第64回例会報告 
                    日時:2016年12月13日18時50分〜20時45分、参加:4名 
                      場所:福重地区住民センター 
                       
                      報告など(前回2016年4月12日の例会以降から主な事項のみ) 
                  (1)8月  3日、2名の福重地区史跡巡り(概要報告) 
                  (2)8月23日、第21空敞の資料を神奈川県在住の方より受領 
                    (3)8月27日、佐賀県立博物館展示の経筒や経典の撮影 
                     
                  (4)9月19日、(今富町)十二社権現の鳥居などの撮影、調査(関係ページ) 
                  (5)10月12日、福重の史跡巡り(2名)(概要報告) 
                  (6)10月15日、諫早キリスト教会の福重史跡巡り(10名)(概要報告) 
                   
                  (7)10月20日、米国戦略爆撃調査団報告書(大村 第21航空廠)の展示(8名)(概要報告) 
                  (8)10月26日、福重小・郷土史クラブ講話(14名)(概要報告) 
                  (9)11月10日、鈴田小学校で講話(講師:上野)(概要報告) 
                  (10)11月30日、福重小・郷土史クラブ史跡案内(14名)(概要報告) 
                   
                  議題 
                      1)米国戦略爆撃調査団報告書・第21航空敞について(別途資料、ビデオ参照) 
               (補足説明) 第21海軍航空廠は元々、佐世保海軍・航空機部で航空機の必要性から当初、同市の日宇(ひう)に移転予定だったが工場予定地の地盤が軟弱だったため大村移転となった。 
        
                  
                    
                       | 
                     
                    
                      米国戦略爆撃調査団報告書(表紙)  | 
                     
                    
                        | 
                     
                    
                       | 
                     
                   
                   第21海軍航空廠は1941(昭和16)年10月1日、放虎原周辺(現在の大村警察署、大村工業高校、大村郵便局、入国管理センター、旧管理庁跡地、運転免許試験場、市民病院、放虎原小学校の周辺)に開設された。敷地が66万坪の広さだったと言う。ここで零式水上観測機、紫電改などの海軍機、発動機や航空機部品などが製造され修理もおこなわれていた。 
                     
                     ・米国戦略爆撃調査団報告書---上記の21空廠のことを詳細に調べた報告書である。今年は翻訳中の約3割を発表した。残りも、いずれ発表予定である。  
                     
                     ・その他の展示物や資料説明。 
                     ・21空廠に関して従来の書籍類に書いてある各種数値と違う内容である。(例えば従業員数、製造機数など。詳細は点検、検証中である)  
                     
                     ・関係ページ:「大村空襲、大村海軍航空隊、第21海軍空廠(講演概要)」 
                     
                    2)岩屋権現跡、正蓮寺跡、唐泉寺跡、無量寺跡、済福寺跡などについて 
                       ・別途、6ページの資料参照。 
                     ・岩屋権現跡、正蓮寺跡、唐泉寺跡、無量寺跡、済福寺跡などを地図を示しながら説明し、質疑応答した。  
                     
                     「済福寺跡は、その名称が井手(用水路)に残っている。済福寺井手の井堰(取水口)は郡川に掛かるJR鉄橋の上流付近にある。そこから、国道34線の地下を通り、皆同交差点西側付近に流れていると思う」 
                      
                    「岩屋権現跡は広い石庭園にある大きな石の山側(東側)付近か、逆に下側の道路近くにある穴のあいた石付近ではないか」、「大村郷村記に書いてある岩屋権現の宮守の名前は武士である。現在、在住の方は同名なので、ご先祖になるのではないか」 
                     
                     ・地図(別途資料)に書いてある寺院跡の丸印は、他の寺院含めて、ほぼ正確と思われる。  
                     
                    3)「福重の石仏」講演会について 
                       ・ 内容------「福重の石仏」で特に、平安時代末期、経塚(経筒を埋めた小山)の上に乗っていたと思われる滑石製の石像(単体仏)の講演が中心なると思われる。 
                     ・講師-------(依頼中) 
                     ・開催日時---(2017年2月及び3月の予定) 
                     ・開催場所---福重地区住民センター・大会議室  
                     
                    次回の例会予定 
                     ・日時:2017年1月17日(火)19時30分〜 
                     ・場所:福重住民センター 
                     
                    (以上) 
                  |