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あとがき
福重のあゆみ、郡七山十坊
郡地方(松原、福重、竹松)の寺院群(『おおむらの史記』18ページより)
郡七山十坊

 奈良時代から平安時代にかけて仏教が栄え、地方にも寺院が建てられるようになります。そういう時期に郡(福重、松原、竹松地区)地方にも一般に郡七山十坊といわれる10のお寺を初めとする多くの寺院が建ち並んだといわれます。

 しかし、寺の名前が登場するだけで一寺も残っておらず、遺構も発見されず、瓦の出土もなく、実態は不明のままなのです。○○寺の跡といわれるだけで、何時建てられたかはっきりするお寺はありません。

 これは、郡地方の寺は南北朝時代と戦国時代の2回、全てのお寺が焼かれたり壊されたりしたからだと思われます。最初は1366年(南北朝時代)に何者かによって一斉に焼き討ちされ、2回目は大村純忠時代の1574年にキリシタンによって破壊し尽くされたとされます。

 1回目の焼き討ちで消滅した寺、その後まもなく再建されたが2回目の破壊で消滅した寺とがあるようです。無量寺だけがキリシタンに壊された後、松原に再建されて今もあります。

郡七山十坊
 奈良時代(8世紀)に建てられたといわれてきましたが、確認できるのは鎌倉末期〜室町初期(14世紀)に3寺(龍福寺・東光寺・妙光寺)が存在したことだけで、郡七山十坊の成立は1366年の寺院群焼失⇒再建の後の14世紀後半の室町時代と考えられます。

 郡七山十坊に数えられるのは次のお寺です。

福重 5寺……龍福寺(立福寺)、弥勒寺、白水寺(今富⇒現町名は皆同)、冷泉寺(今富)、東光寺(草場:江戸時代まで福重村でした)

松原 2寺……延命寺・妙光寺

竹松 3寺……極楽寺・本来寺・浄宮寺(上宮寺)

白水寺跡(皆同町)
福重にあったとされるお寺
 1)龍福寺、2)弥勒寺、3)白水寺、4)冷泉寺、5)東光寺、6)如法寺(草場) 、7)正(聖)蓮寺(寿古) 、8)不動寺(今富) 、9)唐泉寺(矢上)、10)無量寺(寿古・皆同)、 11)済福寺(皆同) 、12)教通寺(草場) 、13)祇園寺(矢上)、14)立石庵(草場) 、15)常徳寺(草場)
注: 1)〜5)は七山十坊の内、6)〜9)は七山十坊と同時期にあったとされる寺、10)〜15)は時期不明です。

 1)〜9)は1155年(平安末期)に唐泉寺住職の発案で14か寺が集まって宗教上の論争を行ったとき、参加したとされるお寺です。これが事実であれば、この9か寺は平安時代末期には建っていたことになります。なお、この論争は唐泉寺の春輝が勝ち、負けた13寺の僧が怒って唐泉寺を壊してしまったとされています。

1)龍福寺〜立福寺の富崎さん宅付近。文書に残る唯一の寺で1343年・1459年の存在が確認できる。
2)弥勒寺〜弥勒寺公民館の上。公民館入口に「不動明王」の線刻石仏がある
3)白水寺〜皆同の松本さん宅。大村純前の墓所があった。千手観音・姫墓がある。
4)冷泉寺〜今富の冷泉にあった。有川さん宅上、山田さん宅上の二説がある。
5)東光寺〜現在は松原に所属する。法塔・墓石等が残る。

6)如法寺〜草場の堀さん宅付近。女法寺の地名が残る。
7)正蓮寺〜寿古の峠さん宅付近。正蓮寺の僧「堪朗法印」が1155年の論争に参加したとされる。寺名は集落名に残る。
8)不動寺〜今富の帯取。今は跡地に不動堂が祀られている。
9)唐泉寺〜矢上の公民館横。今、薬師如来が祀られている。郷村記に(唐泉寺)創建は1085年とある。
10)無量寺〜皆同の貞松さん宅付近。キリシタンの破壊後に草庵が建てられたが、江戸時代に松原に再建

11)済福寺〜郡橋傍の皆同の山口さん宅付近。今は「才福寺井手」と水路名に名が残るのみ
12)教通寺〜草場の京辻 
13)祇園寺〜矢上の牟田さん入口(福重小学校入口前)。今、「祇園牛頭(ごず)天王」を祀る。
14)立石庵〜草場の小字「関庵」?。関庵に立石の地名あり、(立)石庵=セキアン=関庵と考えられる。
15)常徳寺〜草場の関庵に常徳と呼ばれる所がある。

冷泉寺跡(今富町)
 以上のように、福重には十数か寺があったとされているのです。これだけのお寺が福重の山手を中心に建ち並ぶ姿は壮観だったでしょうし、文化的レベルの高さ、その財力には驚かされます。

 1366年にお寺が全て焼き払われたとされるのはミステリーですが、延命寺と龍福寺関係の文書に記載されており、その後の1396年の東福寺の荘園台帳から「彼杵荘」が消えており、その頃、東福寺の荘園を奪おうとした何者かが焼き討ちしたのではないかと考えられます。

 1574年にキリシタンによって破壊されたのは龍福寺・弥勒寺・白水寺・冷泉寺・東光寺・如法寺・不動寺・無量寺・祇園寺・(唐泉寺?)の9〜10寺です。

<掲載写真などの補足説明>
・白水寺跡
 大村市皆同町にある白水寺跡には、写真のように先手観音や姫墓などがあります。ただ、白水寺の実際あった場所は、ここよりもやや上側の位置あったとも言われています。

・冷泉寺跡
 大村市今富町にある冷泉寺跡は、(二説ありますが)掲載写真の石祠より上方の林の所にあったといわれています。町名ではありませんが、この付近を字(あざ)で「冷泉」と言われてきました。また、この前付近からは、弥生時代末期の遺跡である『冷泉遺跡』が出土しています。詳細は、他のページ「原始時代」の「冷泉遺跡」のページをご覧下さい。

龍福寺跡(立福寺町)、後方の山は郡岳
・龍福寺跡
 大村市立福寺町にある龍福寺跡は、写真の畑及びその奥の家(富崎さん宅)当りを地元では「寺屋敷」と呼んでいる通り、この付近だと言われています。この龍福寺はキリシタンによって破壊された後、再建されませんでしたが、地名が「立(龍)福寺」として、現在も残っています。

 また、 この立福寺町には、郷土芸能の『龍踊』がありますが、これはこの地名「龍福寺」にちなんで始まったとの伝承があります。この龍踊りの詳細は、他のページ「福重の伝統芸能」の「立福寺の龍踊」のページをご覧下さい。(掲載日:2005年1月8日)

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