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2019年1月22日、福重小学校4年生へ、深澤儀太夫の講話(概要紹介)
(写真1) モニター(スライド)を使って講話中(こうわちゅう)、中央奥の机(つくえ)の上は展示品(てんじひん) 担当:上野

福重小学校4年生へ、深澤儀太夫の講話(概要紹介)
展示品:指揮棒(しきぼう)、陣笠(じんがさ)、書類入れ(しょるいれ)、家紋(かもん)
日時:2019年1月22日
13時50分〜14時45分  場所:福重小学校4年生・教室  参加数:48名 (先生、児童)
  講話担当:上野

主な内容:深澤儀太夫勝清(ふかざわ ぎだいゆう かつきよ) 、 クジラ取り(とり) 、 野岳湖(のだけこ)
儀太夫(ぎだいゆう)が、つかっていた指揮棒(しきぼう)、陣笠(じんがさ)、書類入れ(しょるいれ)の展示(てんじ)

概要:
 上記通り、福重小学校4年(2クラス)を対象に、深澤儀太夫勝清(ふかざわ ぎだいゆう かつきよ)などの話をしました。いつもと、ちがって、事前(じぜん)に児童(じどう)からの約20の質問'(しつもん)に答えるやり方でした。今回、Q&Aをかいた資料(しりょう)を配布(はいふ)し、スライドもつかって話しました。スライドには、儀太夫、クジラ、ため池などの約20枚の写真(しゃしん)や絵(え)も入ってました。

 あと、儀太夫がつかっていた指揮棒(しきぼう)、陣笠(じんがさ)、書類入れ(しょるいれ)、さらには深沢家の家紋(かもん)の展示(てんじ)も、大村市河川公園課(かせんこうえんか)の許可(きょか)を得て(えて)展示(てんじ)しながら説明(せつめい)しました。

(写真2) 深澤儀太夫(ふかざわぎだいゆう)
 
(写真3) 家紋(かもん)つきの)陣笠(じんがさ) 
 
(写真4) 陣笠(じんがさ)の裏(うら)
 
 (写真5) 書類箱笠しょるいばこ)
 
  (写真6) 指揮棒(しきぼう)
 
  (写真7) 家紋(かもん)

スライド使ってのQ&Aの講話内容
1)儀太夫(ぎだいゆう)本人(ほんにん)について

Q1:「儀太夫 (ぎだいゆう)」の由来 (ゆらい)は?
A1:鯨組(クジラくみの一番頭(いちばんがしら)の意味(いみ)がある。芸能一座(げいのういちざ)の最高位(さいこうい)の人も太夫(たゆう)だ。

Q2:なぜ大村に住む(すむ)ようになったのか?
A2:波佐見出身(はさみしゅっしん)だが、大村家(おおむらけ)に仕えて(つかえて)いたためだろう。

Q3:どのくらいの金持ち (かねもち)だったのか?
A3:野岳湖(のだけこ)だけでも4200両(りょう)=今のお金で数億円(すうおくえん)。他のため池(いけ)、寺(てら)の改修(かいしゅう)、自宅(じたく)を本陣(ほんじん)へ提供(ていきょう)など、たくさんのお金を寄付(きふ)した。

Q4:深澤邸(ふかざわてい)が、本陣(ほんじん)になったのか?
A4:その通り。旧浜屋(きゅう はまや)デパートがあった付近(ふきん)に本陣(ほんじん)はあった。

Q5:長寿(ちょうじゅ)だったのでは?
A5:80才は、長生き(ながいき)だった。当時(とうじ)は50〜60才でも長生きだった。

2)クジラ取り(とり)について
Q6:昔(むかし)は大村湾(わん)にも、クジラがいたのか?
A6:クジラは回遊(かいゆう)するので、あまり大村湾(おおむらわん)にはこなかった。ただし何頭(なんとう)かはとれた。<スライドの図(ず)を見てください>

Q7:東彼杵(ひがしそのぎ)町は、なぜ「くじらのまち」か?
A7:クジラの肉(にく)を東彼杵から各地(かくち)へ販売(はんばい)した実績(じっせき)が大きいためだ。

Q8:鯨組(くじらぐみ)には、何人ぐらいいたのか?
A8:様々(さまざま)な説(せつ)があるが500〜600人くらいでとっていた。<スライドの絵(え)を見てください>

Q9:長崎県内(ながさきけんない)には、どれぐらい鯨組(くじらぐみ)があったのか?
A9:スライド参照(さんしょう)。年代(ねんだい)によって鯨組の数(かず)がちがう。

Q10:鯨組(くじらぐみ)は、いつごろまであったのか?
A10:1830年頃(ころ)<文政(ぶんせい)年間>までには、回遊(かいゆう)してくるクジラが少なくなったため。

3)野岳湖(のだけこ)の工事(こうじ)について
Q11:郡岳(こおりだけ)から野岳湖への水の引き方は?
A11:山麓(さんろく)に泉(いずみ)が、いくつかあり、そして雨がふって流れ込む(ながれこむ)川などがある。

Q12:工事(こうじ)を行うのに苦労(くろう)はなかったのか?
A12:全て難工事(なんこうじ)で、とくに堤防(ていぼう)の水漏れ(みずもれ)防止(ぼうし)など、すべて人の力での工事(こうじ)だっった。

Q13:大村藩(はん)の事業(じぎょう)だったのか?
A13:お金は儀太夫 (ぎだいゆう)が出したが、工事全体(こうじぜんたい)は、藩(はん)がおこなった。

Q14:他に同じような事業をしようとした人は当時いなかったのか?
A14: いたとおもうが、そのお金がなかったので、できなかったとおもう。

Q15:野岳村(のだけむら)の人たちは、ボランティアだったのか?
A15:工事中(こうじちゅう)は、農作業(のうさぎょう)もできないので、お金をもらっていたとおもう。

Q16:野岳湖(のだけこ)の造成(ぞうせい)以外(いがい)にも、たくさんの社会貢献(しゃかいこうけん)があるが、兄弟(きょうだい)や子孫(しそん)も行っているのか?
A16:二代目(にだいめ)、三代目(さんだいめ)も、たくさんのため池を造り(つくり)、寺(てら)や道路(どうろ)の改修(かいしゅう)もした。大村藩(はん)へ、多額(たがく)の寄付(きふ)もした。

Q17:「○代目深澤儀太夫」というのは?
A17:三代つづいて「深澤儀太夫」だ。本家(ほんけ)だけが、名乗って(なのって)いた。分家(ぶんけ)の深沢家もある。

儀太夫(ぎだいゆう)のつかっていた展示品(てんじひん)の説明(せつめい)
 教室(きょうしつ)の前方(ぜんぽう)に展示(てんじ)した儀太夫(ぎだいゆう)が、つかっていた指揮棒(しきぼう)、陣笠(じんがさ)書類入れ(しょるいれ)家紋(かもん)の説明(せつめい)をした。ただし、この家紋(かもん)のみ現代(げんだい)につくられた。それ以外(いがい)は、すべて350年前(ねんまえ)のものである

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講話後の質疑応答(こうわご の しつぎ おうとう)
 スライドや展示品(てんじひん)の説明(せつめい)の後(あと)、質疑応答(しつぎおうとう)をした。その内容(ないよう)は、主に次の通りであった。

Q01:書類箱(しょるいばこ)には、なにが入っていたのか?
A01:カギもかけられるようなので、貴重(きちょう)なものをいれたかもしれない。大事(だいじ)な書類(しょるい)などである。ただし、持ち運びできるので、お金などは、もっと大きな蔵(くら)にいれていたのかもしれない。

Q02:陣笠(じんがさ)は、いつ使っていたのか?
A02:この陣笠(じんがさ)は、家紋(かもん)もついた漆塗り(うるしぬり)の高級品(こうきゅうひん)である。しかも、かなり重たい。クジラ取りに使ったものではなく、旅行(りょこう)や城(しろ)へ行く時などにつかったのかもしれない。

Q03:指揮棒(しきぼう)は、どんな時(とき)に、どう使ったのか?
A03:クジラ取りの時に、声(こえ)だけでは分かりにくいので、長い指揮棒(しきぼう)を指し(さし)ながら、「その舟(ふね)は、あっちに行け!」みたいにして使ったのではないだろうか。

Q04:4代目(だいめ)や、5代目(だいめ)も同じようなことや、社会貢献(しゃかいこうけん)をしたのか?
A04:同じことをしただろう。ただし、もっと調べて(しらべて)答えたい。

Q05:儀太夫は、少年時代(しょうねんじだい)は、どうだったのか?
A05:一説(いっせつ)によると、かなり不良(ふりょう)だったとの説もあり、大人になって30才ころに関西(かんさい)に武者修行(むしゃしゅぎょう)に行った。そして、和歌山(わかやま)でクジラ取りを見て感動(かんどう)した。そして、九州(きゅうしゅう)にもどり、はじめてクジラ取りをやった人だ。それで、大金持ち(おおがねもち)になり、たくさんの人に役立つ(やくだつ)ことをした。

Q06:最初(さいしょ)から金持ち(かねもち)だったのか?
A06:最初は、普通(ふつう)の侍(さむらい)の家(いえ)だった。しかし、クジラ取りは1頭(とう)取れば、「七浦潤う(ななうら うるおう)」という言葉(ことば)がある。これは、7つの漁村(ぎょそん)の人々(ひとびと)の収入(しゅうにゅう)・生活(せいかつ)ができたということである。家族(かぞく)の人数(にんずう)では、何千人(なんぜんにん)あるいは数万人(すうまんにん)をささえたことであろう。とにかく、クジラ取りは、大金持ち(おおがねもち)だった。

<上野の感想>
 児童(じどう)からの質問(しつもん)は、あまり勉強(べんきょう)をしていない私にとって、きびしい内容(ないよう)もありました。でも、どんなことも関心(かんしん)もって質問(しつもん)する4年生には、逆に(ぎゃく)に勉強になりました。私の話を聞いて下さった先生や4年生の皆様(みなさま)、ありがとうございました。また、お会いしましょう。 


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(一例):「深澤儀太夫勝清(ふかざわ ぎだいゆう かつきよ)


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