最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク
福重郷土史同好会
2019年の活動報告(10)

目次ページに戻る
2019年7月10日、「郡川の飛び石と福重橋の歴史」の講話(概要報告)
「長崎街道インフラさるくin大村」にて講話 <手前側は大村高校生と、上野(奥のスクリーン右側)>

長崎街道インフラさるくin大村での「郡川の飛び石と福重橋の歴史」の講話(概要報告)
歴史グループで「郡川の飛び石」の4コマ作成中
(大村高校生と長崎ウェスレアン大学生)
大村市教育委員会の案内板(一部分)より
木造製の福重橋(大正時代初期の撮影)
福重橋記念碑(中央右が橋、左の山が郡岳)
1941年完成当時の福重橋写真
1941年完成当時の福重橋写真

日時:2019年7月10日10時30分〜10時50分
場所:大村高校・視聴覚教室
参加
101名(内訳:大村高校生72名、同校の先生4名、長崎ウエスレヤン大学生11名、同大学の先生2名、講師など12名)  <あと、報道関係者も取材に来て頂いた>
講師:上野
テーマ:郡川の飛び石と福重橋の歴史

講話の概要:


郡川の飛び石の変遷(主に3段階)
 1段階目・・・原始時代(縄文・弥生・古墳時代)
 2段階目・・・古代肥前国〜江戸時代前頃
 3段階目・・・江戸時代初期〜明治時代初期
----------・・・----------
福重橋の変遷(主に2段階)
 1段階目・・・木造橋の時代、1986(明治19)年〜1941(昭和16)年
 2段階目・・・鉄筋コンクリート橋の時代、1941(昭和16)年3月〜現在 (注:建設当時は歩道はなし。後年、橋の両脇に歩道が付けられた)
----------・・・----------

郡川の飛び石の時代は
1段階目・・・原始時代(縄文・弥生・古墳時代) “地元の地元による地元利用の飛び石”

2段階目・・・古代の道(官道)として、発展・整備された
 ・彼杵郡家(そのぎぐうけ)=郡役所(県央地域の県都=”ミニ県庁”みたいなもの。寿古町などにあった)  その役所があったことから、<本庄渕(ほんじょうふち=役所の前の渕という意味あり)>の名前が付いた郡川の渕(井堰)もある。

 ・古代の道と駅、新分駅(にいきた)=草場町に「馬込(まごめ)」の地名あり(奈良時代頃からか?) さらに、平安時代の延喜式で整備された。延喜5年(905年)

 ・つまり、この時代の飛び石は、古代・肥前国の首都(佐賀大和)と郡役所を結ぶ官道として発展、整備されたと思う。

3段階目・・・長崎街道が大いに栄え、発展
 <シーボルトの本、有名な飛び石の絵(このページ上から2番目写真参照)

 飛び石の標準規格:個数は46個大きさは(長辺)210cm、(短辺)84cm

<ここで、飛び石についてのクイズ>
(1)飛び石は、「A:縦列だったか? 、 B:横列だったか?」   答え「B:横列だった」

(2)なぜ、長辺210cmもある大きな石にしたのか?  答え「行き来の武士が、お互いに相手の刀に触れてしまわないように(ケンカならないように)、横幅の大きな石にした」

福重橋の時代は
1段階目・・・木造橋:1886(明治19)年〜1941(昭和16)年 、木造橋の記念碑:1886年 
  (木造橋用の)水切り石: 大きさ:高さ65cm、横幅80cm、厚さ27cm、周囲210cm

2段階目・・・鉄筋コンクリート橋、1941(昭和16)年3月〜現在。後年、両脇に歩道新設。
        1939(昭和14)年度資料:「福重橋設計書、長さ58m、幅8.4mの鉄筋コンクリート造、工費43,100円」

福重橋関係のインフラ整備のまとめ
(飛び石から鉄筋コンクリート橋までで見えてくること)
 1)飛び石・木造橋・鉄筋コンクリート橋と、その形態や内容は違っても役割は同じであった。
 2)その年代の人の往来や経済とともに進展した。
 3)より災害(水害)に強い構造となった。
 4)飛び石も橋も、水や空気と同じくらい大事だ。
 5)特に、保守・点検・整備が極めて重要である。

福重橋の周辺にある史跡
 (1)祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう) 沖田町、飛び石の近くにあり旅人も道中の安全を祈願した

 (2)(通称)宝塔様(ほうとうさま)    皆同町、日清戦争の従軍と慰霊碑(飛び石の近くにあり)

 (3)長崎惣兵衛(そうべい)の墓   沖田町 玖島城(大村城)築城の奉行(まとめ役)だった

 (ご参考までに、福重は古い土地柄なので、上記(1)〜(3)項目以外にも史跡も多い。それらの史跡を福重ガイドマップにも載せている。)

----------・・・----------・・・----------
・質疑応答(下記は、上記の講話時と4コマ作成時などに出された質問をまとめて書いている)
 Q1:郡川の飛び石は、どんな石(石材)か?
 A1:玄武岩だ。 (このページ作成時の補足ながら:郡川の飛び石について-----オランダ商館医シーボルトの著書『日本』 には、「森を流れる川で深くはないが、ときには急流となり、このあたりでは二筋に分かれて海に注いでいる。大きな玄武岩が河床に横に並べてあって、それを渡って人や荷馬が通っていく。」と記述してある)   :「2019年7月10日、長崎街道さるくin大村(概要報告)」ページも参照)

 Q2:なぜ、玄武岩だったのか?
 A2:たぶん、頑丈な石(石材)だったからと思う。

 ・関係ページ:「2019年7月10日、長崎街道さるくin大村(概要報告)」 、「福重橋(郡川の飛び石」 、 「郡川




最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク