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福重の写真集 その331

2015年 鯨(クジラ)が寿古の海岸に漂着(概要紹介)

写真1:大村市寿古町の海岸に打ち上げられた鯨(クジラ)の調査中<体長約7m>(2015年11月26日10時40分撮影)

 (注:地元でも大きな驚きと話題になっていたので、上野も11月26日の朝になって上記の海岸へ写真撮影に行きました。下記データは、テレビや新聞で報道されていた内容を簡単にまとめただけものです。報道によって、色々と違いがあるようですから、後日訂正するかもしれません)
鯨(クジラ)が寿古の海岸に漂着
発見日:2015年11月25日
08時過ぎ位に散歩中の方が発見 
場所:大村市寿古町の海岸線
大きさ:体長約7m、体重5〜6トン位
種類:ヒゲクジラの仲間(一種)、メスの子どもか?

状況など:
 
(11月25日時点で)既に死後何日か経っていたと言う。大村湾には以前からスナメリ(砂滑)=「ハクジラの一種。全長1.8メートルほど。体は暗青灰ないし黒色で,背びれがない。インドから東南アジア,日本の沿岸に分布。瀬戸内海のものは天然記念物として保護されている。(国語辞典の大辞林より)」は、何回も確認されている。

写真2:鯨(クジラ)の頭部側

 しかし、今回のようなヒゲクジラの仲間(一種)は、彼らにとって大村湾は狭いために生息していないと言う。推測ながらも、広い東シナ海から迷い込んで来たのではないかと言われている。

鯨(クジラ)と大村の関係
 郷土史関係で鯨(クジラ)と言えば直ぐに、波佐見町出身で偉人でもある深沢義太夫勝清(ふかざわぎだいゆうかつきよ)を思い出す。彼が30歳頃に紀州(現在の和歌山県)の太地浦で鯨(クジラ)捕り技術を習得し、その後、九州初の鯨組(くじらぐみ)を組織し、九州近海(対馬海峡、五島近海など)で、鯨漁に成功した。

 その結果、大きな財もなした。しかし、彼は、それを例えば野岳大堤(野岳湖)造成を始め、新田開発あるいは神社仏閣の建設(つまり、今で言う”公共事業”)に私財をつぎ込んだ。これらが出来たのは、クジラのおかげそのものだった。また、江戸時代の大村領で、稲の病害虫発生を防ぐため、「鯨(クジラ)の油」を田んぼに流したと言う説も聞いたことがある。

 このように鯨(クジラ)と大村は、切ってもきれない関係、大村領民にとって大いに役立った歴史がある。あと、年配者の昔話ながら、「かつてクジラを見たことがある」と聞いたことがある。今回、残念ながら死んでいたが寿古の海岸に漂着してきたのは、ある面、鯨(クジラ)と大村の関係を思い起こした。

  26日朝、 冷たい風が吹く中、鯨(クジラ)を調査しておられた若い方々(大学生かな)、大変お疲れ様。私は全くの傍観者だったが、皆様にとって研究成果の多いことを願っている。

(掲載日:2015年11月27日)

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