中嶋さんのご先祖さんではないかと思っています。

 この石灯籠は、全体高が116cmほどですから、大村市内どこでもあるような標準的な大きさです。ただし、石材の質も良い方ですし、碑文も分かりやすいものです。

石灯籠の大きさ
 松原八幡神社、嘉永六年の石灯籠
の大きさは、下表の通りです。既に紹介中で、一の鳥居両脇付近にある高さ260cm位もある『松原八幡神社、享和二年の石灯籠(2基)』に比べたら小さな感じにも見えます。ただし、これは、先の石灯籠(2基)と比べた場合の話であって、市内に沢山ある石灯籠対比では標準的なサイズです。

松原八幡神社、嘉永六年の石灯籠の大きさ
 石灯籠全体  高さ:116cm  横幅:33cm  胴回り:133cm
 碑文面のある部分  高さ:38cm  横幅:19cm  周囲:73cm

 あと、大きさのことではありませんが、この石灯籠の火袋(ひぶくろ=火をともす所)の明かりがもれる部分が、三日月を寝せたような形状です。(上記右側写真にも小さく写っているので、ご参照を) この部分について、私は今まで、ほぼ真四角の形状を多く見てきた関係上、少し特徴ある形かなあとも思いました。

石灯籠の碑文と評価
 
右側の画像は、拓本から活字化したものです。(注:拓本写真は今回掲載していない)さらに、その文字を横書きに直したのは、次の太文字の通りです。
  奉献石灯龍 嘉永六年丑十月 中嶋清次郎

現代語訳:石灯籠を奉納する。(石灯籠を奉って献上する)嘉永6丑(うし) (1853)年10月に中嶋清次郎が建立した。(中嶋清次郎が献上した)

 これからは私の推測にしかなりませんが、この石灯籠の建立目的は、その設置場所から想像して本殿に登る階段両側の脇にある小さな社の創建(もしくは改築)を記念して奉納されたのか、あるいは北側の小さな社に昇る階段を灯す役割だったのではないだろうかと思われます。

 この石灯籠の碑文は、市内一般に良く見られる文字と、ほぼ同じ彫り方です。 建立者の中嶋清次郎氏は、現在の神主さんである中嶋さんのご先祖と思われますが、系図などでの確認はしていません。あと、拓本上では灯籠の「籠」の文字が、「竜」にも見えます。これは「籠」文字(石工用)の省略文字と思われます。

 この石灯籠の大きさは市内では標準的なサイズで、しかも文字数も必要最小限度のことしか彫られていないので想像で考えても多くを語るものではないでしょう。普通に考えれば先に書いた通り、小さな社の創建もしくは改築時に建立された記念碑的な石灯籠だろうと推測しています。

関係ページ:松原八幡神社の鳥居の碑文
 、松原八幡神社にある題目五千回唱和記念碑 、松原八幡神社、享和二年の石灯籠(2基) 、大村藩領絵図 、(大村)郷村記

(初回掲
載日:2012年11月9日、第2次掲載日:11月10日、第3次掲載日:11月11日)

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