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福重の名所旧跡や地形

本庄渕(本城渕)<郡川にある堰と渕の一つ>
本庄渕(本城渕)(ほんじょうぶち) 場所:長崎県大村市 寿古町 (郡川河口から上流側へ約1kmの所)

 この本庄渕(本城渕)(ほんじょうぶち)は、郡川にある農業用水を取水するための堰(せき)と渕のことです。<注:左写真説明=本庄渕(本城渕)は郡川中央部にある。後方左側の山が郡岳(826m)、右端側の小さく三角形に見える山が経ヶ岳(1,076m)> この場所は郡川の河口より約1.5km上流側に架かっている国道34号線の福重橋(通称:郡橋)より下流へ約400m行った寿古町側にあります。「 ほんじょうぶち」、「ほんじょうせき」と呼ばれていますが、漢字表現では本庄渕(本城渕)と「本庄堰(本城堰)」と思われます。名称の由来は、この近く(西側)にあったと推定されている古代肥前国の役所跡=彼杵郡家(そのぎぐうけ)及び戦国時代の好武城からと言われています。あと、左写真でもお分かりの通り、ここから見える大村の山並みや周辺の景色は、一幅の絵のような素晴らしい所です。

本庄渕(本城渕)の紹介
 
まず、この渕の位置関係ですが、寿古公民館(直ぐ南西側に寿古公園がある)から郡川右岸の土手の道路を約150m南西側へ行くと川の中にあります。江戸時代編纂の(大村)郷村記・第二巻(活字版なら106ページ)に、この渕は下記「」の通り、記述されています。

本庄渕下流約300m、菜の花と後方の山は郡岳

 「 一 本城渕  長キ五拾三間横七間深壱問三尺六寸 (現代語訳:本城渕 長さ約96m、横幅13m、深さ約1m10cm)

 ここの堰は基本的には古代から変わっていないのでしょう。ただし、
郡川の氾濫や水害も数多く発生している関係上、あくまでも上記の数値は、(大村)郷村記の編さん当時のものと言えます。江戸時代よりも沖田町側の河川敷が広がった関係からか、現在の堰の大きさは、目測ながら東西間で約35m、堰の幅で約7mです。また、水が溜まった状態での上流から堰までの長さは、200m近くあると思われます。

 ここは、
郡川が直角に曲がった形状の所ですから、本庄渕(本城渕)全体が大きく見えます。この渕の両岸(寿古町側と沖田町側)には、河川敷があり、河川改修工事前までは、菜の花などが季節になると一面に咲いてもいました。(2013年)現在も河川改修工事中ですので、今後、堰や堰周辺も変わる可能性もあります。

補足
 先の項目でも書きました通り、江戸時代の(大村)郷村記内容でも、現在も土手から良く見える本庄渕(本城渕)のは、けっこう大きいものです。しかも、この周辺は、郡川が直角に曲がる所なので、水害その他で先人の苦労は並大抵でなかったことが容易に推測できます。

  水利の確保は、米の収穫=農家の収入に直結する大事なものです。このことは、現在も大昔も変わらなかったことでしょうが、とりわけ農業中心だった頃は、比重がさらに大きいものでした。(2013年)現在も、水害などに備え、郡川は河川改修工事が進んでいます。この堰も含めて周辺も工事によって良くなるのでしょう。

 できれば郡川の水害などは二度起こらず、この堰の出来た当時から寿古の農業を支え続けた役割を今後も果たして欲しいと願わずにいられません。閲覧者の皆様、郡川の土手道ウォーキングもいいですし、遠望の景色の素晴らしさも機会あれば楽しまれるのは、どうでしょうか。

(初回掲載日:2013年5月28日、第2次掲載日:2013年6月4日、第3次掲載日:2013年5月9日)



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