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第5回講座
2004年1月12日開催
・江戸時代
(郷村記を中心に)
第1回講座 第5回講座
第2回講座 第6回講座
第3回講座 第7回講座
第4回講座 第8回講座
講座目次

史跡探訪
特別講座
福重郷土史講座、
妙宣寺(1614年から現在地)
第5回講座の概要
日時:2004年1月12日 19時00〜21時45分 参加者:12名

郷土史講座第5回目講演 講師:増元さん(寿古町内会長)

1)福重の歴史B、江戸時代(郷村記を中心に)
 前回講座でも触れましたが、大村純忠の果たした大きな特徴点として、次の3点(1)全国初のキリシタン大名、(2)長崎開港、(3)天正遣欧少年使節団派遣などが上げられます。

キリシタン関係の略年表
1543年 ポルトガル船の種子島漂着
1549年 ザビエルの来日、キリスト教の伝来
1562年 大村純忠、横瀬浦で南蛮貿易開始、大村領にキリスト教布教開始
1563年 大村純忠、キリスト教に改宗
1573年 室町幕府滅亡、安土桃山時代へ
1574年 キリスト教徒、領内の寺社破壊へ、キリスト教の強制(信者6万人)、仏教など領外追放、
1582年 少年使節団出発
1587年 大村純忠死去、純前相続、豊臣秀吉のバテレン追放冷
1590年 少年使節団帰国
1602年 大村純前、棄教、禁教令
1603年 江戸幕府の成立
1605年 純前、宣教師追放
1612年 江戸幕府、キリスト教禁止令
1637年 島原の乱、キリシタン弾圧、鎖国へ
1657年 「郡崩れ」、キリシタン608名逮捕、内411名処刑(永牢78名)

 ここで見ておく必要があるのは、大村純忠、純前、父子の動きです。純忠は、家臣の離反、財政難などの不安定な状態を回避するために、キリスト教を利用し、領民にまで強制し、従わない者には追放その他、弾圧まで加えました。そのようなことをしておきながら、純前は禁教令を真っ先に受け入れ、棄教し、自分の身の安泰をはかったことです。それに比べ、大村領民は、「郡崩れ」の弾圧でも分かる通り、ずっと信仰していました。

福重の状況は
 大村純忠キリスト教改宗時の居城は今富城です。福重にも教会があり、その場所は、今富城と石走の間にあったと言われています。キリシタンによる福重の神社仏閣の一斉焼き討ちは、宣教師が当初から大村純忠に要請していたもので、説教が終わると打ち壊しに走り、材木などは持ち帰ったなどの史実があります。

 その後、福重内において焼き討ちにあった神社仏閣は、一つも再建されませんでした。大村純前は、キリシタン禁止後、大村領内に日蓮宗を広めました。弥勒寺町にある妙宣寺は、その時のお寺で1602年最初の場所は極楽寺跡で、1614年現在地となっています。 なお、妙宣寺の初代住職は、(現在の佐賀県白石町の)須古村の出身です。

 <上野注:この須古村と福重との関係は、これで最低4事例となります。(1.寿古踊りは、『須古踊り』から、2.寿古の地名も『須古村』から、3.大村寿司は『須古寿司』から、4.妙宣寺初代住職の出身地も『須古村』からと、何か深い結びつきを感じます>

馬頭様
馬頭様についての補足
 昨年の史跡探訪でも見ましたが、頭に馬の神様が乗っています。馬頭様は、六つある観音様の一つです。苦しんでいる人がいれば、真っ先に駆けつけてくれる神様と言われています。

(第5回講座報告は、以上)
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