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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 伊勢山の神社跡(いせやま の じんじゃ あと)

(史跡説明板)伊勢山の神社跡(いせやま の じんじゃ あと)
 名称:伊勢山の神社跡  様式:説明板
 場所:大村市 中里町(なかざとまち)  設置者:住みよい町づくリ「チーム鈴田」
 設置年:2020年3月31日(令和2年3月31日)  GPS実測値:32度53分19.05秒 130度0分21.20秒
 全体の大きさ:高さ95cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°53'19.05"N,130°00'21.20"E
(写真1) 中央部の白板:伊勢山の神社跡史跡説明板。右端側は参道入口、左側にある桜の木の上部に神殿跡がある。 
(写真2) 中央部:伊勢山の神社跡(グーグルアースより)

史跡説明板写真周辺の説明
  まず、伊勢山の神社跡の史跡説明板の設置場所についてです。上段の(写真1)の中央部やや右側に写っています(白色の)説明板は、このページ右側(写真2)の左側下部の国道34号線にある県営バス停「日焼」から北東方向へ(直線で)約250m近くの所にあります。

 先に紹介中の、岸高城跡の史跡説明板からすれば間に市道・田畑・水路・農道などを挟んで、東方向へ約120m行った所です。

 この伊勢山の神社跡の史跡説明板のある地点周辺は、旧参道入口横になります。(写真1)に写っている石垣の右端側が、その参道跡になります。

 また、この神社跡周辺含めてでは、(写真2)のグーグルアース写真が、さらに、その場所は分かりやすいです。写真中央部の伊勢山の神社跡は、その東側上部方向にある伊勢山城跡から連なる尾根伝いの西側になる所です。その近く(下側)にある農道より5m弱登った所に平地があります。そこには、伊勢山の神社跡記念碑が立っています。

伊勢山の神社跡の記念碑・神殿跡・境内など
 この項目、まず(写真1)を参照願います。この写真中央やや下部に見えています白色の史跡説明板から数メートル右側が、伊勢山の神社跡に登る旧・参道入口(写真3の中央部)です。(写真3)右側の石垣最上部が鳥居の欠片(かけら、一部分)です。そして、鳥居の欠片下部で、石垣右端上部側に伊勢山大神宮跡の参道石垣碑文石があります。(この江戸時代建立の工事記念碑の詳細は、伊勢山大神宮跡の参道石垣碑文ページから参照願います)


 先の参道入口から約45m登ると、境内跡の端(入口)に着きます。そして、その地点周辺(写真4)から広がっている平地が、境内跡です。その奥側に、神殿跡の石垣跡(現在は石組が崩れている)があります。(写真4、5参照) この境内跡の広さは、神殿跡に向かって、奥行が約25m、横幅が約15mあります。
(写真3) 中央部:旧・参道入口(石垣の右端上は碑文石) (写真4) 境内跡(中央奥側に神殿跡の石垣、その左に記念碑)
(写真5) 神殿の石垣跡と、左端は記念碑 (写真6) 神社跡(神殿の奥は左側で石垣が残っている)

 そして、(写真5)の中央部に写っているのが、神殿跡の石垣跡(石組)です。石組は、現在は崩れていますが、仮に元の状態ならば推測ながら3〜5段位、高さにして1m前後、入口横幅が約3m、全体の奥行は4mです。(まだ崩れが少ない最奥部=神殿真下の奥行が約1m40cm)あります。

 あと、この神殿跡近くに永野氏が建立された「鈴田大神宮発祥の地」の記念碑があります。この記念碑の建立年は「平成10年か11年頃(1998年か1999年頃)」ということです。この記念碑の大きさは、高さが70cm、横幅16cm、胴囲が60cmです。 なお、この記念碑の詳細は、いずれ大村の石塔、記念碑、石碑、碑文」シリーズで、詳細に掲載する予定です。

史跡説明板の内容
  このページ(写真1)の中央部、(写真2)の左側に白く写っています伊勢山の神社跡の史跡説明板には、、下記< >内の青色文章が書いてあります。その説明板を拡大したのが、右側下段の(写真7)です。

 なお、(写真7)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。

(写真7) 中里町、伊勢山の神社跡の史跡説明板(本体部)

 <伊勢山の神社跡
 中里町岸高の大神宮は、郷村記によれば「この社が鎮座する山を伊勢山と言い、建立の時代は不明だが、天和(一六八一)以前よりあった」と書かれています。


 地元に住む永野家の十三代か十四代前、寛永(一六一六)頃の当主が、「田の普請(ふしん)をしていると、空から金色の御幣(ごへい)が舞い下りてきた」という夢を見たそうです。古くから伊勢大神宮を信仰していたので、きっと神様のお告げだろうと思い、早速、伊勢大神宮に参拝しました。その際に、神(宮司)から「大義であった。神宮の分神を授ける、大事に祭れ」と言って、金色の立像神を渡されました。

 そして帰郷してから、神様をどこに祭るかを考えた末に、永野家の前方三六〇メートルほど先の小高い丘(伊勢山)に決めたそうです。ここに神殿を建立し、「大神宮」として、永野家代々の当主が祭主をつとめたのが、この神社の起こりです。

 その後、明治三年に「神寄せ」の布令が出たため、伊勢山の大神宮は古松権現の社にまとめられ、「大神宮神社」と名前が変わりました。

 現在、かつての大神宮を偲ぶものとして、境内であった所には、鳥居の部材などが残っているほか、「お伊勢山」や「お伊勢坂」「伊勢谷
(いせんたに)」などの地名が伝わっています。
  出典・『鈴田小学校創立百周年記念誌』より。

 令和ニ年三月三十一日 住みよい町づくり「チーム鈴田」  >


補足


(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



(初回掲載日:2020年4月12日、第2次掲載日:4月21日、第3次掲載日:4月27日、第4次掲載日:5月3日、第5次掲載日: 月 日) 


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