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大村の史跡説明板・案内板シリーズ (今富の)大神宮

(史跡説明板) (今富の)大神宮(だいじんぐう)
 名称:(今富の)大神宮  様式:説明板
 場所:今富町(大神宮自体が目印)  設置者:今富町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2015年3月1日  GPS実測値:32度57分33.22秒 129度57分12.21秒
 全体の大きさ:高さ175cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'33.22"N,129°57'12.21"E

注:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差がある。グーグルアースは航空写真上に表示するため、かなりの誤差が出るが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)

写真1:大神宮での福重地区成人式
写真2:大神宮の鳥居
写真3:(社殿東側にある)石割樫

史跡説明板写真周辺の説明
 まず、右側の写真1、2、3を見て頂けないでしょうか。写真1は、毎年1月3日に大神宮で開催されている福重地区成人式写真の1枚です。最初、社殿で神事がおこなわれ、その後、写真1でもお分かりの通り、記念撮影があります。

 あと、この写真には写っていませんが、左側(西側)には、相撲場(土俵)があります。ここでは、草場町の松尾神社(まつのおじんじゃ)とともに、隔年でおくんちが開催される時、子ども相撲大会がおこなわれ、当日は大賑わいです。

 写真2は、大神宮の正面玄関と言うべき鳥居と、その周辺写真です。鳥居の両脇は、石灯籠です。写真奥側に見えている建物が、大神宮の社殿です。今回の史跡説明板は、この写真には見えていませんが、鳥居の右側(東側)約5mの所に設置されました。

 なお、ご参考までに、この鳥居の左側(西側)に道がありますが、それは冷泉寺の集落へ行く方向です。また、逆に東側にも大神宮境内に入ってくる道路や(福重村)従軍記念碑などがあります。

 写真3は、社殿より約4m東側にある石割樫です。この樫の木は、高さ約2m10cm、周りが約9m50cmもある大きな石の上に生えています。木の高さ(樹高)は、目算で7m位です。

 この木は、石の割れ目に沿って根が張り、さらに石を割っていくようにして成長し、樹齢は推定で100年位と言われています。現在、ご神木として地域の方々から大事にされています。あと、この木の東南側約5m程に、亀の頭や首に似た亀石もあり、人気を呼んでいます。

史跡説明板の内容
  右側写真に写っている史跡説明板には、下記「 」内の文章が書いてあります。原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに変えています。なお、この史跡の詳細説明は、<福重の名所旧跡や地形の『(今富の)大神宮』>などから参照願います。(また、「 」下段のリンク先もご参考願います)

(今富の)大神宮、写真中央が史跡説明板

 大神宮
 大神宮は天文一一年(一五四二)年、大村純前が今富城内に建て、その後、尾崎(今富橋の近く)に移したといわれている。その後、天正二(一五七四)年にキリシタンに破壊された後、江戸時代の寛文一一(一六七一)年に現在地に再建された。

 草場の松尾神社とともに明治七(一八七四)年に福重村の氏神となり、松尾神社と一年交代で宮日を行っている。明治二五(一八九二)年に火災にあい、昭和八(一九三三)年に社殿を建替えた。さらに平成一七(二〇〇五)年十月にも改築された。

 現在も今富町の冷泉寺の人々が祭っておられるが、福重地区全体の行事として毎年の福重地区成人式、あるいは三年ごとの戦没者慰霊祭も、この大神宮で開催されている。

 なお、社殿東側にあるご神木の石割樫は大きな石を割りながら成長しているため、植物の生命力を感じさせ多くの人々に感動を与えている。

 二〇一五年三月一日 今富町内会・福重地区活性化委員会  

(1):今富城の詳細は、ここからご覧下さい。 (2):尾崎城(おさきじょう)の詳細は、ここからご覧下さい。 (3):草場の松尾神社(まつのおじんじゃ)の詳細は、ここからご覧下さい。 (4):石割樫の詳細は、ここからご覧下さい。

補足


(この原稿、準備中。しばらく、お待ちください)


・詳細な関係ページ:『(今富の)大神宮

(初回掲載日:2015年4月1日、第2次掲載日:4月3日、第3次掲載日:4月 日、第4次掲載日:4月 日、第5次掲載日:4月 日) 

 
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