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大村空襲・戦争遺跡・遺構など   福重空襲 
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(写真A) 大村市今富町〜皆同町、福重飛行場、(左側は史跡説明板)現在は滑走路左端側の幅2.6m農道のみだが当時は幅が30m、長さ950mだった。今富町は福重飛行場、福重(今富)砲台、防空壕の飛行機部品倉庫や工場があったので空襲犠牲者や罹災が多かった)
福重空襲-----小学校の児童(9歳)まで射殺された

福重空襲の概要(注:この項目は箇条書きの概要のみで詳細は後の項目を参照)
 ・名称:(大村市福重地区)福重空襲(ふくしげ くうしゅう)
 ・年月日:1944(昭和19)年〜1945(昭和20)年の終戦まで何回もあった
 ・場所:大村市福重地区=全10町の内、少なくても7町で発生した
 ・犠牲者:福重国民学校(小学校)児童1名(氏名も死亡年月日も判明)含め合計11名(ただし2010年調査時)
     さらに2020年8月の情報では「福重(今富)砲台の空襲で軍人の多くが亡くなった」との情報があった。

 ・罹災:民家41戸が全焼(戦災概況図参照)、あと福重国民学校(小学校)も平屋校舎が極一部損壊(ただし授業は続いた)

 ・犠牲者や罹災者が多かった理由:戦闘迎撃部隊の「第三五二海軍航空隊」(草薙部隊)を始め、福重飛行場、福重(今富)砲台、皆同砲台、野田機銃台、第21航空廠(航空機製造工場)の疎開工場・倉庫、各兵舎(三角兵舎)などが、福重地区にあったため、幾度となくアメリカ軍機が空襲をおこなった。

 ・戦災死者(空襲犠牲者)の氏名:今富町の大神宮境内にある福重村招魂碑横の「殉国慰霊顕彰碑」に軍人の戦死者とともに「戦災死者(空襲での犠牲者)名も彫ってある。ただし、この氏名は日本人の福重地区在住者のみで地区外の軍人や外国籍の犠牲者は入っていない。

(写真B) 福重砲台(今富砲台)跡(西側)
(地下の施設に入る場所と推測される)
福重空襲は何故、被害が大きかったのか
 福重地区は、大村8地区あるなかで面積では3番目に広いのですが、戦前当時の人口は3,000人もいないような農業(農村)地域でした。そのような場所で、何故、空襲被害は大きかったのでしょうか? 

 その答えを書く前に大村市内でも、特に、西大村地区・竹松地区・萱瀬地区なども空襲の多かった地域です。それらの地域にあって共通した事項は、主に、第21航空廠(航空機製造工場)と、その疎開工場など、また、大村海軍航空隊(飛行場)や高角砲台(高射砲陣地)などの軍事施設が多くあったからと思われます。

 そして、それらと重複しますが、福重地区には、下記(1)〜(7)事項の軍事施設と、その関連諸施設が多数ありました。<注:下記の町名は現在の町名称>
 ・「終戦前後の福重地区、戦跡(空襲、戦災)概略図」ページも参照願う。

 <福重地区内にあった軍事施設関係と、その町名>
 (1) 第三五二海軍航空隊(「草薙部隊」、戦闘迎撃部隊)-----沖田町
 (2) 福重飛行場(薄いコンクリート舗装の滑走路で長さ950m×30m)----今富町・皆同町
 (3) 福重砲台(「今富砲台」、高射砲陣地)-----------------今富町
 (4) 皆同砲台(高射砲陣地)-----------------------------皆同町
 (5) 野田機銃台--------------------------------------野田町
 (6) 航空関連諸施設(21航空廠関係、兵舎など)-----------主に今富町など
 (7) 高圧電線と鉄塔など-------------------------------主に野田町、立福寺町など

(写真B) 福重砲台(今富砲台)跡(東側)
(「滑走路は長さ
・空襲に遭った町と軍事施設との関係
 <上記(1) 〜(7)で一部は、既に詳細に書いている事項もありますので、先のリンク先から参照願います>

 福重地区内10町ある中で、空襲による犠牲者数が最も多かったのが皆同町です。その次が今富町(軍人の死亡含めて)です。また、空襲による罹災戸数(全焼など)で一番多かった町は沖田町で10戸、次に今富町の9戸です。(注:それ以外の犠牲者数や罹災戸数などは、後の項目に全体まとめて詳細に書く予定)

 先に述べました犠牲者数罹災戸数が多かった町は、やはり、上記「(1)〜(7)項目の軍事施設や、その関係施設が多くあったから」と思われます。そのことをアメリカ軍は、空中撮影や様々な情報から知り、かなり正確に爆弾、焼夷弾さらには戦闘機の機銃などによって空襲(攻撃)をしていることが分かります。逆に、軍事施設がなかった3町には、空襲は全くなかったようです。

 なお、「(7) 高圧電線と鉄塔など」については、異説もあり、真偽定かではないのですが、地元では「(高圧電線や鉄塔の空襲について) アメリカ軍のレーダーは電気の高圧線に反応するため、そこが狙われたのではないか?」との説を述べられた方も多かったです。

 あと、高圧電線は、「終戦前後の福重地区、戦跡(空襲、戦災)概略図」上の「爆弾または焼夷弾」の落下地点のライン(立福寺町〜野田町)もありますので、高圧電線沿いをアメリカ軍機が狙っていた可能性もあると思われます。高圧電線や、その鉄塔のあった立福寺町〜野田町には、一部を除き軍事施設は、あまりなかった町なのに空襲に遭っています。

 そして、ここからは上野の補足ながら、その空襲の結果、高圧電線が切れたり、鉄塔が倒れたりすれば、航空機を始め軍需物資全般の製造・生産が難しくなっていくことも先の理由になり得ます。つまり、電気(電力)は、当時も現在もライフラインであるばかりではなく、工場生産で最も必要なエネルギーの一つで、そこをアメリカ軍機は狙っていたことも考えられるでしょう。

空襲犠牲者について
 まず、福重地区の空襲による犠牲者数についてです。当初、2010年の福重郷土史同好会・定例会(毎年、数回開催)で、それまで数年かけて各町の被害状況を調べていました。そのまとめた犠牲者数(地区住民だけでなく軍人や他国籍の人含む)は、合計11名でした。ところが、今年(2020年)8月下旬に、新たな情報として、「今富郷(町)にあった福重砲台で空襲に遭い、大勢の軍人が亡くなった」との情報が寄せられました。

(写真C) 福重砲台(今富砲台)跡
(地下の施設に入る場所と推測される) 注:現在はない。
 そのことを詳細に述べる前に上野は、福重地区の空襲被害状況含めて、戦後75周年の企画として、2020年7月15日付けで、第21航空廠(航空機製造工場)の空襲被害を除く「大村空襲」の冊子を発行しました。その後の同年8月12日、大村市陰平町の「(釜川内)空襲柿の木」紹介文も公表いたしました。すると、この「大村空襲」冊子と、「空襲柿の木」のことが、ケーブルテレビで8月14日から(再放送含めて)放送され、また、長崎新聞の8月18日に大きな記事として報道もして頂きました。

 先の新聞記事を見られた西海町の方から、「福重砲台(今富砲台)」(高射砲陣地、高角防空砲台)で軍務についておられた時の情報が届けられました。それによりますと、「(昭和20年の)田植えの頃、アメリカ軍機から福重砲台全体が空襲に遭い、大勢の犠牲者がでた。その数は覚えていないが、軍用トラックに(簡易型の)棺桶がいっぱい並んでいた。そして、火葬場に運ばれた」との内容でした。

 あと、この空襲年月日は、私の方で調べたところ、当時の福重国民学校(小学校)の児童(9歳)が米軍機による射殺があったり、また同町の帯取の民家や小屋が全焼した場所は、同じ今富町の帯取です。つまり、いずれも空襲の年月日は、同じと思われます。その年月日は、1995(昭和20)年7月5日です。

 この帯取での空襲年月日は、先に書きました児童の墓碑(戒名塔)に彫ってありましたので判明いたしました。なお、この日は、鈴田地区、陰平町「釜川内空襲」があった同じ日でもあります。



・各町別の犠牲者数と、その状況

   (後半原稿原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)




空襲罹災(火災)について


   (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



・沖田町、第三五二海軍航空隊(草薙部隊)と空襲


   (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



今富町、福重(今富)砲台、21航空廠の疎開工場、沢山の防空壕や空襲


   (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


皆同町、皆同砲台、空襲による防空壕の落盤事故(犠牲者9名)


    (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


補足


 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:「終戦前後の福重地区、戦跡(空襲、戦災)概略図」 「福重飛行場」 「福重飛行場跡の史跡説明板」 「野田機銃台」 「福重小学校の歴史


 (初回掲載日:2020年9月17日、第2次掲載日:9月24日、第3次掲載日:9月25日、第4次掲載日:9月27日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日、第7次掲載日: 月 日、第8次掲載日: 月 日)
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<古写真や資料提供のお願い>
 戦前の写真、資料類は、極力収集に努めていますが、全て上野の一人作業のため、まだまだ、少ない状況です。どなたか、ご提供あれば掲載を考えますので、どうか、ご協力願います。(メールは、このページからお願いします)
       
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  下記3講演内容の詳細報告 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2012年6月25日・桜ヶ原中学校での講演(概要報告) 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2012年8月9日・郡中学校での講演(概要報告) 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2006年11月25日・福重小学校での講演(注:主に写真のみ) 掲載中
       
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