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福重郷土史同好会
2020年の活動報告(5)

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第81回例会報告
日時:2020年5月27日19時30分〜21時00分、参加:4名
場所:福重地区住民センター

福重小・運動会の在り方検討会
伊勢山の神社跡
矢上の天満宮
釜川内の礫岩
矢櫃・這坂の史跡説明板
上鈴田庄屋跡の史跡説明板

報告など(前回2020年3月18日の例会以降から主な事項のみ)
(1) 3月30日、福重小学校 運動会の在り方検討会(今年は10月4日開催予定)<概要報告
(2)4月2日、福重地区2基の史跡説明板設置工事完了<「十二社権現跡と帯取殉教地」 「矢上の天満宮」>
(3)4月3日、鈴田地区4基の史跡説明板の調査、撮影、<「上鈴田庄屋跡」 「矢櫃(やびつ)・這坂(へーざか)」 「伊勢山の神社跡」 「経塚と陰平町の寺跡」>

(4)4月27,29日、5月6,8日、大村良純清逆修碑の調査、撮影、拓本作業
(5)5月11日、川棚町、波佐見町の中世山城跡などを遠方から撮影
(6)5月12日、釜川内の空襲被害と空襲の碑の報告書作成(以降メールで配布)

(7)5月15日、空襲犠牲者調べで松原・福重・竹松・萱瀬の招魂碑撮影
(8)5月19日、ケーブルテレビより説明板の取材を受ける(3名参加)
(9)5月25日、鈴田小学校・地域学習(「鬼の石」と「地主大明神」)で講話(36名、講師:上野担当)<概要報告

<質疑応答>
Q1:川棚町の(防空壕式の)疎開工場跡は、どこにあるのか?
A1:川棚川と石木川が交差している周辺道路から少し入り込んだ所にあったと思う。


議題

1)2019年度の史跡説明板について<別紙参照>
 ・今富町---十二社権現跡と帯取殉教地、福重町---天満宮の2基、4月2日に工事完了。
 ・各自で場所確認を願う。

2)大村良純の逆修碑について<別紙参照>
 注:逆修碑とは(一般には)「生前において、死後の菩提(冥福)を祈念して建立した碑」のことである。
 場所:三浦地区、今村町の硯出石(すででいし)近くの田んぼ(農道)脇にあり、眺望も素晴らしい。
 ・大村良純の墓は黒丸町にある。逆修碑は没年=永禄12(1569)年の以前に建立された。
 ・「清阿」「清心」との名前が彫ってあり、夫婦の逆修碑は大村市内では珍しいと思う。
 ・この碑について、これまで書籍類で文章のみの紹介はあったが、写真、CG写真あるいは大きさなどの詳細報告はない。そのため、後日、それらの報告書作成やホームページ掲載したい。

<質疑応答>
Q1:大村市内に同様な石塔はあるのか?
A1:似たような石塔で三城城跡の所に「読経千回記念石塔(預修碑、逆修碑)<月山桂公座元禅師の逆修碑(ぎゃくしゅひ)」>」がある。

3)釜川内の空襲被害と空襲の碑について<別紙参照>
釜川内の空襲による犠牲者と被害状況
 ・日時1945(昭和45)年7 月5 日の正午頃、場所:陰平郷(町)釜川内の集落
 ・犠牲者:妊娠中の女性(1 名) (米軍のグラマン機の機銃)、焼失家屋:民家2棟

 現在の大村市は大村空襲のことといえば、第21航空廠のことばかりで先の釜川内の空襲被害含めて、他地域の犠牲者や被害のことは約75年間も詳細調査も広報もほとんどない。なお、福重地区は既に調査、報告書は作成し市にも提出済みであるが、広報はなしである。

<補足意見>
 「昭和20年(1945)7月11日、(今の冷泉寺集会近くの)個人宅の防空壕に入っていたところ、空襲があり爆弾が落ち、爆風がひどく、真っ暗の中、やっと逃げた」 「私の福重国民学校の同級生が(今富町の)大神宮近くに防空壕があったが、その近くの帯取で、米軍グラマン機の機銃で撃たれ死んだ。(数え年で9才だった)

4)次回の福重郷土史講演会について
 ・内容:帯取遺跡  、 ・講師への依頼、調整、その他
 ・予定日:年内なら11月か12月。来年(2021年)なら1月。(いずれも土曜日の朝10時〜)
 ・講師との連絡調整などは上野が担当で、開催予定日も上記に沿って調整していくことになった。

5)今後の予定について
 (1)  5月29日19時〜、大村ケーブルテレビ・「歴史の散歩道」、福重の史跡2か所の放送

次回の例会:2020年9月30日(水)19時00分〜、場所:福重住民センター 
      次々回は11月18日(水)19時00分〜、場所:(同上)

(以上)


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