写真・報告 そ701
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2025年、箕島会、法界萬霊の慰霊祭(長崎空港、開港50周年の年)(概要報告)
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箕島会、法界萬霊の慰霊祭(長崎空港、開港50周年の年)(概要報告) 日時:2025年5月1日、11時00分~11時30分 場所:大村市箕島町(長崎空港内の花文字近くの慰霊碑前の広場) 主宰者:箕島会 参加:目測で全体:約40名(箕島会:約20名、来賓・報道・関係者:約20名) 注1:このページ内容は、詳細かつ正確では無く、撮影者の上野が覚えている範囲内の概要のみの記述である。そのため、あくまでも、ご参考程度に閲覧願いたい。 注2:本ページ掲載写真は、順不同で上からの順番とか、写真整理番号などには何の意味も無い。
<用語解説> ・法界=意識の対象とするすべてをいう。(大辞泉より) ・萬霊=神々 上記の仏語を併せて法界萬霊とは一般に、「全世界・全宇宙の生きとし生けるもの霊」などとして使われているようだ。補注:箕島会の皆様にとっては、主に(写真3)の「法界萬霊の慰霊碑」のことであろう。 <主な内容> 一、献花 一、読経 一、焼香 一、来賓者挨拶 一、主催者挨拶 (箕島会の記念写真撮影) <概要> 上記の<主な内容>通りの順番で慰霊祭は、進められました。その中で、来賓の空港長・長崎県知事代理・大村市長からと、主宰者箕島会・会長の挨拶がありました。撮影者の上野は、この各挨拶を詳細かつ正確に書く能力は無いので、特徴的な内容のみを下記に書いています。なお、分かりやすくするために太文字なども付けました。 来賓者挨拶 「長崎空港建設ができたのは箕島の皆様のおかげであり、心から感謝と敬意を表する。これからも空港の発展に努めたい」 「箕島の皆様の土地提供のおかげで世界初の海上空港として開港できた。国内外の路線があり、これからも発展させていきたい。 「大村市は間もなく人口10万人となる。このように市も長崎県も発展しているのは、箕島の皆様が土地を提供され、長崎空港建設ができて、さらには開港後に長崎空港が発展してきたことの影響も大きい。改めて皆様には感謝申し上げたい」 箕島会・会長挨拶 (上記と同じく概要のみ) 本経寺、長安寺、来賓の皆様のおかげで慰霊祭が無事に終わるので大変感謝申し上げたい。50年前から箕島会は、13戸のままで一戸も欠けることなく深い繋がりがあった。ここまでやってこれたので、感慨深いものがある。開港50周年を機に、さらに長崎空港が発展していくことを願っている」 ・箕島会の記念写真(写真2参照) 慰霊祭が終わった後、農協の方で準備して頂いた机や椅子などの片付けを全員でおこない、記念写真の撮影となりました。先程まで慰霊祭の緊張感から、箕島会の皆様は、笑顔もある柔和な表情に戻られカメラの方をを向いておられました。なお、慰霊碑の脇には、(写真9)の木瓜(ボケ)の花が咲いていました。また、帰りには、下記(写真11)と同じような空港を見にながら次の場所へ進んでおられました。 最後になりましたか、慰霊祭に出席された全員の皆様、お疲れ様でした。 <上野の感想など> 上野は始めて慰霊祭に参加しました。改めて撮影させて頂いた箕島会の皆様へ感謝申し上げます。なお、どなたの挨拶内容も良かったのですが、会長が話された「50年前から箕島会は、13戸のままで一戸も欠けることなく深い繋がり・・」の内容は、敬意を表するものです。 そして、これだけ長崎空港が発展してきたのは、箕島の皆様の土地と、漁業組合よりの周辺の漁場の提供があったからこそと改めて思い直しました。 最後になりましたが、慰霊祭に出席された全員の皆様、お疲れ様でした。 |
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(写真10) 左側は来賓の方々、中央部は箕島会の皆様、右端側は進行役の方 (法界萬霊の慰霊碑と石仏は中央部の木立の中にある) | ||||||||||||||||
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(写真11) 長崎空港 中央部は空港ビルや管制塔など 最奥左側の山は郡岳(こおりだけ、826m) | ||||||||||||||||
・関係ページ:「箕島」 「赤島」 「がろう島」 「そうけ島」 「箕島分校」 「2025年5月1日、長崎空港開港50周年記念セレモニー(概要報告)」 | ||||||||||||||||
初回掲載日:2025年5月1日、第二次掲載日: 月 日 | ||||||||||||||||