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福重の写真集 その503
2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)、 福重地区の水害状況(写真と説明文)
2020年7月6日、大村水害」特設ページ(もくじ)へは、ここから、どうぞ。
 (写真1) 今富町 佐奈河内川に架かる今富橋直ぐ下流部の堤防が決壊広い田んぼに被害。(右岸側の堤防がなくなっている)
(石や土砂や見えている田んぼは、本来、左下側と同じ稲が生えていた美田だった)
(写真2) 野田町 (右端側の)野田川上流域 の田んぼ被害
(手前が上流側、写真奥の下流両岸にも田んぼ被害がでている)
(写真3) 立福寺町 河内橋直ぐの下流部
(左端側の)佐奈河内川中流域の田んぼ被害

2020年7月6日、7日 大村市・福重地区の水害状況(概要報告)
日時:2020年7月6日〜7日
撮影場所:
今富町、野田町、立福寺町、重井田、皆同町、福重町、草場町、弥勒寺町、寿古町、(ただし、沖田町だけは「被害なしとの情報だったので」撮影できていない)
撮影者:
上野
関係ページ:大村大水害<1957(昭和32)年に発生した災害 (大村大水害を語り継ぐことも大切では(天災は忘れた頃にやってくる)
(写真4) 今富町 ビニールハウス被害(手前側は用水路)
(写真5) 皆同町 福重出張所・図書室
本棚の1段目まで浸水したのでデスクの上に本を積んでいる 
 (写真6) 皆同町 石走川=よし川、(石走)橋の直ぐ(下流)左岸
(堤防が決壊して)道路が1/3ほど無くなっている 
(写真7) 福重町 福重小学校の運動場が冠水
(ただし上記写真は既に水が引いた状態。水の流れた跡あり) 
 
<注意>本ページ掲載写真は、上野が撮影した分だけでなく、市民から善意で被害写真を提供して頂いた分もあるので、著作権その他の関係上、複写や二次利用は原則禁止とする。
 注1:写真枚数は日数かけて順次増やしていく予定。
 注2:水害の情報・写真などを求む。<メールページから願う>。

経過概要や進行中の主な内容:まず、2020年7月6日10時48分、大村市の防災情報(防災無線、市HPなど)として、「当地域に、大雨警報が発表されました。今後の気象情報に注意してください」との情報があった。その後、ずっと避難所開設・洪水警報・避難勧告発令・避難指示の発令・道路規制情報・災害注意情報・停電情報などが出されていた。

 その時間進行とともに気象庁発表で「15時20分長崎県で記録的短時間大雨 大村市付近で約110ミリ」という大雨が降っていた。この時、既に萱瀬・竹松・福重の3地区を流れ下る大村市内で最大の河川である郡川(こおりがわ)を始め、福重地区内を流れる佐奈河内川(さながわちがわ、郡川の支流)野田川(のだがわ、佐奈河内川の支流)石走川=よし川などの水位が上がっていた。

 そして、正確な時間不明ながら佐奈河内川に架かる今富橋(今富町)直ぐ下流側にある堤防の右岸が決壊して(写真1参照)、一気に洪水が、今富町や隣町の皆同町へ用水路、田んぼや市道を伝い流れ込んだという。そして、ほぼ同時に今富橋下流付近の広い田んぼ(写真1参照)や、福重飛行場跡(今富町側)近くの家や田んぼ、同町を通る市道の南西側に数棟あるビニールハウスの約90%が使用不可になる位の損害(写真4参照)が出た。

 さらに、その洪水は流れ下り、16時頃に、福重住民センター(福重出張所)などにも達して、建物の玄関フロアーレベルから約20cmの高さ(その前にある駐車場=グランドレベルからなならば50cnの高さ)まで浸水してきたので、住民の避難所としても使えなくなった。また、図書室にある本棚の下から1段目まで水がきたので(写真5)の通り、本が濡れないようにデスクの上に積み上げたという。また、同時にエレベーター内まで浸水し、その後、使用できていない。

 また、上野の推測ながら先の時間帯前に既に、佐奈河内川の中流域である今富町の中田橋(レインボー道路の橋)の上下流の堤防、立福寺橋(りふくじばし)の下流部の堤防が決壊したと思われる。さらに、佐奈河内川の中上流域に架かっている「大勝橋」下部付近の堤防、その上流約300mにある「河内橋」下部付近の堤防の決壊があり、いずれも大きく広い田んぼの被害があった。 また、野田川の上流部にある堤防が何か所も決壊して、右岸左岸にある田んぼが、広く大きく被害が出た。

 さらに、皆同町と福重町の間を流れる石走川=よし川流域では、矢上橋の上流数十メートルの田んぼは、低い位置にあるため、大雨時に浸水したのは、過去何回かあった。しかし、今回はそれだけでなく、(石走の)橋の直ぐ(下流)左岸(九州電通の入口近く周辺)で、堤防の決壊があり、そのため道路が約10メートルの長さ、幅で3分の1程が無くなっている。(写真6参照) また、その直ぐ近くにある柳町団地の住宅には、駐車場などに水が浸入して、車の床面くらいの高さだったという人もいた。 あと、いつも大雨時に通行不可になる皆同町にあるJR大村線、アンダーパスが洪水で溢れ一時期、通行不可になったと聞いた。

 福重町にある福重小学校では、運動場に浸水したと聞いた。大雨のため、6日、児童は早期に帰宅し、7日は臨時休校の処置がとられたという。

床上・床下への浸水被害
 (詳細を調べていないが)皆同町や今富町などの民家では、数十戸におよぶ床上・床下への浸水被害があった。(この項目は、分かりしだい追加をしていく予定)

 あと、上記は、あくまでも私が見た範囲内であって、例えば、佐奈河内川でも野田川の最上流部にある田んぼ、道路、山林などは確認できていない。実際、強雨のため危険防止上、両河川とも調査を中断したので、もしかしたら、もっと被害があるかもしれないと推測している。 (なお、7月8日も重井田町と野田町を中心に撮影に行ったが、上記に書いている通り、両河川の上流部の被害も大きい。後日、写真は掲載予定)

 なお、上野の素人考えと、経験上からではあるが、今回の福重地区の大きく、広範囲の水害は、1957(昭和32)年に発生した大村大災害に匹敵するか、田んぼだけの被害ならば、その大きさ・広さは規模が大きいと思われる。正確な被害(規模)情報は、公的な「大村市全体の被害状況のまとめ」を待ちたい


 (注意:まだまだ、被害状況は沢山あると思う。また、上野が把握している情報で間違いもあるかもしれない。そのようなことから今後も、できるだけ、追加、改訂を繰り返しながら掲載していきたいので、ご容赦願いたい。なお、写真は今後も含め数十枚の被害写真を掲載する予定) 

(写真8) 今富町 レインボー道路の中田橋から約40m上流地点で市道が壊れアスファルトがめくれ上がっている
(右側は佐奈河内川、中央奥の紅白柱の奥に消防団詰所がある。奥の高い橋脚は長崎自動車道、左奥側は立福寺町) 
 
(写真9) 今富町 (写真8)の反対側から写す。市道が壊れている
(左側は佐奈河内川、奥中央上部は中田橋)
(写真10) 今富町 中田橋から下流へ約50m、堤防が壊れている
(中央部は佐奈河内川、奥右端側はライスセンター、最奥は野田町)
(写真11) 今富町 中田橋から下流へ約150m、佐奈河内川
水田と堤防が壊れている
 (写真12) 今富町 中田橋から下流へ約150m、佐奈河内川
(写真11)を下流側から撮影、水田と奥の堤防が壊れている
 (写真13) 野田町 野田橋から上流へ約600m、赤似田堤から下流へ約610m。右側は野田川。上流から撮影。
中央部:本来は広い水田である、用水路も、ほぼ全部壊れている、中央部右の堤防が全部決壊
 (写真14) 野田町 (写真13)の反対側(下流)から撮影、左側は野田川
堤防が壊れている。手前から最奥まで、ほぼ全部の水田に被害
 (写真15) 野田町 赤似田堤から下流へ約430m。壊れた水田
まるで小さな池みたいだ。奥側は野田川
(写真16) 野田町 野田橋から上流へ約540m。中央部の堤防が壊れ、川と水田が同じ高さだ。手前の2個の石は合計推定10トン位か? (写真17) 野田町 (場所は16の下流) 水田と石垣や土羽が完全に壊れている。まるで小さな池ができた
 (写写真18) 野田町 (場所は16と同じ) 用水路が壊れている。たとえ水田に被害がなくても水が供給できず、稲は育たない (写真19) 野田町 野田橋から上流へ約410m。土羽と用水路(U字構)が壊れた。U字構が復旧できないならば稲は生育しない
(写真20) 立福寺町 佐奈河内川の中流域(大勝橋周辺) 本来中央部にあった堤防が壊れて無くなっている
水田には大小の石がゴロゴロある。最奥左側の橋脚は長崎自動車道。右端の道は立福寺町と重井田町をつなぐ市道
(写真21) 立福寺町 (20の反対側) 右端側は佐奈河内川コンクリートめくれ堤防が壊れている。水田には石がゴロゴロ  (写真21) 立福寺町 左端側は佐奈河内川コンクリート、中央部の用水路水田の土手が壊れている。(上流側から写す)
 (写真23) 立福寺町 水田の土手が壊れている河内橋大勝橋の中間にある水田は、どこも同様である。右端奥側は佐奈河内川 (写真24) 立福寺町 (写真23)の説明と同様で水田の土手が壊れている。高さ約1m50cm、横幅40m強。奥側は佐奈河内川
 (写真25) 立福寺町 中央部の堤防が壊れている。手前側は佐奈河内川右端側に河内橋がある。 (写真26) 立福寺町 左側の用水路が石で埋まっている。水が無ければ稲は生育できない。右上端側は重井田ダム(防災ダム)
(写真27) 重井田町 重井田の大神宮の直ぐ上流側、堤防(石垣)が決壊。1m〜2m位の大きい石がゴロゴロ
ここは左上部の
(残っている)石垣の通り、大きな石で頑丈に築かれた石垣だったが。 通常は清流の佐奈河内川(上流部)である。
(写真28) 重井田町 重井田の大神宮鳥居周辺に土砂が流れてきた。中央部奥の小さな白板は史跡説明板。右奥側は佐奈河内川 (写真29) 重井田町 小規模の崖崩れと出現した落差5m程の。 大神宮近くから約50m登った市道脇。崖崩れ沢山あり
(写真30) 重井田町 丸尾橋から上流約150mの左岸側、堤防の決壊。川床にある石は冷蔵庫の半分位の石がゴロゴロある。  (写真31) 重井田町 丸尾橋から上流約200m、佐奈河内川の川床にある大きくて分厚いコンクリートがめくれて、流されている
(写真31) 重井田町 丸尾橋から上流約220m、右岸堤防の決壊。右奥側のコンクリート石垣と対比願う。右側は佐奈河内川 (写真32) 重井田町 野岳湖ロザ・モタ広場の南東側の崖が一部崩れ。手前側道路から数10m離れているので通行に支障なし。
(写真33) 弥勒寺町 弥勒寺公民館から東に約100m。水田の土手が幅7mほど崩れている (写真34) 弥勒寺町 弥勒寺公民館から北西に約60m。水田の土手3か所(いずれも幅3mほど)崩れている 
(写真35) 弥勒寺町 弥勒寺公民館から北に約100m。用水路の石垣が崩れている (写真36) 弥勒寺町 場所は(写真35)と同じ。壊れた用水路から水田に土砂が流れ込んでいる
(写真37) 草場町 町墓の南東部(この写真の左奥側)から約12mの水田。土手が高さ幅とも約8m崩れている。(手前は広い水田) (写真38) 草場町 馬込水源から北東へ約120m。.用水路に土砂が埋まり、土手が一部崩れている。(パイプの上が用水路)
(写真39) 草場町 (写真38の近く) 水田の土手が崩れている。手前側は道路。  (写真40) 草場町 馬込水源直下の馬込川の堤防が高さ約1.5m、幅約6m、決壊している
(写真41) 福重町、石走川(=よし川)のに架かる橋と右岸のハウス。洪水は橋の高さを軽く超えていたという。 (写真42) 福重町 (写真40)のハウス内。水位1m以上の濁流が押し寄せコニファーなどに被害。奥側は草や小枝が散乱している。
 (写真43) 福重町 、石走川(=よし川)の左岸にある約50戸の柳町団地。駐車場の車に浸水被害があったという。   (写真44) 福重町 草場の松尾(まつのお)神社から西へ(下った)約260mの所。用水路近くの土手が崩れている
福重小学校・運動場の冠水と廊下などへの浸水。運動場は浅くても5cm、深い所では10cm強、冠水したようだ。
(1階の渡り廊下なども水浸しになった。 下記(写真45〜48)は福重小学校からの提供をトリミング加工した
(写真45) 冠水した運動場、奥左側に相撲場がある。7月6日の動画から写真加工した。車は保護者が迎えにきたもの。 (写真46) 運動場、奥側は九州電通、右の木立奥が体育館。奥側の水位は10cm前後はあるようだ。
(写真47) 右側の東校舎の横(北側)にある階段が滝のようになっている。手前の空き地が水位10cm強の池みたいに見えている。  (写真48) 水浸しの渡り廊下。(中央奥側は便所) 通常の大雨の日でも当然ここまで水は来ない所だ
寿古町、郡川の本庄堰(本城堰、ほんじょうせき)と、平四郎堰(へいしろうせき)
注:下記(写真49)のみ通常期の本庄堰(本城堰)2015年10月3日撮影。 他の(写真50〜52)は今回の水害以降の写真。 
(写真49) 寿古町 通常期の本庄堰(本城堰)=2015年10月3日撮影。郡川の大規模な改修工事後、この堰(せき)可動式の堰となった。 (写真50) 寿古町 水害後の2020年7月11日撮影の本庄堰(本城堰)。中央部の堰にテトラポットが載っている。ただし、取水はできているようだ。
(写真51) 寿古町 2020年7月11日の平四郎堰。通常(写真49)と同じような、あるはずの可動堰自体が水害時になくなっている。堰のあった跡がコンクリート壁に白く残っている。 (写真52) 寿古町 (写真51)の説明文通り堰がなくなったので、(中央部にある)平四郎堰の取水口から取水ができない。つまり、水田に水がいかない。
JR大村線(皆同町)、道床(砂利の部分)、路盤、盛土、犬走が水田に流され、空洞になった。
このためJR大村線は数日運休、復旧工事後に運転再開。(53と55は内田氏からの提供写真。撮影場所は各農道から)
ここは石走川=よし川があるだけでなく、洪水時、線路に対し直角に草場町からの用水路から流れ下る場所でもある。
(写真53) (2020年7月7日撮影)  皆同町・JR大村線 中央部:本来あるはず線路下の道床(砂利の部分)、路盤盛土犬走なくなって、先が見えている。同じような所が数か所あった。手前側の水田に流された土砂が堆積している。
(写真54) 皆同町・JR大村線、上記(写真53)と、ほぼ同じ場所。復旧工事が終了。 新しい砂利が線路下にしかれている。 土のうも置かれている。奥に見えているのは新幹線の橋脚。 左方向に石走川=よし川に架かる鉄橋がある。
(写真55) 皆同町・JR大村線、(写真52)より南側でも道床(砂利の部分)などが流され先が見える。手前の水田に、その砂利がある。
(写真56) 皆同町・JR大村線、(復旧後の写真) 左が線路側で、そこから右側の水田に砂利などが流された
皆同町、福重地区住民センター、第11分団・消防団詰所前を濁流が流れている。
この(写真57、58)は、松本洋介氏から掲載許可を頂いた動画から上野が静止画へ、トリミングとCG加工した写真である。
郡川の支流・佐奈河内川バックウォーター現象(逆流)して濁流が、郡川右岸堤防に沿って住宅地や農地を流れ下った
(写真57) 皆同町福重地区住民センター、右側は住宅地予定地。濁流は一気に押し寄せたという。 通常の(写真59)と対比を願う。
車道より高い歩道を歩く人の膝
(ひざ)の高さから推測して、この時点でも水位は40〜50cm位あったと推測。その後、さらに増した。 
(写真58) 皆同町、第11分団・皆同詰所前の市道「フルーツの里ふくしげ」看板駐車場など。 通常の(写真60)と対比を願う。
上記(写真57)と同時刻撮影なので、この時点で同様に、水位は40〜50cm位あったと推測。その後、さらに増した。
(写真59) 通常期の福重地区住民センター。 注:(写真57)との対比用に掲載。この市道・歩道を右から左へ濁流が流れ下った (写真60) 通常期の市道看板など。 注:(写真58)との対比用に掲載。7月6日、この市道・歩道を右から左へ濁流が流れ下った
(写真61) 皆同町、大庭梨園(直売所)から北東側へ約110m行った田畑。長さ約65mの石垣が崩れて水田に流されている。 (写真62) 皆同町、(写真61)の右隣、長さ約70mのハウス。この場所のトマトは全滅、電気設備や施設にも大きな被害が出た。
(写真63) 皆同町石走川=よし川の堤防が決壊。(写真6)の反対側(下流側)から撮影。道路が1/3ほどなかったが、仮工事実施済み。 (写真64) 皆同公民館、床上浸水はなし。 注:右側の金網地面から80cm位小枝や葉っぱが付いている
今富町、福重飛行場跡周辺には床上床下浸水、水田、ハウスなど様々な被害が出た。
最初、用水路が増水し、その後、佐奈河内川の堤防決壊や、バックウォーター現象(逆流)し、まるで新たな川ができたみたいに、この農道(福重飛行場跡)周辺を濁流となって流れ、大被害となった 
(写真65) 今富町、右端の農道(福重飛行場跡)、左側は郡川の右岸堤防。手前側:水田のコンクリート製の畔(あぜ)流されている。 目測ながら長さ10m前後あり、通常は水田の土や水をためている強いものである。コンクリート製の畔は何本も流されている。
(写真66) 今富町、左側方向は郡川の右岸の堤防、手前左側は用水路。右側の住宅地前は農道(福重飛行場跡) 水田に大小の石が散乱、手前の方は小さな池みたいになっている。右奥側の水田も被害が出ている。
(写真67) 今富町、農道(福重飛行場跡)近くの墓地。 中央部:墓地の地盤までも損壊。ブロック内の地面より高く浸水した。
(写真68) 今富町、昊天宮グラウンド手前側の水田被害。 水田に大小の石が散乱して、地盤がえぐられている。
(写真69) 今富町、奥左側2階建ての右方向が農道(福重飛行場跡) 水田と(手前の)用水路に大小の石があり、被害が出ている。 (写真70) 今富町農道(福重飛行場跡)近くのハウス被害。 注:片付けもされている。ブドウの木以外は、ほぼ全面被害という。
今富町郡川(本流)側の堤防で数か所の損壊
 この周辺一番大きい被害は、郡川の右岸で矢次橋上流側へ約140m地点から黒丸井堰
(くろまるいせき)の間、高さ約4m、長さ約140mの堤防が損壊した。また、その他の堤防にも被害がある。
(写真71) 今富町矢次橋の郡川上流へ約140m〜約280mの間。高さ約4m、長さ約140mの堤防が損壊。(奥右端の山は郡岳、奥左側は武留路山) 堤防(道路)の幅は約7m。片側面の損壊で、両側の決壊とまでは今回なっていない。
(写真72) 今富町(左側方面など) 右側の 矢次橋の下が郡川の本流、左側が佐奈河内川。 中央部は2河川の合流部。2河川の堤防が各所で決壊、損壊した。合流部から佐奈河内川バックウォーター現象(逆流)が起こり決壊した所から濁流が今富町や皆同町に押し寄せた
(写真73) 今富町郡川の堤防の損壊。(写真71)の下流側。この撮影時には一部、土のうが積まれ工事中であった。 (写真74) 今富町郡川の堤防の損壊。(写真71)の上流側。一部分を除き堤防が損壊している。右手前側は黒丸井堰の一部。
(写真75) 今富町郡川の堤防の損壊。(写真74)の上流側。中央部奥の堤防が損壊。右側の黒丸井堰も壊れている。 (写真76) 今富町郡川の堤防の損壊。ここは(写真72)の矢次橋より約230m下流側。既に土のうが積まれている。右側は井堰。
今富町今富公民館周辺の農地やハウスなどに被害
 この周辺はハウス、水田、畑、堤防などに被害が出た。その原因として佐奈河内川と、野田川(山田川)の大幅増水と思われる。
(写真77) 今富町、(右奥側)今富公民館前(南東側)のハウスの骨組みや作物に大被害。公民館の後方側に佐奈河内川と、被害箇所から右側(北北東側)約100mに野田川から流れてくる用水路がある。どちらとも大幅増水した。右側の農道の上には大きな木の切り株まである。
(写真78) 今富町、左方向(北北西側)にある今富公民から約110mの農道の土手が高さ約2m、長さ約10mで損壊している。注:このような崩れは今富町には何か所もあり、用水路にも被害あれば稲は生育しない。 写真右側で農道奥の建物はライスセンター、左最奥の山は武留路山。
(写真79) 今富町、(写真77)の逆側=今富公民館前の道路から撮影した同じハウスの被害。骨組みが曲がり、石や丸太が散乱している。 (写真80) 今富町、(写真奥側に写る)今富公民館と(写真78)の中間位置。農道の土手が高さ2m弱、長さ約20mと崩れている
皆同町JR大村線・皆同ガード下(アンダーパス)の冠水と周辺民家・商店への浸水被害
下記(写真81)はNさんからの提供写真を上野が横長写真へトリミングしたもの。
(写真81) 皆同町、JR大村線・皆同ガード下の冠水。通常写真=(写真82)と対比を。ガード下の最底部は標高4.0m、その周囲の本来の道路標高は約6.2.m。右側:沖田商店前にある小型郵便ポスト土台石の2/3位まで洪水が来ている。この店内の床へも浸水していた。
通常の(写真82) 皆同町、JR大村線・皆同ガード下。上記(写真81)と対比を。右奥側がガード下。中央部左方向に皆同公民館がある (写真83) 皆同町皆同公民館の金網に付いた葉っぱなど。 右側の市道(標高6.2m)より約80cm高く濁流が流れた証拠でもある。
空中写真(この写真は大村市役所から提供して頂いた) 今富町周辺の被害状況の良く分かる写真である。
マスコミでも下記写真の手前側にある被害の出た水田周辺や、奥に小さく写っているハウスの被害は当時何回も報道されていた。
(写真84) 今富町、手前右側は今富橋と市道。その下を流れるのが佐奈河内川で、手前中央部=右岸の高さ約3m、長さ約70mの幅で堤防が決壊した。左側は郡川(本流)と矢次橋など。茶色に見える水田は、ほぼ全て被害に遭った。この水害要因は郡川(本流)が大雨と萱瀬ダムの放流もあり一気に増水したので、佐奈河内川の水の行き場が無くなりバックウォーター現象(逆流)した。そして、手前側の今富町、さらには写真左奥側にある皆同町の民家や農地に新たに一つの川ができたように濁流が流れ下った。結果、床上・床下浸水、車両はじめハウスや農地などに大被害がでた。<福重地区の被害の詳細は、ここからご覧下さい>。
郡川の大増水(下記の横長写真2枚はAさんからの提供) 2枚写真の場所は郡川の河口から上流へ約1kmにある本庄堰(本城堰)、堰上流部、さらに福重橋の下流約70m地点周辺までを撮影したもの。 (写真86)の撮影時間は7月6日の15時50分と分かっているが、(写真86)は正確には不明ながら、先の時間と大きくは変わらないのではと推測される。
 (写真85) 寿古町側から撮った郡川の大増水。写真奥側にある本庄堰(本城堰)の堰自体の横幅は約60m、その両岸堤防間は約70m。その堰の上流部=写真中央部の郡川川幅は約120m。大村市内で最大河川の郡川で、この周辺が最大川幅でもあるが、そこを濁流が流れ下っている写真である。右側方向には寿古公民館、寿古公園や寿古町の住宅地がある。対岸=左端側は沖田町。 
 (写真86) 寿古町側にある(妙宣寺と関係ある)慰霊碑=(通称)「宝塔様」付近から撮影された郡川の大増水。ここは福重橋の下流(右岸側)約70m地点周辺から郡川と、対岸(沖田町)方面を写したもの。両岸の堤防間の幅は約60mで、その幅いっぱいで高さ4〜5mと思われる濁流が流れ下っている。中央部の両端に写る小山のような濁流は堤防を越す勢いである。 手前側=右岸側の堤防の損壊、さらに親水用に川床に設置された歩道(分厚いコンクリート製品)は沢山壊れて流された。
福重橋周辺、郡川河川敷の被害(福重橋は皆同町と沖田町をつなぎ、郡川(こおりがわ)に架橋されている。長さ57.84m、高さ6.90mである) この橋の下部周辺(右岸側)の親水用のコンクリート歩道や堤防の石垣に被害がでた。
 (写真87) 下流側から写した写真の上部は福重橋。 皆同町側にある親水用コンクリート歩道の損壊(手前左側が、めくれ上がり流されている) この場所には旧・長崎街道「郡川の飛び石」があったので街道ウォーキングや河川敷を散歩する方に人気の場所でもある。
 (写真88) 福重橋の直ぐ上流側(右岸)石垣と親水用コンクリート歩道の損壊。この周辺では濁流の水位が4m位あったと推測される。  (写真89) 福重橋の真下(右岸)の親水用コンクリート歩道の損壊。(上流側から撮影) 本来は手前側から下流側へ歩道があった。 
 (写真90) 福重橋の下流50〜60m。中央部:コンクリート片が流失。ここは旧・長崎街道「郡川の飛び石」があった場所。 (写真91) 左側(写真90)の拡大。1〜3m位のコンクリート片。写真上部は壊れた親水用コンクリート歩道。右下側は魚道。
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水害写真を掲載予定、準備中 水害写真を掲載予定、準備中
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初回掲載日:2020年7月8日、第2次掲載日:7月9日、第3次掲載日:7月10日、第4次掲載日:7月11日、第5次掲載日:7月12日、第6次掲載日:7月13日、第7次掲載日:7月14日、第8次掲載日:7月16日、第9次掲載日:7月17日、第10次掲載日:7月18日、第11次掲載日:7月19日、第12次掲載日:7月21日、第13次掲載日:7月27日、第14次掲載日:7月30日、第15次掲載日:7月31日、第16次掲載日:8月2日、第17次掲載日:8月18日、第18次掲載日:8月22日、第19次掲載日:9月10日、第20次掲載日: 月 日、第21次掲載日: 月 日、第22次掲載日: 月 日

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