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福重の写真集 その725
2025年10月4日、(宮中献穀事業) 抜穂祭(ぬいぼさい) (概要報告)
(写真1) 宮中献穀事業・抜穂祭の神事後の記念写真、中央部は奉耕者の川本ご夫妻<寿古町公民館>(撮影:2025年10月4日、以降同様)
(写真2) 献穀田に向かって神職、主宰者、刈女・田男、関係者の一列 (奥の左の山は武留山、右の山は郡岳鉢巻山)
 (写真3) 抜穂祭終了後の記念写真、前2列の子ども達が刈女田男 (後方が献穀田)
 (写真4) 抜穂前の稲穂 (写真5) 右側:奉耕者の川本ご夫妻抜穂神主が奉納
はじめに
  注:掲載写真は順不同で上からの順番などには何の意味もない> このページは、10月の宮中祭祀(さいし)新嘗祭(にいなめさい、しんじょう‐さい)=天皇が新穀を天神地祇ちぎに供え、みずからもそれを食する祭儀。デジタル大辞泉より)に献上するコメ(米)の「抜穂祭」を中心に書いている。ただし、その前に、この一連の「宮中献穀事業」の行事名称は、一般には馴染みのない用語がある。また、普通の稲作やコメ(米)にちなんだ行事の場合、一例として「田おこし」「モミまき(種まき)」「田植え」「稲刈り」「脱穀」「精米」(モチコメならば)「餅つき」「餅まき」などがある。

 これらは、まさしく「瑞穂の国 日本」を象徴する稲作やコメ(米)に関する歳時記である。 そのようなことから、このページでは、先に「宮中献穀事業」の行事月日用語解説を書いていきたい。また、下記の月日は実施分含めて、2025年度、大村市寿古町で行われた(あるいは今後の予定)である。 なお、用語解説は、長崎県または大村市ホームページを参照して書いているが、上野の補足文もある。そのため、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。引用、参照は何かの用語辞典からして頂きたい。
 
事業の月日  宮中献穀事業名と、その用語解説
 2025年2月26日   宮中献穀大村市奉賛会設立総会 宮中献穀大村市奉賛会設立総会を実施し、宮中献穀事業の主体となる「宮中献穀大村市奉賛会」が設立された。設立総会では会則や事業計画を中心に議論が進められた。
2025年5月10日  斉田清祓(さいでんきよはらい)播種祭(はしゅさい)」  斉田清祓(さいでんきよはらい)とは、コメ(米)を育てて(稲作)収穫する水田を清める儀式である。 播種祭(はしゅさい)とは、モミまき(種まき)のことである。現在では育苗箱にモミまきするのが、ほぼ100パーセントである。
2025年6月14日  お田植え祭  お田植え祭とは、一般に言うと(神事などのない)「田植え」のことである。ただし、お田植え祭は、上記の播種(はしゅさい)」でまいて育ってきた苗が無事に育つように神事で関係全員で祈願した。そして、斉田清祓(さいでんきよはらい)で清められた田んぼに、(小中学校の生徒や児童の)早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)が和服で、手植え(田植え)する儀式である。なお、現在では、ほぼ100パーセントが田植え機械で「田植えlする。
2025年8月7日  青田祭  青田祭(あおた祭)とは、「これから心配される水不足や風水害を防ぎ 害虫の駆除など、稲を守って豊かな稔りを祈願する神事」のことである。
2025年10月4日  抜穂祭  抜穂祭(ぬきほさい、ぬいぼさい)とは、一般には「稲刈り」のことである。刈女(かりめ)田男(たおとこ)とは、稲を抜穂=刈る人である。大昔は、今のように稲束を全部刈るのではなく、先の文字のように実った穂だけを「抜き取る」から、この抜穂の名称が使われているのだろう。なお、現在の稲刈りは極一部を除き、全部がコンバインやバインダーなどの機械による「稲刈り」である。
025年10月 日  宮中献穀献納式  宮中献穀献納式(きゅうちゅう けんこく けんのうしき)とは、「皇居(こうきょ)でおこなわれる新嘗祭(しんじょう‐さい、にいなめさい)に収穫できた先のコメ(米)を献上する儀式である。このコメのことを、献上米(けんじょうまい)とも呼ぶ場合もある。
2025年11月  県知事・県神社庁への贈呈式

(写真6) 神事の会場、寿古町公民館内
)写真7) 手前の献穀田へ到着
(写真8) 左側の刈女と右側の田男抜穂(稲刈り)
 (写真9) 抜穂祭が終了、左側は神主、その前は園田・市長

(宮中献穀事業) 抜穂祭(ぬいぼさい)
日時:2025年10月4日11時00分~12時35分
参加:目測で約100名
(主宰者はじめ見学者含めて全参加数)
場所;大村市寿古町公民館 、献穀田(寿古町321・322・323番地

<主な内容(概要)>
 今回の抜穂祭(ぬきほさい、ぬいぼさい)神事は、当初、屋外で予定されていたが、降雨のため寿古町公民館で開催された。この公民館内には、神事が始まる1時間ほど前から主宰者を始め地元の寿古町、農協、市役所、報道や関係者が諸準備含めて待っておられた。

 定刻となり、神事の前に、長崎県知事(代理)の方が挨拶された。そして、神事となり、祝詞奏上(のりとそうじょう)や玉串奉奠(たまぐしほうてん)などが挙行された。その神事の後、園田•大村市長や奉耕者(ほうこうしゃ、耕作者)の川本さんから今回の抜穂祭や、次の宮中献上についてなどを述べられた。

 そして、神事も無事終了し、今度は参加者全員で(写真 1)通り、記念写真の撮影があった。その中で今回、献穀田で稲を刈る和服姿の刈女(かりめ)田男(たおとこ)の子ども達が前列だった。

 寿古町公民館での神事が、終了して、次に献穀田近くに参加者は向かった。今回、神主や献奉耕者はじめ主宰者、刈女田男など出席者一同、大日堂周辺から色とりどりのノボリ(幟)もなびかせながら黄金色に実る稲穂の田んぼ横を進んできた。

 その後、献穀田の所定位置にて主宰者の指導にて、刈女田男が実った稲穂を一株づつ丁寧に抜穂(刈り)はじめた。しばらく続いたが途中、新聞・テレビカメラの都合などで子ども達は、稲刈り鎌(かま)や刈った稲束を持ってポーズもしていた。

 抜穂祭も無事終了して、後は(写真3)の記念写真撮影だった。あと、刈女田男などへ、マスコミから数人づつ取材が続いていた。それと同時進行で別の子ども達が、保護者や地元の人へ「稲の手刈りは始めてだった」「刈れたよ」などの話しをしていた。最後に「お疲れさん」などで三々午後、自宅に帰っておられた。

 なお、今後の宮中献穀献納式は10月22日の予定である。また、その後11月には県知事・県神社庁への贈呈式も予定されている。
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<上野の補足>
 ここからは、全くの上野の補足です。今回の抜穂祭もあいにくの天気だったため良い風景写真が撮れていません。しかし、献穀田よりもう少し西側(大村湾側)へ行き、晴れの日ならば手前側に黄金色の田んぼ、奥に郡岳経ケ岳鉢巻山や武留山などの山波の眺めが抜群の所です。(下記の「2015年10月3日撮影の写真」を参照) 機会あれば、今秋も下記の写真と同じような黄金色に実った稲穂をはじめ、先の美しい山並みを同時に見ることができます。 最後になりましたが、今回の抜穂祭に参加された全員の皆様、お疲れ様でした。

 (写真10) 列の右端側は神主の祈願中、その左方向は神職、田男・刈女、この列の周囲は報道や地域の方々
(2015年10月3日撮影) 手前側は寿古町で黄金色に実った稲穂
最奥の山並みは左側から郡岳遠目山、離れて右側に大村で最高峰の経ケ岳が三角形状で小さく見えている。

(初回掲載日:2025年10月5日、第二次掲載日:10月7日)


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