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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 熊野権現・馬頭観音・大日如来

(史跡案内門柱・説明板)(今富町、段の)熊野権現・馬頭観音・大日如来
 名称:熊野権現・馬頭観音・大日如来  様式:説明板
 場所:大村市今富町(熊野権現の境内)  設置者:今富町内会、福重地区活性化委員会
 設置年::2021年3月1日  GPS実測値:32度57分00.55秒 129度57分25.20秒
 全体の大きさ:高さ170cm、横幅70cm  国土地理院の地図 (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'00.55"N,129°57'25.20"E
(写真1) 中央部:史跡説明板、左側:馬頭観音大日如来 (写真2) 中央最奥部:熊野権現
 (写真3) 手前の左側が案内誘導板、右側最奥方向が熊野権現
 (写真4) 熊野権現石祠

史跡説明板写真周辺の説明
  今富町、段の熊野権現へ行くには、まずは市道脇にあるの民家の金網に設置された案内誘導板(写真3の左側を参照)が目印になります。この案内板から(写真3の右側に写る道を)南南東側(写真の奥側)へ)30メートルほど進みますと階段があります。

 その階段を十数メートル登って行きますと、(写真2)の左側に写っています鳥居が見えてきます。この鳥居に向って左側(北側)脇に、熊野権現・馬頭観音・大日如来の史跡説明板があります。(写真1を参照)

 さらに、その脇にあるのが(写真1、2)の左側に写っています「段の馬頭観音」と「段の大日如来」です。また、(写真2)に写る鳥居の最奥方向に見えているのが、熊野権現を拝む建物です。この奥側に、石祠があります。

 この石祠は、(大村)郷村記によれば、文化8年(1811年)3月に建立されたものです。先の鳥居周辺から、石祠の裏側まで奥行(長さ)で約40m、横幅で約20mあり、やや細長い境内(けいだい)といえます。なお、石祠などの詳細については、熊野権現紹介ページを参照願います。

 「段の馬頭観音」ページや下記の史跡説明板の内容にも書いていますが、この馬頭観音の姿形は、三面六臂(さんめんろっぴ)の立像です。このタイプは、福重地区内の馬頭観音では、珍しい方です。

 「段の大日如来」は、像ではなく正面に碑文で彫られた文字塔です。これと、ほぼそっくり同じタイプが、草場町にある「草場の大日如来」です。両者とも造りがほぼ同じで、建立年も互いに近いことから、たぶん同じ制作者(石工)ではないかとも推測されます。

史跡説明板の内容
 このページ(写真1と2)の左側に写っています熊野権現・馬頭観音・大日如来の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。先の説明板を拡大したのが、(写真5)です。

  なお、(写真4)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。

(写真5) 熊野権現・馬頭観音・大日如来の史跡説明板内容

 <熊野権現・馬頭観音・大日如来
  この熊野権現は江戸時代の(大村)郷村記には概要「正保の年代(一六四四から一六四七年)に創建。ご神体は釈迦如来、石の鳥居が一基。境内は入口から四五メートル、横幅二三メートルほど。延宝六(一六七八年)二月に再建。神殿が萱ぶきだったので文化八年(一八一一年)三月に石の祠を建立した」などと記述されている。

 馬頭観音は碑文に、段の郷中で明治十七(一八八四)年一〇月に建立したとある。この姿の特徴は三面六臂の立像で、このような形式は福重地区内では珍しい。

 大日如来は文字塔で、碑文によると昭和二十三年一月十九日、段の郷中で建立したものである。

 熊野権現などは、段の班が年間通して大事に祭っている。

二〇二一年三月一日
今富町内会・福重地区活性化委員会>



 
補足



 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



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(初回掲載日:2021年6月23日、第2次掲載日:6月26日、第3次掲載日:7月5日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日) 

 

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