米国戦略爆撃調査団報告書(大村 第21航空廠)の展示
日 時:2016年10月20日 09時00分〜17時00分
参加数:8名(今回は関係者のみへの案内)
場 所:福重地区住民センター・大会議室
標題の報告書について
・この情報提供は神奈川県在住の方からあった。
・戦前、大村市内にあった第21航空廠のことが写真とともに詳細に記述されている。
・全文翻訳は校正中のため、今回2項目分(全体の30%弱)を公表した。
<事実関係>
(1)大村の調査期間:1945 年10月6日〜11月11日、
(2)報告書発行:1947年2月
(3)原本はアメリカ公文書館に保管(複写版が日本の国立国会図書館にある)
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<調査目的>
米軍が日本へおこなった戦略爆撃の効果や影響を調査して航空戦力を分析し、将来の軍事力整備に役立てることを調査目的としていた。(他は「概要紹介文」を参照)
<主な内容>
序論、従業員数・勤務状況、航空機生産(製造)の統計、生産(製造)の目標に関する情報の評価、写真9枚、他に表や図が多数あり。
<主な特徴>
(1)上野の推測ながら当時の日本側(21空廠)にあった記録と、工場責任者(管理職)などから聞き取り調査を経て作成されたと思われる。とにかく従業員数、航空機生産機数、敷地や配置図などが細かく数値、図示、文章化されている。
(2)従来、大村市内で発行された書籍類にも航空機生産機数などはあるようだが、米国戦略爆撃調査団報告書ほど詳細かつ明瞭に書いてないと思われる。
(3) 写真が9枚掲載されているが、従来の書籍類には載っていないものばかりである。
<今回発表分>
まだ、翻訳中(校正中)のため、今回は下記の2項目のみ発表した。(全体の30%弱である)
INTRODUCTION=序論(序文) 、 EMPLOYYMENT=従業員(労働者)
<今後>
・広範な方に知って頂き、21空廠の歴史記述の再検証が進むことを望んでいる。
・いずれ完全翻訳ができて、私の予算上、可能ならば小冊子を発行したい。
(ご参考までに)
上記の米軍報告書の全文訳は、ほぼ出来ています。ただし、翻訳の校正や従来からある他の書籍類(資料類)との比較検証が遅れています。その関係上、あと数か月かかり、いずれ全文訳の完了および発表ができると思います。
上記の米軍報告書の英文には、航空専門用語や航空機全体の(概要)知識を知っていなければ訳せない部分も多々あります。翻訳や校正は、上野兄弟でおこなっていますが、二人とも元は航空分野で働いていましたので、直訳英語的な訳ではなく、できるだけ分かりやすい英文訳の内容にしたいと工夫しながら作業を進めています。
<注:(2017年9月14日付けで) 上記の件、この全文訳の作業途中で簡略版では文字のかすれがあることが分かりました。また、写真の粗さなどもあり、さらには現時点で私自身の冊子発行の予算不足もあります。そのため、検証作業の遅れと、2017年9月時点で、まだ冊子発行などの目処が立たない状況です。この点、あしからず、ご了承願います>
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(上記内容の報道について)
・2016年10月27日付け長崎新聞15ページに、米国戦略爆撃調査団報告書(大村 第21航空廠)の一部内容あるいは10月20日に開催した展示写真なども含めて、紹介して頂きました。
・大村ケーブルテレビでも放送して頂きました。
(初回掲載日:2016年10月21日、第二次掲載=一部追加文:2017年9月14日、第三次掲載: 年 月 日、)