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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)  バックウォーター現象(逆流現象)
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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害) バックウォーター現象(逆流現象)

バックウォーター現象(逆流現象)
 
このページ内容は、2020年7月6日の大村水害(豪雨被害)におけるバックウォーター現象(逆流)などについて、まとめたものです。まず、下記のデジタル大辞泉(国語辞典)と、2019年10月16日、東京新聞に掲載されたイメージ図を参照願います。

 出典:2019年10月16日、東京新聞の掲載図より
注:左右の図とも[2020年7月6日、大村水害」時に発生したと思われる。
 ・用語解説:バックウオーター(backwater)とは、「下流での水位変化の影響が上流に及ぶこと。豪雨などで本流の河川水位が高くなると、傾斜が緩やかな支流の水位が、本流との合流地点より上流で急激に高くなる現象をいう。堤防が決壊し、甚大な被害を及ぼすことがある。背水。バックウオーター現象。」(デジタル大辞泉より)

2020年7月6日の大村水害時のバックウォーター(逆流)現象例(概要)
 2020年7月6日の大村水害時、例えば福重地区の水害の場合、15時30分前までは一部堤防や水田被害などはあっても、佐奈河内川(さながわちがわ)の水流は、郡川(こおりがわ、本流)へ流れていたと推測されます。しかし、さらなる大雨と萱瀬ダム放流などにより、16時前後頃より、あまりにも郡川(本流)の水位が高くなったため、その水圧(圧力)に負けて佐奈河内川の水は、郡川への行き場を無くしてしまいました。

 そして、その濁流は、佐奈河内川の右岸堤防決壊後、まるで1本の川が新たにできたみたいに今富町と皆同町の低い土地=耕作地や住宅地を流れ下ったのでした。分かりやすい表現にしますと、郡川(本流)の水自体が、まるで佐奈河内川を堰き止める”堤防”みたいになったので、その濁流は行き場を無くしてしまったと思われます。

 念のため、仮の推測ながら、たとえ佐奈河内川の右岸側の堤防が頑丈で決壊しなかったとしても、この川の水は滞留後、行き場を無くして、堤防から乗り越える感じで先の両町に濁流が押し寄せたことは、容易に想像されるでしょう。なお、このバックウォーター(逆流)現象は、全国各地の例からして、なにも合流地点から何キロメートルも遡る(さかのぼる)とか、堤防が決壊(損壊)しない限り起こらないというものではないようです。

 今回の福重地区の水害の場合、佐奈河内川の水の滞留堤防決壊逆流現象低地への氾濫など、全て発生したと推測されます。特に、萱瀬ダムにある最高貯水位を越えて2門(洪水吐き=穴が大きく空いている所)からの流れが大きくなり、それまでの自然増水より郡川(本流)の水位が一気に上がったと推測されます。そして、その時間頃より、さらに本流の水圧(圧力)に負けて佐奈河内川の水は、郡川への行き場を無くしてしまったと思われます。

 そして、佐奈河内川の水は、そのままの量で低地へ流れたので、床上浸水まで発生したとも推測されます。また、萱瀬ダムは、さらに洪水時に最高水位(ダムの高さ近く)まで流水量が越えると、先ほどの2門より上部にある10門の越流口から水が流れる仕組みになっているようです。詳細な時間と、どの門か不明ながら、2門時か、10門時かに放流を知らせる聞き慣れない警報サイレンも鳴っていました。(なお、濁流時間や各地の水位なども上野は調べましたので、後で書きたいと思っています)

2020年の水害雨量は1957(昭和32)年 大村大水害に比べ半分しかないのに何故、逆流現象まで起こったのか?
 既に掲載中の「気象データ」ページにも詳細に書いています通り、死者19名を始めとして大きな被害のあった1957(昭和32)年 大村大水害の雨量に比べ、下記の不等号のように今年2020年7月6日の雨量が圧倒的に少ないです。

 A)24時間雨量----------1957(昭和32)年が732.0ミリ  2020(令和2)年が384ミリ
 B)1時間雨量-----------1957(昭和32)年が141ミリ   2020(令和2)年が94.5ミリ

 これは、いつでも起こりうるかもしれない「想定内・予想内の雨量」どころか、分かりやすく言えば、今年2020年7月6日の雨量は、1957(昭和32)年 大村大水害約半分だったのです。そのことは、上野が市内全域で聞き取り調査した約80名の内、約3割にあたる現在70歳(前後)以上の方々が、異口同音に「今年の雨量自体は、1957(昭和32)年 大村大水害より、大したことなかったバイ」とか、中には被害に遭って田んぼの石を片付けながら、「大村の歴史上、最大雨量などと間違ったことを言うな!」との発言をされた方も5名ほどおられました。

(2020年7月6日)福重地区住民センター周辺の濁流
16時頃で奥側の低地の水位は50〜60cmのようだ。
(松本氏提供の動画より)
(1957年、大村大水害の写真)岩松駅付近
(線路が曲がり、盛土が流されている写真と思われる)
<『大村のあゆみ』(1972年2月11日発行)の68ページより>
 私自身も過去の水害2回(昭和32年、昭和37年)の経験者でもあるので、先の体験者の方々と全く同じ意見です。ただし、念のため、大村大水害に比べて雨量は約半分だったというだけで、通年(通常)の雨量よりは、多雨だったとも思います。

 そのような毎年でも発生しうる「想定内・予想内の雨量だった」にも関わらず、1957(昭和32)年 大村大水害や、1962(昭和37)年の被害よりも、一部地域において何故、今回の被害は大きかったのでしょうか? この疑問については、先に「水害要因とダムとの関係」ページにも掲載中で、その被害状況」ページもありますので、参照願います。

 本ページでは、過去の水害2回(昭和32年、昭和37年)で、話題にならず、今回大きな水害要因の一つとも思われるバックウォーター現象(逆流)のみを中心に書いています。ただし、私は、過去2回の水害時に、佐奈河内川郡川逆流現象は、大きくは起こらなかったと思っています。それは、何故か? 当時、郡川(本流)の濁流は、左岸側にあった竹松町や沖田町の堤防を決壊させ、その低地を流れ下ったからです。

 だから、今年大きな被害が出た例えば今富町などでは、1957(昭和32)年 大村大水害当時も被害がありましたが、それは主に田畑であり、今回みたいに「床上・床下浸水」など住宅被害は、無かったのです。ただし、鈴田地区の鈴田川と支流になる二つの河川の合流周辺では、今年と同じような逆流現象があったと思われます。

・鈴田川水系でのバックウォーター現象
 例えば、右側の「(1957年、大村大水害の写真)岩松駅付近(線路が曲がり、盛土が流されている)」をご覧願います。この古写真は、『市政施行30周年記念特集号 大村のあゆみ(1972年2月11日、大村市発行)、に掲載されているものです。鈴田地区の水害説明文として、「 (前略) 鈴田、岩松附近は山間部から濁流が一挙に鈴田川河口に奔流し、水田は一瞬河床となり巨大な岩石を流出し、ざらに岩松駅を中心として鉄道、国道寸断され、附近の橋梁、住家等、欠壊、流失した。 (後略) 」と書いてあります。

 この被害写真の周辺には、鈴田川(本流)だけでなく、針尾川、稲河内川、白鳥川などの支流も集まってくる地域です。さらに、もっと大きいのが大村湾(海)の存在(水位)です。私が調べて見ますと、この海の水位と針尾川と鈴田川の合流周辺までは、その差は数十センチです。つまり、海との差は無いのに等しいくらいです。あと、同じく岩松駅付近で約1m、さらに鈴田川河口から直線で1.5km上流の白鳥川との合流地点でも、4m少ししか標高差はないのです。

 つまり、鈴田川の下流域は、その周辺全体が低地です。そのため、1957(昭和32)年 大村大水害当時も先の河川全部の濁流が、大村湾(海)の水位に押し戻され=バックウォーター現象化して、滞留堤防決壊したため上記の被害写真となったものと思われます。この逆流現象は、今年2020年7月6日の水害時も発生し、国道34号線の大規模な冠水となったと推測されます。



 (後半部分は、準備中。しばらく、お待ちください)



 

 (初回掲載日:2020年10月9日、第2次掲載日:10月11日、第3次掲載日:8月 日)


関係HP  2020年7月6日 大村水害  大村市・福重地区の水害状況(写真と説明文) 掲載中
 1957年7月25日〜26日発生  1957(昭和32)年 大村大水害
掲載中


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