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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 大日堂と峯阿乗の碑

(史跡説明板)大日堂と峯阿乗の碑
 名称:大日堂と峯阿乗の碑  様式:説明板
 場所:寿古町(旧・火力発電所前を通る道路の西側)  設置者:寿古町町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2015年3月1日  GPS実測値:32度57分56.73秒 129度56分12.81秒
 全体の大きさ:高さ149cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'56.73"N,129°56'12.81"E

注:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差がある。グーグルアースは航空写真上に表示するため、かなりの誤差が出るが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)

(左下側に)大日堂と峯阿乗の碑がある(上部左側の空き地が大村火力発電所の跡地、斜めに走る道路が杭出津・松原線)<グーグルアースより>

(左側が)大日堂と峯阿乗の碑のある境内(右奥側の山:武留路山、写真右側は杭出津・松原線の歩道。南東側から撮影)<2004年当時の写真より>

史跡説明板写真周辺の説明
 この大日堂峯阿乗の碑がある場所は、右から2番目画像(グーグルアース)でも分かる通り、写真の左下側にあります。旧・大村火力発電所入口からならば道路(杭出津・松原線、通称”サンセット通り”)を南西方向に約490m進むと、その道路直ぐに右側(西側)にあります。

  また、右側二枚の写真でも、お分かりの通り、大日堂のある所は、道路(杭出津・松原線)と田んぼに挟まれた、やや長方形の境内です。この敷地の四方は、生垣や木々が繁っていています。

 長崎空港や大村市街地から、松原や東彼杵町方面へ、先の道路を走行した場合、大日堂は左側(西側)にあります。そして、この周辺は、ほぼ田んぼや農業用ビニールハウスばかりですが、ここの敷地部分だけ木々がこんもり繁った感じにも見えます。また、この道路の先(北方)には、武留路山(むるろさん、 341m、右側1番目写真参照)も見えています。

(中央が)大日堂と峯阿乗の碑の史跡説明板
写真奥右側が大日堂、左側が峯阿乗の碑

史跡説明板の内容
  右側写真に写っている史跡説明板には、下記「 」内の文章が書いてあります。原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに変えています。なお、この史跡の詳細説明は、<福重の名所旧跡や地形の『大日堂(キリシタンから殺害された僧侶・峯阿乗の墓』、『峯阿乗の碑(記念碑)』>などから参照願います。

「 大日堂と峯阿乗の碑
 天正二(一五七四)年にキリシタンが大村領 内の寺や神社を破壊した時、仏教や身の安全を守ろうと山田泉織坊の住職であった峯阿乗(みねあじょう)が嬉野方面に逃れようとしていた。ところが、 その時にキリシタンに見つかり殺され、死骸は便所に埋められた。

  その後、阿乗の霊魂が大村家に崇ったといわれ、正保四年(一六 四七)年五月、三代藩主大村純信の時、大村彦右衛門純勝が、阿乗の死体を埋めた所に大日堂を建てた。昔は堂(建物)があったが、 今は石祠に高さ三十三センチの大日如来の石仏があり、毎年、寿古 町の下河原の人々が例祭をしている。

  峯阿乗の碑は、大正七(一九一八)年四月に先祖を偲んで七家系の子孫が建立した。本体の高さは一七四センチの滑らかな自然石で、 その表・裏面に綺麗な碑文が彫られている

 二〇一五年三月一日  寿古町内会・福重地区活性化委員会 

大日堂(中央は石祠)

大日堂と峯阿乗の碑の写真
 上記の「史跡説明板の内容」項目でも、説明しました通り、今回の史跡説明板の設置場所は、道路(杭出津・松原線、通称”サンセット通り”)から良く見えるように境内入口に立っています。

 その分、境内の奥まった所にある大日堂峯阿乗の碑とは、少し離れた位置関係にあります。上記項目の右側写真にも、その状況は写っててはいますが、今回分かりやすいように2枚の写真を掲載して紹介しています。

 その左側写真が、大日堂(中央は石祠)です。これは、『大日堂(キリシタンから殺害された僧侶・峯阿乗の墓』ページに詳細に書いています通り創建当初は、お堂(建物)がありました。その後、いつの年代か不明ですが、現在のような形式になっています。写真中央部の石祠には、大日如来が祀られています。

 右側の縦位置写真は、峯阿乗の碑です。この写真だけでは、碑文や自然石の材質までは分かりませんが、大正時代の(当然手彫りの)建立碑文とは、思えないほど表面も裏面も素晴らしい完成度です。特に、表面の大文字(の端部)は、今でも触ったら手が切れるくらい切れ味が鋭いです。また、裏面には、びっしり中文字で峯阿乗に関する歴史、建立趣旨や建立関係者の名前が彫ってありますが、いずれも整った文字です。

 あと、この記念碑の石材ですが、手触りの良い滑らかな自然石です。この周辺を車やウォーキングなどで通られた機会に、これらのこともご覧頂ければと願っています。

補足
 

  (この原稿、準備中。しばらく、お待ちください)


・詳細な関係ページ:『大日堂(キリシタンから殺害された僧侶・峯阿乗の墓』 、 『峯阿乗の碑(記念碑)

(初回掲載日:2015年3月22日、第2次掲載日:3月23日、第3次掲載日:3月25日、第4次掲載日:3月26日、第5次掲載日: 月 日) 

 
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