福重の名所旧跡や地形
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金屋の地蔵菩薩(沖田町)
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金屋の地蔵菩薩(かなやのじぞうぼさつ) | 場所:長崎県大村市 沖田町 |
この『金屋の地蔵菩薩(かなやのじぞうぼさつ)』の所在地は、大村市沖田町の金谷(かなや)にあります。 はじめに、呼称について書いておきます。旧字に「金谷」があり現在も使用されていますが、(大村)郷村記には「金屋」と書かれています。それで『金屋の地蔵菩薩』を説明する場合、この表記で統一致しました。 沖田町公民館近くの金屋(金谷)には、三体のお地蔵さんが石に彫られています。下記に大村郷村記と国語辞典を引用しながら、この地蔵菩薩について紹介します。 (左写真は、沖田、金屋の地蔵菩薩) |
地蔵菩薩とは、国語辞典の大辞林によると、< 《(梵)Kitigarbhaの訳》釈迦の入滅後から弥勒(みろく)仏が世に現れるまでの間、無仏の世に住み、六道の衆生(しゅじょう)を教え導くことを誓いとした菩薩。中国では唐末、日本では平安中期から盛んに信仰された。像は慈愛に満ちた円満柔和な僧形に作り、多くは右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つ。 >と、書いてあります。 金屋の地蔵菩薩について、(大村)郷村記から引用致します。下記の「 」内が、その文章です。(注:文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています) 「 金屋 地蔵菩薩 三躰石二 切付 例祭九月二十四日 百姓富五郎 一手手祭 雨覆 藁宇 横一間方 」 上記を現代風に口語訳すると次の< >内の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。 < 金屋 地蔵菩薩 (この地蔵は)石に三体彫られいる。例祭は百姓の富五郎が一人で9月24日にまつっている。雨の覆い(おおい)は、藁(わら)ぶきである。横幅1.8メートルくらいである > 建立年について、上記の大村郷村記には書かれていませんので不明です。また、なぜ、この沖田町の金屋(金谷)に地蔵菩薩がおられるのか、これまた不明で推測含めて何とも言えない状況です。 あと大村郷村記の文章や上記の写真でもお分かりの通り、ここのお地蔵さんは三体です。しかし、元々は三体が二つ=六体地蔵ではなかったとも考えられます。つまり、もう三体のお地蔵さんは何らかの理由で行方不明だと言う説です。ただ、今となっては、この”三体が行方不明説”も、地元では伝承もなく詳細は分からない状況です。 私の見た印象ですが、お顔の表情は上記写真の通り分かりにくいですが、三体とも仲良く何百年も並んでおられるためか、何か安心感も覚えました。 (掲載日:2007年10月23日) |