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大村の史跡説明板・案内板シリーズ (沖田の)祇園牛頭天王

(史跡説明板) (沖田の)祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)
 名称:(沖田の)祇園牛頭天王  様式:説明板
 場所:沖田町(福重橋の近く、旧・長崎街道の脇)  設置者:沖田町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2015年3月1日  GPS実測値:32度57分38.84秒 129度56分33.49秒
 全体の大きさ:高さ149cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'38.84"N,129°56'33.49"E

注:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差もある。グーグルアースは航空写真上に表示するため若干の誤差もあるが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)

史跡説明板写真周辺の説明
 この(沖田の)祇園牛頭天王のある場所は、郡川に架かる国道34号線・福重橋の南側たもとから西側へ20mの位置にあります。また、この境内の直ぐ前は、旧・長崎街道(現在は市道)です。

  そして、ここから旧・長崎街道を歩いて北方向へ40m位行くと、郡川に出ます。ここの河原には、江戸時代や明治19年に木造の橋が架かるまでは、「郡川の飛び石」がありました。つまり、この祇園牛頭天王は、長崎街道ウォーキングをする場合、必ず目にするところでもあります。

 あと、この祇園牛頭天王は、創建された場所自体は現在地より国道34号線の上部方向にあったようで、その敷地も現在よりも相当広かったようです。いずれにしても、現在は国道34号線から40m位で行ける場所にあります。

  右側写真の撮影地点は、旧・長崎街道の上からです。写真中央部やや右側(東側)の白い説明板が、今回新設されたものです。その直ぐ奥側が、鉄製の鳥居、最奥側が拝殿です。

 鉄製鳥居の柱両側にあるのは、推定ながら明治3年頃、廃仏毀釈などによって壊されたと思われる石の鳥居の柱部分です。左側(西側)の柱上部には、額柄(銘板)も見えています。

史跡説明板の内容
  右上側写真に写っている史跡説明板には、下記「 」内の文章が書いてあります。原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに変えています。なお、この史跡の詳細説明は、<福重の名所旧跡や地形の『(沖田の)祇園牛頭天王』>などから参照願います。

「 祇園牛頭天王
 祇園牛頭天王(ぎおんごずてんおう)は江戸時代の大村郷村記に京都の妙伝寺が願主となって、慶安元年(一六四八年) 創建されたとある。その当時の場所は国道より上付近で奥行三十二m、横幅六十一mの境内があった。また、ご神体は木の座像で、彩色されているとも書いてある。今は規模を縮小して移し、現在地にある。

 なお、牛頭天王とはインドでは祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の守護神であり、悪疫を防ぐ神として日本では京都祇園の八坂神社などにも祭られている。そのことから昭和初期に郡地区で赤痢が流行した際に、早く鎮まるように祈願したと言う。

 昔は長崎街道近くでもあり、往来の多くの人も参詣されたと思われる。今は沖田町の人々が「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれ、毎年例祭をしている。

二〇一五年三月一日 沖田町内会・福重地区活性化委員会 

補足
 

(この原稿、準備中。しばらく、お待ちください)


・詳細な関係ページ:『(沖田の)祇園牛頭天王

(初回掲載日:2015年3月27日、第2次掲載日:3月28日、第3次掲載日:3月29日、第4次掲載日:3月 日、第5次掲載日:4月 日) 

 
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