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2017年、(福重小学校)白馬様の祀り(概要報告)

2017年、(福重小学校)白馬様の祀り(概要報告)
日時:2017年1月20日
16時00分〜16時25分 (上記横長写真は終了後の集合写真)
参加数:
全体で35名(福重小学校・福重幼稚園関係、PTA、福重地区町内会長会関係、福重地区の方々など)
場所:福重小学校、白馬様(校舎裏側の畑の端で開催された))
(大村歳時記シリーズの)白馬さまの紹介ページは、ここからご覧下さい
(写真1) 祈願中(白馬様の前にて)

概要白馬様は、教職員と児童の守り神様です。まず、上記の時間帯は、気温4度でした。参加者は、それ以上に体感温度を低く感じるような、さらに冷たい北風が吹く中、白馬様の祀りは開催されました。

 その前から、福重小学校PTAや先生方などが協力して、熱心に事前準備をしておられました。開始時間となり、妙宣寺ご住職によるご祈祷、福重小学校・福重幼稚園関係、PTA、福重地区町内会長会関係、福重地区の方々などで、教職員・児童の安全、健康、活躍などを祈願されました。

 なお、ご参考までに、白馬様の石祠(せきし)に向かって左側(西側)に2016年3月1日付で、「白馬様の史跡説明板」が新設されました。<(写真3)を参照> (昨年1月の祀りまでは、当然見れなかったものです)  この説明板をご一読いただくと、何故この白馬様はあるのか、あるいは、この1月の時期に祀りは長年開催されているのか、分かりやすいと思われます。

 改めて、白馬様について簡略化して書きますと、次の<>通りです。 < この白馬様の建立は、昭和16(1941)年1月です。建立者は推定ながら当時の福重村か福重小学校だったと思われます。建立当初の由緒などは先のリンク先に書いてある通りですが、建立以降、学校・幼稚園・PTA関係、福重地区の方々などで、「教職員、児童の守り神様」として長年祀ってこられました。 

 最後に、最上部の記念写真を撮って、今年は終わりました。出席者や関係者の皆様、諸準備から後片付け含めて、寒い中、大変お疲れ様でした。   <白馬さまの詳細な紹介は、白馬様の紹介ページもしくは、このページ最下段の(「福重のあゆみ」より)白馬さ項目を参照>
(写真2) 祈願中(白馬様の前にて)
(写真3) 左側が白馬様の史跡説明板


(「福重のあゆみ」より)白馬さま
(しらうまさま)
福重小学校の校舎裏、一段高い所に「白馬さま」が祭られています。毎年1月の末に先生方やPTAの方々で「白馬まつり」が行われています。福重小学校が皆同にあったころ、小学校では不思議なことがたびたび起こりました。夜になると、廊下や天井を白い馬が走り抜けたり、刀を打ち合わせる音が聞こえたりしたのです。

白馬さまの挿絵(福重のあゆみ「小学生版」より)

 学校の建っていた所は古戦場(合戦のあった所)の跡だとか、馬の墓があった所だといわれていました。  元の小学校跡の近くには「合戦で討ち死にした武士の墓」と言い伝えられる墓が今もあります。馬の幽霊が出ると聞いた福重村の村長さんが「そんなバカなことがあるものか」といって小学校に泊まられたそうです。

そうしたら、寝ている部屋の天井をパカパカ走り回る馬の足音が聞こえ、村長さんは自宅へ逃げ帰ったそうです。また、先生方の病気が多かったり、亡くなる先生もありました。そういうことが続いたので、この地で亡くなった人や馬の霊を慰めなければと「白馬さま」として祭ることになりました。

昭和16年(1941年)のことです。そのためかあやしいことは起こらなくなり、「白馬さま」は学校・児童の守護神(しゅごしん、守り神)として祭られていました。その後、校舎は今の場所に移転しました。ところが、新しい学校でもまた馬の亡霊が現れたり、子どもの事故が続いたりしました。

 そこで、学校とPTAが話し合い「やはり白馬さまを祭らなければ」ということになり、前の学校跡に残してきた「白馬さま」の祠(ほこら=神を祭る小さなやしろ)を、昭和31年に今の場所に移して祭るようになりました。そのおかげか、学校は何事も起こらず、順調にいくようになりました。白馬さまには、このようないわれがあるのです。  (福重のあゆみ「小学生版」62〜63ページより)



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