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大村の歴史
竹生島流棒術

竹生島流棒術(大村市内で伝承されている長崎県唯一の古武道)

 
竹生島流棒術の発祥の地は、その名の通り琵琶湖北部に浮かぶ竹生島(滋賀県長浜市)です。歴史については後で触れますが約800年と言う長い歴史のある流派です。この流派はその後、久しく山形の庄内地域などで伝承されてきましたが、近代になり宗家が長崎県大村市に移住されたため、現在は大村市宮小路町に本部道場があります。もちろん、門下生の方々は全国におられますし、山形には支部道場もあります。なお、日本古武道協会に加盟され演武されている流派としては、長崎県唯一の古武道でもあります。

竹生島流棒術の演武
(右側:十七代、左側:十八代宗家の松浦父子)
スペイン、サラマンカにて演武

 あと、十七代と十八代宗家の松浦氏(現在の宗家)は、大村市弥勒寺町にも住んでおられました。当時、十八代宗家と上野とは福重小学校の同級生でもあり、私自身も十七代宗家の方に、地域での青少年活動(今で言う健全協の活動)で剣道を少しだけですが習った記憶があります。このような地域での貢献からか、今でも福重では当時宗家に習われた方やその父兄からは慕われておられます。

 竹生島流棒術の歴史は、代々宗家に伝わる伝書(巻物)によれば、この流派を起こした流祖は摂津(現在の大阪)出身で難波平治先閑(なんばへじみつのり)と言う人です。伝書などには概要次のことが書かれてあります。 下記< >内です。

  難波平治先閑は、琵琶湖の竹生島弁財天を信心し、長刀一流を夢想奉得した。今から約八百余年前(寿永三=1184年頃)の源平合戦に出て、 その長刀でよく働きを極めたが、戦いの最中に 長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらも、その残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。 これから棒を編み出した。 これはひとえに弁財天の冥恩であるとして 竹生島流棒術と名付けられた。 

 なお、竹生島流棒術の歴史などの詳細は、竹生島流棒術』ホームページから、ご覧下さらないでしょうか。あと、現在、竹生島流棒術や全国の古武道各流派の方々は、全国各地で演武されています。例えば毎年のように開催されている日本古武道協会主催による日本古武道大会(日本武道館など全国各地)、広島県の厳島神社演武大会、大阪阿倍野スポーツセンターにおける大阪演武大会などがあります。

 また、竹生島流棒術は、大村市内で日頃の練習ばかりではなく、年始恒例の大村市武道始め式、4月29日の大村市鳥甲神社摩利支天宮例祭などでも演武されています。さらには、日本国内だけでなく2006年11月には、第31回ジャパンウィークの行事の一つとしてスペイン、サラマンカにて演武さました。また、今年2008年3月には全日本剣道連盟の依頼により、フランス、パリで開かれる武道大会にて演武予定で海外でも活躍されています。

  個人的な感想ながら私は40年前の福重小学校の頃より現在まで竹生島流棒術の演武は幾度となく見てきました。礼に始まり礼で終わることはもちろんのこと、武道の演武ですから一瞬の隙もないくらい研ぎ澄まれた形・技、素早い動き、さらには周りを圧倒するような掛声や気合などには目を見張るものがあります。

 棒術は日本刀や長刀(なぎなた
)のように鉄製の刃があるわけでなく、ただの木の棒ですから一瞬の遅れや緩慢な技は実戦では死に至るでしょう。それゆえ、特に最初の一撃が不可欠で、この一瞬のために全神経を集中されているようにも思えます。そのために多くの技の熟知と練度を上げるために日頃の鍛錬をされているように思えます。また、私のように見るだけなら「素晴らしい」「カッコイイ」と言う表現になるのかもしれないですが、この流派を長年、継続・維持・発展させていくには宗家始め門弟の方々の並大抵でない努力もあるだろうなあと想像しています。

 竹生島流棒術の演武は先述しました竹生島流棒術』ホームページの「動画(ビデオ)紹介」ページから見ることができますが、機会あれば是非実際の演武をご覧頂ければなあと思います。

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(注:参考資料など:上記のホームページより。掲載写真:十八代宗家の松浦氏提供)
(掲
載日:2008年1月1日)

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