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写真・報告 その722

2025年9月18日 大村市立鈴田小学校・総合学習・「鬼の石」の講話と見学(6月18日の概要報告)

(写真1) 大村市小川内町の畑脇にある鬼の石<鈴田小学校の先生、6年生2025年9月18日撮影>

2025年9月18日 大村市立鈴田小学校・総合学習・「鬼の石」の講話と見学(概要報告)
日時:2025年6月18日
10時30分〜12時00分   場所:大村市 小川内町周辺
参加者:25名(内訳:先生1名、6年生23名、上野)
主な内容:鬼の石の見学、講話、計測など
・関係ページ:(史跡説明板の)「鬼の石」紹介ページ  ・鈴田小学校の「鬼の石」見学報告ページ:2017年11月28日、鬼の石の見学(概要報告)」 、 2019年6月18日、鬼の石の見学(概要報告)
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概要(がいよう)
 この日、当初、雨の予報(よほう)でしたが6年生の願いが通じたのか、青空も見える天気となりました。10時から教室で白鳥城跡や伊勢山城跡」の講話した後で、出発準備をし、鬼の石見学に向けて出発しました。途中(とちゅう)坂道が続き、休憩(きゅうけい)もとりながら元気良く歩きました。 鬼の石に到着(とうちゃく)し、始めて見る6年生は、「わー、大きい」とか「こんなに大きいとは思わなかった」などの声が出ていました。 時間の関係上(かんけいじょう)、上野の方から講話(こうわ)をおこない、まず、「皆さんは鬼というイメージは何がしますか?」と尋(たず)ねました。
行きは登り坂ばかり

 すると、「鬼は大きい」「力が強い」などの返事(へんじ)があり、「その答えで正解(せいかい)」との話しをしました。次に、事前(じぜん)にいただいていた質問(しつもん)に答える感じで次のQ&Aを語りました。
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<Q&A 質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:鬼の石は、いつからあるのか(または置かれたのか)?
 A1:100万年前から始まり25万年前まで続いた多良山系(たらさんけい)の火山が噴火(ふんか)していたときに飛(と)んできたものとおもわれる。

 Q2:石は、鬼の石が置かれる前には、そこに何があったのか?
 A2:平らな丘とおもわれる。そこに火山が噴火(ふんか)で石、灰、土も飛んで来て雨などにより、かたい石だけが残ったとおもわれる。

 Q3:いつころから鬼の石と呼ばれるようになったのか?
 A3:正確(せいかく)には不明(ふめい)だ。たぶん、大昔(おおむかし)の千年以上前から大きい石のことを鬼の石と呼んできたのであろう。

 Q4:なぜ、あそこに大きい石があるのか?
 A4:まわりを畑にするとき、小さな石は片づけたか割ったと思われるが、鬼の石はあまりにも大きいので、そのままにしたのだろう。。
もう少しで登り坂は終り
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 <(史跡説明板の)「鬼の石」紹介ページ参照>) また、鬼の石の脇(わき)にある史跡説明板(しせきsつめいばん)の一部のみを説明しました。念のため次の青文字は、説明板の全文です。  <鬼の石   この直径三メートル以上もある大きな石は、大昔の事、大きな鬼がふんどしの前垂れに包んで、鈴田の谷をひとまたぎに渡ろうとしたときに、そのふんどしの紐(ひも)が切れて、似田(にた)の辻(つじ)に落としたものだと言われています。

 また、鬼が谷をまたいだときの右の足形が、中里の山の中腹(武士の墓付近)にあり、左足の形は、現在、徳泉川内に「足形(あしがた)」という池名で残っています。(鈴田小学校創立百周年記念誌より) 
 なお、この鬼の石がある辺りの丘を「大石の原」と言い、下手の似田の辻とああせて、昔、大村の殿様がタカ狩りをしていた所だと言い伝えられています。その似田の辻の下の方には、タカを葬(ほうむ)った墓があります。平成三十一年三月三十一日 住みよい町づくり「チーム鈴田」 >

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鬼の石の巻尺計測(まきじゃく けいそく)
 次に鬼の石を皆で巻尺(まきじゃく)で計測(けいそく)することになりました。まずは、ぐるっと銅胴回り(どうまらり=胴囲(どうい)=石の周囲(しゅうい)」を各自で持ってはかりました。

 次に、巻尺の先に重石(おもし)をつけて、一人で石の頂上部(ちょうじょうぶ)に向けて数回投げた結果(けっか)、うまくいきました。次に史跡説明板側の横幅(よこはば)を数人で測りました。その結果は、下記の通りでした。
鬼の石に到着し見学中
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鬼の石の大きさは
 ・高さ約4m40cm 、横幅(説明板側の面)約4m40cm 、胴囲(周囲)約17m
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終りののあいさつ
 その後、同じ市道を歩いて下り、帰校後、今回の見学は終わりました、校舎前で最後に、児童全員から上野へ、「ありがとうございました」とのお礼がありました。  鈴田小学校の先生や先生全員、大変お疲れ様でした。
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<上野の感想など>
  私は、(下段の講話や見学のリンク先ページを参照)年度で飛びとびながら鈴田小学校の児童へ、総合学習(地域学習)の講話をおこない、そして一緒に史跡見学もしています。このように児童自ら住んでいる地域の学習や史跡を見学し、さわって実感したり巻尺計測などするのは、大変良いことだと常々思っています。

 また、それをまとめて文章化して、来年の郷土史の発表用紙も作成されると聞きました。今から、その発表文内容が楽しみです。6年生の皆さん、私の方からも大きな声で「ありがとうございました」と言います。
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・関係ページ:(史跡説明板の)「鬼の石」紹介ページ

・鈴田小学校での地域学習の講話関係ページ:(注:下記講話内容は全部、上野が担当した史跡や地形などの説明のみ」)
2017年10月30日、鈴田小学校での「地域学習<鬼の石、地主大明神(概要報告)(注:上野の講話分のみ)
2017年11月28日、鬼の石の見学(概要報告)」 
2018年11月1日、鈴田小学校での「地域学習(概要報告))(注:上野の講話分のみ) 、
2019年5月31日、鈴田小学校での「地域学習<鬼の石、地主大明神>(概要報告)(注:上野の講話分のみ)
2017年11月28日、鬼の石の見学(概要報告)」 
2020年5月25日、鈴田小学校での地域学習<鬼の石、地主大明神などの講話>(概要報告)(注:上野の講話分のみ)
2023年10月27日、鈴田の城跡(しろあと)と戦(いくさ)
2023年10月27日、鈴田の川について
2025年9月18日、白鳥城後と伊勢山城後の講話
2025年9月18日、鬼の石の講話と見学
(掲載日:2025年9月20日)