日時:2013年6月28日10時00分〜10 時50分 場所:大村市黒木町(登山者用の市営駐車場近く)、参加状況: 歌と作業の披露者数:9名、大人の見学者数(取材や先生含む):約40名、黒木小学校の生徒:19名、合計参加者数:約70名
披露されたな主な内容(概要)
1)木遣り歌(けやりうた) (一般には「きやりうた」だが大村弁の言い方。木遣り=木を運ぶことなどを言う)
2)木挽き歌(こびきうた) (木挽き=ノコギリで木を切ることを言う)
3)上記の歌に合わせて木材を運ぶ、切るなどの作業実演
木の回転作業中 |
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歌の披露中 |
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この歌の披露になった経過は、大村市の市史編さん室が黒木に伝わっている木遣り歌などの調査をしていました。そして、黒木町の方に聞き取りをしていたところ、「それだったら、実際に歌っているところを見てくださいよ」と言うことで、黒木町の有志の方々が協力され、披露の運びになったそうです。
実際の作業もされつつ、黒木の木遣り歌・木挽き歌を歌われました。皆さん、なかなかいい声で、周囲の山林にも響き渡るような美声でした。昔から伝わる作業歌ですから質素ながらも、作業に合わせた軽快な調子の歌という感じに聴こえました。
また、こんな大きな木が切れるのだろうかと思うような材木でも、幅30cmくらいと思える大きなノコギリで切ったり、独特の道具で作業者同志、気持ちを一つにするように歌いながら木を坂道の下側や上側へ上手に運んでおられました。
見学にいらっしゃった黒木町の方々や黒木小学校の生徒さんなどから、歌い終わった都度に歓声やねぎらいの拍手が起こっていました。歌など披露された黒木町の皆様、見学された皆様、大変お疲れ様でした。
萱瀬の林業関係の補足
黒木町のある 萱瀬地区全体で、昔は大変、林業が盛んでした。道路が 広くなる前は、郡川の水運を使って上流から下流へ 流し、郡川河口の寿古町周辺が、その集積場だったのではないかと思います。江戸時代に編纂された(大村)郷村記にも、寿古の玉木役所の件で概要(現代語訳で)「萱瀬の山から大小の木を伐り、郡川をつかって筏(いかだ)を組んで下流の(寿古の)下河原に流した」みたいなことが記述されています。
また、萱瀬ダム下流の郡川の中に「榎木茶屋河川公園」が現在整備されて、夏休み中、子どもたちの川遊びの場所になっています。あの「茶屋」の名称由来は、昔、木材を流す作業員の茶屋=休憩所だったように案内板には書いてあります。
あと、田下町、氷川神社境内にある「ふるさと郷土館」の写真展示には、何枚か萱瀬の林業や運び出しの写真があったようです。以上の事柄からも萱瀬地区は林業が盛んだったことが分かります。
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