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2025年、(大村市立)郡中学校1年生、総合的な学習、校外学習「戦争遺跡」巡り(概要紹介)
郡中学校1年生、校外学習、出発前ミーティング(武道場にて)
 好武城跡(寿古町)
 今富城跡皆同砲台跡の前にて (後方の二つ入口は皆同砲台跡の弾薬庫もしくは倉庫跡)

(大村市立)郡中学校1年生、校外学習「戦争遺跡」巡り(概要報告)
 
( 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある)
郡川の飛び石」の史跡説明板 (奥側は郡川)
好武城跡 (寿古町) 
今富城跡 (皆同町)
 皆同砲台跡の前にて
 皆同砲台跡(皆同町)
大神宮の境内にて 
 (写真) 招魂碑(左側)、今富町
 (写真) 福重砲台跡(地下室への入口)、今富町 
(写真) 福重飛行場跡(右側)、今富町 
(写真) 福重飛行場跡近くにある誘導路橋の基礎部(今富町)
(写真) 福重飛行場(当時:長さ950m、幅30m)

日時:2025年9月22日08時50分~ 12時00分
参加数:全体で242名(生徒228名、先生12名と下記説明約
説明役:山下氏
(大村市文化振興課・学芸員)上野(福重郷土史同好会)
場所:大村市、福重地区の戦争遺跡や各史跡
見学テーマ:「戦争遺跡

 注1:今回の校外学習の二つのコースは、「時計回り」(学校、沖田町ー寿古町ー皆同町ー今富町ー竹松本町ー学校)で歩くグループと、「逆時計回り」(学校ー竹松本町ー今富町ー皆同町ー寿古町ー沖田町、学校)であった。

 注3:今回のコース周辺には、今回のテーマとは関係のない多数の史跡もある。また、「2020年、大村水害」も多くあった。一部ながら、その関係リンク先も掲載している。あくまでも、ご参考程度に閲覧願いたい。

 注4:このページ写真は、順不同であり、上からの順番に特に意味はない。

2024年の関係ページ
2024年8月26日、郡中学校の先生の史跡巡り(下見)」 「2024年8月28日、ガイダンス」 「2024年9月4日、郡地区の歴史の講話(概要報告)」  「2024年9月11日校外学習・戦争遺跡巡り(概要報告)

2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

概要:2025年郡中学校の総合的な学習関係のとりくみとして、既に「ガイダンス」「山下氏の講話」「先生方の下見」などがおこなわれていた。しかし、上野は今年、参加していないので、先の報告ページは掲載できていない。先の諸取り組みは、今回10月22日に実施された校外学習「戦争遺跡」巡りの事前学習の意味もあった。

 そして、今回の校外学習は、いわば本番の総合学習としての実地(戦争遺跡や各史跡)見学といえる。

<史跡見学場所>
 先の注2の通り、「時計回り」 「逆時計回り」の違いはあるが、歩く道路も見学する場所も同じなので、下記の主な史跡名は「時計回り」順で書いている。史跡の詳細を知りたい方は、各史跡名称リンク先から確認して頂きたい。

 1) 福重端の記念碑(沖田町、郡川の左岸にある。写真を参照)

  2)郡川の飛び石(沖田町~寿古町、郡川の右岸にある。史跡説明板写真を参照)

 3) 好武城(寿古町) この史跡については、写真とリンク先の好武城から参照。

 4) 今富城跡と 5) 皆同砲台跡 (皆同町、福重地区住民センターの裏山)は、小高い丘の全体は、今富城跡である。その内の北側部分で南北(横幅)約160m、東西(縦)約70mにあった。<(写真を参照) 注:当時の砲台の地上部分と地下にある弾薬庫(砲弾庫)や倉庫が、そのまま現存している。

 <福重地区住民センターでトイレ休憩>

 6) 大神宮の境内にある招魂碑(戦死した軍人、空襲で亡くなった民間人の慰霊碑である) その手前側が顕彰碑で、これにアメリカ軍の戦闘機の機銃で射殺された福重小学校の児童、空襲時の防空壕の落盤事故で亡くなった母子3名含めての名前もある。 (なお、この大神宮の境内には戦争遺跡とは関係ないが「石割樫(いしわりがし)」や「亀石(かめいし)」もある)

 7)福重砲台跡(今富町の帯取の丘) 当時、直径約200mの範囲内に高射砲の陣地があったという。<(写真)を参照> (この周辺でアメリカ軍の激しい空襲で軍人多数と福重小学校の児童も亡くなっている)

 8)帯取殉教地---帯取殉教は二人の宣教師が殉教されたのは正しいし。(大村最初の殉教とも言われている) ただし、記念碑の立っている場所は100パーセント間違いである。

 正しい本当の場所の詳細は<十二社権現跡(今富町) (本当の)「帯取殉教地跡」ページ>や、ここから郡川方向へ約300m行った所(正しい場所周辺に立っている)、十二社権現跡と帯取殉教地の史跡説明板を参照願いたい。

 9) 福重飛行場跡は、現在の今富町や皆同町にある細長い農道、耕作地や住宅地<(写真)を参照) (注:当時の滑走路の大きさは長さ950m、幅30mの薄いコンクリートだった。現在はその内、長さ約850m、幅約2.5mの一直線の農道がある)

 10)誘導路橋の基礎(丸太の柱穴の残るコンクリート(<今富町、佐奈河内川(さながわちがわ)の川床。(写真)を参照>今でも頑丈に残っている。大きさは長さ約30m、幅約1m。 注:この周辺は「2020年7月6日、大村水害」で大きな被害があり、現在、矢次2号橋の架けかけ工事中である。

 以上が、「時計回り」主な史跡巡りの見学場所であった。このコース順で見学が終了したならば、後の道は郡川(こおりがわ)に架かる矢次橋を渡ると竹松本町に入った。そして、道路の歩道を歩くと、新幹線のトンネル下に入り、次に国道34号線の歩道に出ると、郡中学校の入口となった。

 なお、もう一つの「逆時計回り」コースは、上記の番号順の逆から歩いていく順路である。そのため、史跡の名称やリンク先は、先の番号と重複するので、このページでは全て省略する。

質疑応答Q&A
 上記の史跡巡りの上野担当の時にも質疑応答をもあった。しかし、上野が全部を覚えきれていないので、下記のQ&Aは、ほんの一部のみである。

 Q1:長崎街道の飛び石とは?
 A1:極簡単にいえば郡川に橋ができるまで川を飛んで渡る石=長細い石が置かれていた。 (詳しくは「郡川の飛び石」の史跡説明板を参照) 江戸時代に発達した今でいう国道みたいなものだ。

 Q2:?
 A2:
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 武道場で終了ミーティングがおこなわれた。生徒代表から丁寧なお礼の挨拶が山下さんと上野にあった。 今回の校外学習(史跡巡り)に参加された全員の皆様、お疲れ様でした。
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 下記の「関係ページ」は、上記のような今回巡った史跡と、それ以外の史跡でもある。このコースを歩き、見学していけば必ず近くにある古代~近代までの史跡もあるので、ご参考程度に、その極一例をご覧頂きたい。

*関係ページ
 ・沖田町---<福重橋の記念碑
 ・皆同町---<郡川の飛び石> <今富城跡> <皆同砲台跡> <皆同の侍の墓
 ・寿古町---<好武城
 ・今富町---<大神宮> <石割樫(いしわりがし)> <亀石(かめいし)> <尾崎城跡(おさきじょうあと)

 なお、このコース周辺は、2020年7月6日に発生した「大村水害の被害場所でもある。ずっと、復旧工事中ではあった。残るは、佐奈河内川(さながわちがわ)に架かる矢次2号橋の完成と、一部の田畑お復旧のみである。
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2024年の関係ページ
2024年8月26日、郡中学校の先生の史跡巡り(下見)」 「2024年8月28日、ガイダンス」 「2024年9月4日、郡地区の歴史の講話(概要報告)」 「2024年9月11日校外学習・戦争遺跡巡り(概要報告)

2023年の関係ページ
 「2023年10月19日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2023年10月24日、ガイダンス」  「2023年10月30日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2023年11月1日、校外学習・戦争遺跡巡り

2022年の関係ページ
 「2022年9月29日、郡中学校。先生の戦争遺跡巡り(下見)」  「2022年10月19日、ガイダンス」  「2022年10月25日、郡地区の空襲と戦争遺跡の講話」 「2022年10月26日、校外学習・戦争遺跡巡り
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2021年の関係ページ
(1)2021年8月24日、2先生の空襲・戦争遺跡巡り
(2)2021年10月6日、1年生、総合的学習・ガイダンス
(3)2021年10月7日、「郡地区の空襲と戦争遺跡」講話
(4)2021年10月7日、8日、先生の「戦争遺跡」下見
(5)2021年10月14日、1年生の校外学習
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初回掲載日:2025年10月23日、第二次掲載碑: 月 日

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