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福重の名所旧跡や地形

沖田の鹿大明神(沖田町)
鹿大明神(しかだいみょうじん) 場所:長崎県大村市 沖田町
 この『沖田の鹿大明神(おきたのしかだいみょうじん)』の所在地は、大村市沖田町の下沖田にあります。現在、下沖田の集会場の中にまつられています。この鹿大明神は、その名の通り鹿にまつわる由緒があります。

 この点については、下記に(大村)郷村記を引用しながら、私の現代語訳と補足を紹介します。ただ、時代がかなり経った関係か、この大村郷村記に記述されている内容と現在の状況は、少し違っていることも事実です。
 

(左写真は、沖田の鹿大明神)



 下記の 内が(大村)郷村記からの引用文です。(注:全文文章は続いていますが、分りやすくするため文章の区切りと思われる箇所に、スペース=空白を挿入しています)

 「 沖田 一 鹿大明神
  
 神体 唐金像 妙泉寺勧請 例祭九月二十五日沖田郷中祭
    神殿 五尺方 萱宇、
   拝殿 二間梁二間半 萱宇
   境内 入五間横四聞、木鳥居一基

 当社建立の年間不知、其由来は沖田村に氏福忠右衛門と云足軽あり 此者除夜の夢に鹿大明神海上より来り給ふと有て夢覚たり 夜明て沖田の浜辺に出ぐ海面を望むに沖の方より何歎浮ひ来る 是を熟視するにそふけ三ツ重りたる内に鹿の角ニツあり 昨夜の夢は正しく是ならんと携帰て鹿大明神と勧請す 

 先年沖田中川と云所に鹿大明神の社ありと云 其跡に鹿塚とて今にあり 此中川に垂跡ありし時、氏福石見と云者宮代のよし右の忠右衛門は石見の男なり 正徳四年(714)再建厨子扉に功徳主富永五郎左衛門とあり 以前のぞふけとて今に大小四ッあり鹿の角大小三十一本古箱に存す   」

鹿大明神が祭られている下沖田集会
 上記を現代風に口語訳すると次の の通りと思われます。ただし、念のため、正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の素人訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。

 「 沖田の鹿大明神
   ご神体は唐金象である。妙泉寺に来てもらって例祭は9月25日に沖田郷で祭っている。神殿は約150cm四方の広さで萱(かや)ぶきの屋根である。拝殿は奥行き3.6m、横4.5mの萱ぶきである。境内(けいだい)は入口から(奥まで)5.5m、横幅は約7mで木製の鳥居が一基ある。

  当社(鹿大明神)の建立年は不明である。その由来は沖田村に氏福忠右衛門(うじふくちゅうえもん)と言う足軽(あしがる)がいた。この者が、除夜=大晦日(おおみそか)の夜の夢に鹿大明神が海上よる来る夢を見た。夜明けに沖田の浜辺に出て海面を見たところ、沖の方から何か浮かんで来ている。これをじっくり見てみるとソーケ(竹製の入れ物)が三つ重なっていて、その中に鹿の角(つの)が二つあった。昨夜の夢は正夢だったと思い、手に持って帰って鹿大明神を建立した。

  昔、沖田の中川と言う所に鹿大明神の神社があったという。その所には鹿塚が今でもある。この中川に、その神社があった時に氏福石見という者は本来の神社の変わりにまつっていた者と言う。右の(先に述べた)忠右衛門は石見の息子である。正徳四年(1714)に再建され、(仏像を安置する)厨子(ずし)の扉に功徳主富永五郎左衛門と書いてある。以前あったソーケは大小四つあって、鹿の角が古い箱に大小31本ある。  

 上記のほかに地元の方の話によりますと、昔「郡川で煙管(キセル)入れみたいな物に入った小さな仏様が拾われた」と言う説があります。そのことから、この「鹿大明神」と書かれた石祠には、この仏様がまつってあるのではないかとも言われています。

  あと、余談みたいになるのですが、沖田郷(現在の沖田町)には鹿大明神を祭ってこられた関係上、昔は各家で犬は飼われない風習があったようです。(念のため、現在そのようなことではありません)

  以上のように、沖田の鹿大明神については様々な説があり、大村郷村記に書かれている内容と現在の状況からして、さらに調査や研究が必要だとも思われます。

(掲載日:2007年10月8日、一部改訂:2019年7月31日)


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