福重の名所旧跡や地形
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上河原の弁財天(沖田の弁財天) (沖田町) |
弁財天(べんざいてん) | 場所:長崎県大村市 沖田町 |
この『上河原の弁財天(沖田の弁財天)』の所在地は、大村市沖田町の上河原(かみごうら)にあります。この弁財天の場所は、郡川の左岸から約80mの所に上河原の集会場があり、その敷地内です。 弁財天(弁天様)とは、インド神話で河川の女神のことですから、郡川との関係があるのかもしれません。郡川は過去数多くの氾濫や蛇行を繰り返した結果、大村扇状地ができたと言われています。 沖田町の上河原は郡川の下流域になりますが、氾濫を治めるために、この弁財天は建立されたものと思われます。下記に(大村)郷村記を引用しながら、私の現代語訳と補足を紹介します。 (左写真は、上河原の弁財天) この写真でもお分かりのとおり、上河原の弁財天は左手に宝珠を乗せ、 右手で法剣を握る形と思われます。 |
弁財天とは、国語辞典の大辞林によると、< 《(梵)Sarasvatiの訳》インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰された。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶(びわ)を弾く天女の姿で表される。また、日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰される。弁天。べざいてん。 >と、書いてあります。 また、普通一般には「七福神の中で一人だけ女性の神様」とか「弁天さん」とも呼ばれています。先に紹介した事典にも書いてあるとおり、川や水の神様さらには音楽、財福の神様のため人気も高く、全国いたる所に弁財天はおられます。 上河原の弁財天(沖田の弁財天)について、(大村)郷村記から引用致します。下記の「 」内が、その文章です。(注:文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています) 「 上河原 弁財天 神躰石座像 例祭十月亥ノ日 宮代清右衛門 宝円寺勧請 所中祭之 石祠 稲荷大明神 神躰無 石祠 境内入六間二横五間 当社は天和元辛酉年十月建立 導師多羅山法印権大僧都寛盛 」 上記を現代風に口語訳すると次の< >内の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。 < 上河原 弁財天 ご神体は石の座像である。例祭は宮代(神社の代表)の清右衛門が10月12日、宝円寺に来てもらって、この地域で祭っている。石祠がある。稲荷大明神のご神体はない。 石祠がある。境内(の広さ)は、入口から(奥まで)約10m、横は約9mである。 当社は辛酉(しんゆう=かのととり)の天和元(西暦1681)年に多羅山の法印権大僧都(注:最高位のお坊さんのこと)によって建立された。 > (掲載日:2007年10月13日) |