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大村の歳時記シリーズ 福重地区のくんち(宮日、秋の例祭)
(写真1) 戦前の旧・福重村、大神宮の秋季例祭・相撲選手
1941(昭和16)年10月撮影
(写真2) 村社 大神宮(上部) 村社 松尾神社(下部)
1941(昭和16)年10月頃撮影
(写真3) 村社 大神宮秋季例祭 奉納浦安ノ舞
1941(昭和16)年10月撮影
(写真4)  松尾神社、秋季例祭の神事
2011(平成30)年10月7日撮影
 

福重地区のくんち(宮日、秋の例祭)

名称(呼称)について
 この福重地区のくんちの開催時期は、毎年ほぼ10月上旬(または中旬)、場所は、(今富町にある)大神宮(だいじんぐう)」と、(草場町にある)松尾神社(まつのお じんじゃ)」の隔年開催と決まっています。しかし、戦前から現在まで、その祭り名称については、通称含めて実に様々あります。。

 まずは、戦前に書いてある名称ですが、1941(昭和16)年11月に発行された福重村写真集「銃後の郷土」には、大神宮で開催された「福重村のおくんち」について、「大神宮の秋季例祭」と書いてあります。(その一例は「大神宮の秋季例祭の相撲選手」ページを参照) <本ページの(写真1)も同様=写真左側の紹介文に書いてある>

 先の戦前の名称は、今でも当然使われています。あと、それ以外にも単に「おくんち(宮日)」「秋の例大祭」とか、頭に開催の神社名を付けて、「大神宮のおくんち」「松尾神社のおくんち」などとも、福重地区内では呼称されています。

歴史について
 この福重地区のくんち旧・福重村の秋季例大祭の歴史について、私なりに調べたのですが、関係の資料がなくて詳細が良く分からない状況です。そのため、数は少ないのですが、江戸時代の古記録である(大村)郷村記や、「1941年(福重村写真集)銃後の郷土」なども参照しながら次に書いていきます。

・江戸時代は各神社の例祭は氏子中心だった
 先に紹介しました(大村)郷村記には、今富の大神宮の例祭などについて、(現代語訳で)「例祭は(毎年)9月11日に宝円寺に来てもらって氏子で祭っている」と記述されています。

 同じく当時の草場の松尾大権現(まつのお だいごんげん)の(大村)郷村記(現代語訳では)「例祭は9月28日に妙宣寺に来てもらって執り行っている。氏子で祭っている」と書いてあります。つまり、江戸時代には、秋の例大祭(くんち)は、当時の福重村全体で開催するのではなく、各神社の氏子(うじこ=神社を祭っている地域住民のこと)だけで祭っていたということです。

・近代になっても相当経ってから村全体の例祭になったのではないか
 ここからは、上野の推測ながら明治維新以降も、先の形態は続いたのではないかと思われます。そして、「大神宮」と、「松尾神社(まつのお じんじゃ)」が、村社<そんしゃ、神社の旧社格の一。郷社の下、無格社の上に位する。祈年祭・新嘗しんじよう祭・例祭には村から奉幣した(大辞林の解説より)>になった以降、さらに相当年数してからではないでしょうか。

 ただし、1889(明治22)年から福重村の村長が始めて選挙で選ばれるなど、行政あるいは民俗風習などにも変化が現れ、「これから出来るものは、村全体で何かやっていこう」との機運も出てきたとも推測されます。そして、それまで、各々の郷(町)単位でおこなっていた秋季行事の中で、村でまとまって開催できるものは全体で実施され、その一つが福重村(全体)のくんちへなっていったのかもしれません。

 そのような状況下、福重村の秋季例大祭は、何年からの開始か不明ながら、福重村を代表する村社の2社である大神宮松尾神社が、隔年で開催することになったと思われます。これまで述べた経過から(写真1、3)の紹介文でも見られるような「秋季例祭」が、長年継続されきたと思われます。

 そして、福重村が合併により大村市政(1947年2月11日)になっても、今度は、福重地区のくんちとして続いてきたのでした。現在は、西暦で奇数年が「大神宮<一例として、「2017年、福重地区のくんち(今富町の大神宮の例祭)(概要報告)」参照>偶数年が「松尾神社(まつのお じんじゃ)<一例として、「2018年、福重地区のくんち(草場町の松尾神社の例祭)(概要報告)」参照>で開催されています。そして、その主催は、福重地区神社総代会ですが、大神宮と、松尾神社の氏子なども共催で、この福重地区のくんちを開催しています。

内容について
 福重地区のくんちの内容は、戦前も戦後も福重青年団があった頃<昭和63(1988)年の何年後>まで、さらには現在も、そう大ききは変わっていません。その記録がないので、この項目は、伝承をもとに書いていきます。地区内のある古老のお話によりますと、「(福重の)くんちは、昔は神事が終わった後は、大人(主には福重青年団)の相撲大会だった。まあ、大人の体力・力自慢みたいなものだった。くんちが、にごやかな頃は、参道などに出店(露天商)もあったかなあ」とのことでした。

(写真1) 戦前の旧・福重村、大神宮の秋季例祭・相撲選手
1941(昭和16)年10月撮影

 あと、この古老の補足ですが、上記の(写真3)をご覧になりますと、お分かりの通り、1941(昭和16)年10月開催のくんちでは、浦安の舞が奉納披露されています。この浦安の舞は、「宮内省雅楽部楽長だった多忠朝(おおの ただとも)氏が、1940年(昭和15)に作られ、当時から全国にある神社や儀式(式典)などで披露されている踊りです。

 私の推測ながら、この写真に写っているような浦安の舞は、戦前の期間、あるいは戦後の一時期も継続して奉納されたかもしれませんが、そんなに長期間ではなかったようです。その理由は、伝承として「長年踊っていた」などと、多くの人のから聞かないためです。

 ここで、福重青年団があった頃<昭和63(1988)年の何年後>までの内容を、箇条書きにまとめ直しますと、福重くんちは、(1)秋季例祭の神事、(2)<一時期のみながら>浦安の舞の奉納、(3)大人(主に福重青年団の団員)による奉納相撲大会などがあったと言えるでしょう。さらに、にぎやかな頃は、参道などに出店(露天商)もあったようです。

 (後半原稿につづきますが、その原稿は準備中ですので、しばらく、お待ちください)




補足

   (準備中ですので、しばらく、お待ちください)


・関係ページ:「2017年、福重地区のくんち(今富町の大神宮の例祭)(概要報告)」  「2018年、福重地区のくんち(草場町の松尾神社の例祭)(概要報告)

掲載日:2018年10月12日、第二次掲載日:10月19日、第三次掲載日:10月22日、第四次掲載日:10月 日、第五次掲載日: 月 日、第六次掲載日: 月 日、第七次掲載日: 月 日

 
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