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2020年2月29日、行政書士記念公開講演会(概要報告)
大村の歴史文化、相続、遺言等の講演会 (中世山城の講演)
次の休みは山に行っています〜〜やみつき山城歩き本物のすごさ〜
中央やや右の最奥部:講演中の大野氏、手前:聴講中の方々(ミライon図書館多目的ホールにて)
主   な   内   容
2020年2月29日、行政書士記念公開講演会 (中世山城の講演)(概要報告)
 注:講演1と、講演があったが、このページは講演1のみで、講演(相続、遺言等と公正証書について)は全部を省略している。
 補足:長崎県行政書士会・大村支部が新たに大村東彼支部として発足したので、その記念の講演会である。

講演1:(中世山城の講演)次の休みは山に行っています 〜やみつき山城歩き本物のすごさ〜

手前:野岳湖、奥左側:郡岳
奥右側:遠目山、最奥右端側:経ヶ岳
 
経ヶ岳(きょうがだけ、1076m)
城の尾城跡 (大村市東大村町)
日時:講演1は2020年2月29日13時40分〜14時50分
場所:ミライon図書館多目的ホール
テーマ:(中世山城の講演)次の休みは山に行っています 〜やみつき山城歩き本物のすごさ〜
講師:大野 安生(大村市文化振興課長)
(この日の)
参加:35名(主催者、聴講者) プラス講師2名
主催:長崎県行政書士会・大村東彼支部

 注:本ページ掲載の写真や図は、当日の映写スライドに用いられたものではなく、既に福重ホームページ「大村の城」(もくじ)シリーズを始め、「自然シリーズ」や「名所旧跡シリーズ」などのページに掲載中のものである。 なお、「縄張り図」は講師の大野氏の作成である。また、文中の太文字は上野が付けた。 (下記枠内の色分けは、項目別内容を見やすくしているだけで何の意味もない)

<内容(概要)
1、山の隠し味
 山について、昔の人は、畏怖(いふ)の念があった。明治時代からスポーツとして登山が盛んになってきた。黒木町では毎年11月に山の神祭りが開催されているが、この日は、山仕事をされず、山の神に感謝されている。

 私は昨年、多良山系を縦走し、24km歩いた。山の頂上から景色を見るのも良いが、それは”おまけ”みたいなもので、実は、このような時に、荒らされていない自然のままの登山道、(信仰の対象にもなる)石、大木、花、モグラなどの方を見て、楽しんでいる。

 多良山系は、山岳宗教が盛んだった山で、修行者も多く、修行することにより素晴らしい力を身に付けようとしていた。その中心は、金泉寺で、この寺は政治的・経済的に影響力があった。 経ヶ岳(きょうがだけ、1076m)も宗教と関係あり、鎌倉時代後期に経筒が埋められたことから、山の名前となったと言われている。

 これは(スライド写真の)鈴田の経塚である。底辺の四方は、2m位だ。地元説によると「大村純忠時代のキリシタンの破壊から難を逃れるため、お経を埋めた」との伝承がある。

 しかし、その上に摩利支天(まりしてん)が祀られている。これは、戦の神様で大村純忠も一時期、信仰していた。この神様は、日蓮宗の守り神でもあるので、おそらくは江戸時代に本経寺の影響を受けて祀られてきたのではないだろうか。これらの(経筒の埋まっている)経塚は、本来、平安時代末期〜鎌倉時代初期に末法思想や蒙古軍襲来で平安を祈願して造られたものである。

 私の山歩きでの楽しみとして、例えば、(1)炭焼き釜の跡、(2)山岳宗教、(3)山城などがある。この中でも特に、中世時代の山城に関心があり、良く登っている。私は、郡岳(こおりだけ、826m)から遠目山(とうめやま、849m)を縦走している最中に、縦走路にある1本の堀切(ほりきり)を発見した。このような堀切があるということは、佐賀側との戦いに備えて、山城で防御をしていたのであろう。

 修験者は、各地の山を登るので情報を持っていた。そのため、殿様などは、その山伏達を情報源として貴重がっていた。各地を回っていた商人も、同様である。    (掲載日:2020年3月1日)

2、中世山城というもの
 日本の城の数は、中世・近世含めて全国で3〜4万ある。世界的にみても数が多い。その中でも、中世の山城が多い(大村市の)鈴田地区は城の数が多いので、そのため城の間隔も、「おーい」と呼べば聞こえる位の近さであった。近世の城は現在では、たいてい市の中心で、公園などになっている例が多いため馴染み(なじみ)がある。それに比べ、山城は目立たない。

左の山が宝満城跡(大村市中岳町)
 戦国時代、ポルトガル・スペインなどは勢力拡大を狙い、日本征服を考え、その後、中国征服を考えていたと述べる研究者もいる。しかし、日本は彼らが想像する以上に、軍事大国だと分かった。それで、宣教師は、宗教の力、つまり(日本人を)キリスト教の信者にして日本を征服していこうと考えたのではないか。

 (大村市の)萱瀬地区には、例えば菅牟田砦(すがむたとりで)宝満城(ほうまんまんじょう)、福重地区には江良城(えらじょう)などがあったが、さえもない。これで、本当に(敵が攻めてきても)守れるのかという城であった。大村領を守るには、波佐見とか鈴田が拠点となるので(その地域に)山城が多かった。中間地帯の城は、そう多くはなかった。

 当時は、むやみにお金をかけて城を造れない。城は本来、戦のプロが造るものである。しかし、このような山城は領民が造った。長崎県内の山城の特徴は、総じては低い山に多くあった。あまり、高い山に造ると、敵は(その山城を無視して)通り過ぎてしまうからだ。ただ、私は、里山にある山城の調査は、猪(いのしし)が出たこともあって怖いこともあった。

 戦国の武将も(平時は)城におらず、(平地にある)屋敷(住居)に住んでいた。そのため、大村純忠などは、部下に対して「城にいて守らないと領地を召し上げるぞ」と脅し(おどし)ながら城に住まわせていた記録も残っている。    (掲載日:2020年3月7日)

上図は岸高城(大村市中里町)
 
上図は中岳砦(城)(大村市中岳町) 
3、「なわばり図」の基礎知識
 中世の山城調査のベストシーズンは、真冬である。草木が繁っていなくて見通しが良い。ただし、気を付けないといけないのは、夕暮れが速い。そのような時には、猪(いのしし)に出くわす場合があるので非常に怖い。服装は長袖(ながそで)、長ズボン、帽子、手袋などである。

  私は、最初、登山だけしている頃は、(猪に先に分からせることもあり)鈴を腰にぶら下げていた。しかし、山へ行って縄張り図を作成する時、距離測定時や図を描いていたら止まってしまうので、鈴は鳴らない。それで、次にラジオを持っていったり、最新の器機などで常時、音楽を流しながらの調査もしている。また、猪だけでなく猟友会の方が鉄砲撃ちしていることもあった。

作図について
 注1:この「なわばり図」作成の説明中、ずっと講師が作図された、いくつかの城の縄張り図をスライド映写やホワイトボードに具体的に描き方などの説明があった。そのシーンをホームページ上に掲載するのは難しいので、下記は極一部の内容のみであることは、あらかじめご了承下さい。

 なお、右側2枚のの縄張り図は大村市鈴田地区にある岸高城と、(前同)萱瀬地区にある中岳砦(城)の縄張り図(一部分)である。これらの城跡についての詳細は、岸高城」紹介ページと、中岳砦(城)」紹介ページから、ご覧下さい。

 注2:この下記に城についての用語を書いているが、詳細は「城関係用語集」ページをご覧下さい。      (掲載日:2020年3月17日)
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・具体的な作図の仕方について
 縄張り図を書く時、まずは城跡のてっぺんへ登ること。良い図が書けるか、どうかは目が大切で、しっかり見るということだ。登ったり、下ったりを何回も繰り返す。

 また、山の斜面の横歩きもする。この斜面の横歩きは、けっこう疲れるが、何か隠されている場合も多くあるので、大事である。

 縄張り図は、山城研究の魂ともいえる。この図はスケッチではなく、測量図である。測定の機器として、レーザー距離測定器(ゴルフで使用されている距離計)や、方位磁石なども使っている。そして、書き方として、まずは、曲輪(くるわ=城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲い。また、その内側の地域)が中心である。

 <注:ここから、具体的にホワイトボードを使って書き方の話が続いた。ただし、そのシーンをホームページ上に再現、掲載するのは難しいので、次から、その用語のみを書いている>

 曲輪(くるわ)(ほり)竪堀(たてぼり、たてほり) 切岸(きりぎし、きりきし)などの書き方であった。

 (前の城跡用語の詳細は、「城関係用語集」ページをご覧下さい)    (掲載日:2020年3月31日)

4、近場のおすすめ山城10選
 (注:この項目、会場で配布された中世山城10城全部の縄張り図をもとに、講師から説明・紹介があった。そのため、このページも10城全部の縄張り図を掲載しようとも思ったが、その図面の大きさと、ホームページのレイアウト上、難しさもあるので城名、所在地、お勧め度や極簡単な紹介文とした。ご参考までにと思い、大村市内の城跡のみならば上野も全部大村の城」(もくじ)シリーズに掲載・紹介しているので、下記<>内のリンク先から閲覧願いたい)

 なお、中世山城10城の紹介前に、縄張り図の縮尺比率についても説明があった。それによると、「全城とも1/1000で作図していて、図面上1cmが(実際は)10mである」とのことであった。さらに、「図面横に星印を付けているが、星の数が多いほど、お勧め度は高い」とのことだった。

(1) 塔の峰城(大村市陰平町、星:) <関係リンク先:塔の峰城
  大村純忠の家臣・朝長右衛門太夫純職が、諌早の西郷氏(の軍勢)から攻撃を受けた時に防戦し、討ち死にした戦に使った城といわれている。

(2) 伊勢山城(大村市中里町、星:1) <関係リンク先:伊勢山城

(3) 城山城(大村市今村町、星:) <関係リンク先:城山城

(4) 伊賀峰城(大村市今村町、星:) <関係リンク先:伊賀峰城

(5) 中岳城(大村市中岳町、星:) <関係リンク先:中岳砦

(6) 切詰城(大村市中岳町、星:) <関係リンク先:切詰城

(7) 城の尾城(大村市荒平町、星:) <関係リンク先:城の尾城

(8) 風南城(川棚町百津郷、星:)

(9) 岳ノ山城(波佐見町岳辺田郷、、星:)

(10) 松山城(波佐見町金屋郷、、星:)


    (この原稿は、準備中。 しばらく、お待ちください)

5、とにかく行ってみよう


  (この原稿は、準備中。 しばらく、お待ちください)


関係ページ:大村の城」(もくじ)シリーズ
初回掲載日:2020年月日、第二次掲載日:月日、第三次掲載日:月日、第四次掲載日:月日、第五次掲載日:月日、第六次掲載日:月日、
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