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大村発電所
写真集その4
役目を終えて 大村発電所

あとがき
(写真1) 1、2号機稼動時代
(写真2) 解体工事中、05年12月22日
(写真3) 煙突、建物撤去後、06年3月22日
あとがき
 
この「役目を終えて 大村発電所」のページも、あとがきを書くことになりました。既に書きました通り私は、昨年(2005年3月)発電所屋上からの撮影やその後の解体工事に入ってから実質1年くらい遠くから定点撮影もしてきました。

 その時点ごとに、あれだけ大きな、高い建物でも、現在の技術や重機をもってすれば、けっこう速いスピードで解体、撤去作業は進むのだなあと改めて思っていました。

 あと、このページを書くために、何回となくこれまで、ご紹介してきました九州電力・大村発電所から発行されている二つの記念誌を拝見することもできました。それと、私のまわりの方々からも、この発電所にまつわる様々な話をお聞きしました。

 1955(昭和30)年10月1日に1号機建設所が開設されてから、現在(2006年)まで、約50年間ですから、色々な角度からの話もありました。そのほとんどが、「懐かしいねえ」、「こんなこともあった、あんなこともあった」と話して頂きました。ただ、物事総て、いいことばかりではなかったことも事実でした。

 あと、口では簡単に「電気」とか「電力供給」と言えますが、例えば地震(私も阪神大震災を経験しましたが)の時などに電気が止まり、本当に今までの生活がいっぺんし、不便な時間を過ごしました。その時改めて正常に使える電気のありがたみを感じたこともありました。

 長崎県内や大村市内などで、どれだけ地震その他で電力がストップしたのか私は正確な記録を全然知りませんが、あまり多くなかったのではないでしょうか。いずれにしましても、この大村発電所は、まず発電所関係者の長年にわたるご努力ご奮闘があり、また、所在地の寿古町を始め、まわりの地域との関係も含め直接間接問わず多くの方々のご尽力で今日まで経過してきたのではと推察しております。

 私は、今回このページを書いてきましたのは、あくまでも福重地区(所在地は寿古町)に、その敷地面積、建物の大きさ、高さにおいて、大村市内では最大級の施設が存在していたと言う歴史的事実を記録したかっただけです。

 掲載しています写真や年月日の入った文章などを見て頂き「懐かしいねえ」と言って下さるだけでも、私はページを作成してきた者として嬉しい限りです。最後になりましたが、これまで、この特集ページを閲覧して下さった皆様方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

(最終掲載日:2006年3月25日)
大村発電所
写真集その4

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