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福重郷土史同好会
2014年の活動報告(1)

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第53回例会報告
日時:2014年1月28日19時00分〜20時40分、参加:4名 、場所:福重地区住民センター

報告など
(前回2013年12月4日例会以降から主な事項のみ)
(1)12月13日、上八龍の線刻石仏の移設打合せ(熊野権現の境内)6名参加
(2)1月3日、第65回福重地区成人式
(3)1月3日、福重小学校の二宮金次郎像を撮影(陶像の寄贈者は柴田三郎氏で沖田町の人だった)

(4)1月10日、三浦地区の城址を撮影・GPS計測
(5)1月21日、三浦地区の史跡、石塔、墓碑などの調査
(6)1月13日、三浦地区の城址を撮影・調査

(7)1月17日、郡三踊,国指定無形民俗文化財の指定答申
(8)1月19日、大村市健康づくり推進員・郡地区ウォーキングの福重史跡巡り、32名の参加あり。(上野が案内、説明した)

(9)1月21日、ナガサキピースミュージアムで2月25日〜3月19日まで「大村の馬頭観音写真展」開催が決まる
(10)1月23日、伊賀峰城の調査・撮影 ・報告

(10)1月26日、市内の馬頭観音5体ほど撮影
(11)1月27日、萱瀬中学校で出前授業=「萱瀬の名所旧跡」を講演(上野担当、概要報告あり)

議題
1)郡三踊(寿古踊・沖田踊・黒丸踊)が国指定無形民俗文化財の指定答申

経過報告だけでなく各自からも、主に下記の補足意見などがあった。

 ・文化庁より1月17日、郡三踊,国指定無形民俗文化財の指定答申があった。
 ・今まで国選択文化財だった。国指定無形民俗文化財になれば大変名誉なことである。
 ・当初、黒丸踊が先行して指定の方向だったが昨年、三踊り一緒に指定の方向になっていた。

 ・今後も踊りの保存などのご苦労があろう。少子化、後継者不足など課題も多い。
 ・三踊りの起源は諸説あるが、より「永正年間(1504年〜1520年)」頃が正しいようだ。やはり、「大村純伊」の「戦勝祝い踊り説」は年代も30年ほど合わないし、江戸時代・大村藩の創作(偽装)の歴史である。ただ、民俗文化財では歴史の検証はそれほど重要ではないようだ。

2)市史だより『なぅ』第2号(別紙参照)
 ・大村郷村記編纂で有名な藤野氏の寄稿された<『新編 大村市史』 ( 全五巻 )刊行の意義>が書いてある。
 ・市史第二巻「中世編」3月刊行予定が掲載されている。今から待ちどおしい。たぶんに福重の石仏なども載っているであろう。
 ・3ページには、織田信長に仕えた「大村角左衛門純常」のことが書いてある。ただし、信長の家臣について書かれてある本を見ても大村純常という家臣がいたことは書かれていないので、真偽の問題がある。

3)ナガサキピースミュージアムでの「大村の馬頭観音写真展」と馬頭観音について
 
(今回の例会でホワイトボードなどに15枚の馬頭観音写真を展示したので、それを見ながら討論した)
 ・馬頭観音については多種多様な説があるが、古いのは平安時代に建立されているので、その頃にインドから伝来したと思われる。国語辞典の大辞泉によれば「馬頭観音は、六観音・七観音の一。宝冠に馬頭をいただき、忿怒(ふんぬ)の相をした観音菩薩(ぼさつ)。魔を馬のような勢いで打ち伏せ、慈悲の最も強いことを表すという」と解説されている。

 ・種類で三面六臂(さんめんろっぴ)、三面八臂あるいは文字塔など、本当に多種多様にある。
 ・大村市内では未調査含めて40体以上であろう。その内35体位を上野は撮影、調査した。
 ・その中には姿形がいいのもあるし、近所にもあるので実物も見て欲しい。

 ・ナガサキピースミュージアムでの「大村の馬頭観音写真展」:2月25日〜3月19日

今後の例会予定など
 2014年4月8日(火)19時00分〜 、場所:福重住民センター

(以上)


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