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大村空襲・戦争遺跡・遺構など   野田機銃台 
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(写真A)  大村市野田町(通称「辻の花」)、野田機銃台跡 写真中央部に機銃が2丁、その奥側(下側の畑)に2丁の機銃があったと言う。あと一か所の場所は右端側の農道を10m強下った所に機銃があったと言う。戦後、数十年間、畑にコンクリート片が残っていた。写真奥側に薄く西彼杵半島、長崎空港、大村市街地も見えるほど見晴らし抜群の所である。
野田機銃台-----戦時中、ほぼ使われなかった機銃台があった

野田機銃台の概要(注:この項目は箇条書きの概要のみで詳細は後の項目を参照)
 ・名称:野田機銃台(のだ きじゅう だい)
       注:「皆同砲台」などと違っているので地元伝承の「機銃台」の名称にした>

 ・年代:戦争の後期頃か?<1945(昭和20)年頃?>

 ・場所:大村市野田町通称「辻の花」の2か所(現在は両方とも畑)にあった。
 
・標高:約110m。<現在でも大村湾、長崎空港(箕島)、市街地、多良山系、西海橋、西彼杵半島まで一望できる所>
 ・記録:「引渡書」など正式な記録類にはない軍事施設と思われる?
 
・備考:コンクリート製の簡単な銃座はあったが、ほぼ未使用のまま撤去されたと言う。

 ・補足:同じ福重地区でも低い丘陵地帯にあり、実戦で使用された「皆同砲台」や「福重(今富)砲台」に比べ、ここは当時、市道からは人(馬)が通れる位の里道(赤道)しかなかった。そのため重い高射砲、銃弾、物資などを運搬するのは容易ではなく、見晴らし抜群の所ながら機銃(機関銃)を構えただけで、ほぼ使用されなかったのではないか?

野田機銃台についての証言



   (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



補足

 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



 (初回掲載日:2020年9月12日、第2次掲載日: 月 日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日:月 日)
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<古写真や資料提供のお願い>
 戦前の写真、資料類は、極力収集に努めていますが、全て上野の一人作業のため、まだまだ、少ない状況です。どなたか、ご提供あれば掲載を考えますので、どうか、ご協力願います。(メールは、このページからお願いします)
       
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  下記3講演内容の詳細報告 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2012年6月25日・桜ヶ原中学校での講演(概要報告) 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2012年8月9日・郡中学校での講演(概要報告) 掲載中
関係HP  (増元氏の)大村空襲の講演  2006年11月25日・福重小学校での講演(注:主に写真のみ) 掲載中
       
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