2017年、福重小学校・図書ボランティアでの講話(概要報告)
日 時:2017年7月26日15時30分〜16時30分
参加者:全員で8名(内、先生が4名) 、 場所:福重小学校・図書室
テーマ:白馬様(いずれ、紙芝居を作成予定とのこと。白馬様の詳細は、ここからご覧下さい)
講師:上野が担当(右下側写真は講話中)
主な内容(概要):
(1)福重小学校の概略史
・1872(明治5)年8月創立。大村市内で最初(最古)の公立の小学校で県内でも同様と思われる。
・場所は寿古郷(町)で現在、記念碑がある。児童数は8名だった。
・1891(明治24)年、郡川の水害で校舎が流失した。
・1893(明治26)年、皆同郷(町)に校舎が新設された。
(2)白馬様の建立までの歴史
・1941(昭和16)年1月以前の話しである。
・場所は皆同郷(町)学校の宿直室で起こった。
(宿直者の仕事は夜間に学校の見守りや、父兄連絡などもあった)
・宿直者は男の先生が務めていた。
・先生が夜間寝ていたところ、天井に白い馬がパカパカ走り、刀の切り合いの音がした。
・先生たちは、夜、寝れずに不安になった。
・そして、先生達は(当時)福重村の村長に相談した。
・村長も、はじめは信じなかった。それで村長も宿直室に寝てみたところ、同じことが起こった。
・村長達が考えたところ、学校の敷地は元古戦場だったと思い、馬の墓や無縁仏があった。
・それで、この地で亡くなった人や馬の霊を慰めなければと思い、白馬様を祭ることになった。
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図書室で講話中(中央奥が上野) |
(3)白馬様の建立と現在まで
・1941(昭和16)年1月、白馬様(石祠)を建立した。
・建立目的は、先生と児童の守護神であった。
・当初、皆同郷(町)当時の小学校敷地にあった。
・学校が現在地に移転後、しばらくして遷座(せんざ)した。
・建立月が1月なので、現在も1月に祭られている。
(4)注目されている白馬様
・全国でも先生と児童の守護神の例は、ほとんどなく珍しい。
・児童に関係した様々な事件発生もあり、白馬様が注目され、見学者もある。
・2016年3月1日には、福重地区の史跡説明板も設置された。 (この説明板は、2016年4月11日〜16日、大村ケーブルテレビで放送された)
<質疑応答>
述べ10回近くの質問があったが、下記は順不同でピックアップして書いている。
Q1:他校には木造りの神様があったが、福重小にはないのか?
A1:昔は福重小にもあったのかもしれないが、水害で校舎が流されたり、学校移転も多かったのでないと思う、石祠の白馬様は壊されないので、今はこれだけがある。
Q2:なぜ、”白馬”なのか?
A2:夜に天井を走ったのが、”白馬”だったからだろう。もしも、黒い馬だったら”黒馬様”になっていた可能性はあるが。
Q3:毎年1月におこなわれている白馬様の祭りは、どうしているのか、内容は?
A3:この写真の通りである。白馬様の前に、お供え物(馬が好きなニンジンなど)をして、妙宣寺のご住職が執り行っていて、参加者全員に、お払いもされている。最後に、先生、PTA、各町内会長や地域の方全員(総勢で40人位)で、記念写真を撮る程度だ。ほとんど、宗教色のない行事だ。
Q4:何十年か前に祭ってない時期に、先生が病気になったり、子供が怪我したので、また祭るようになったと聞くが?
A4:私は数十年前のことは知らない。しかし、(戦後しばらくの間)皆同から現在地に遷座(せんざ)・移転されていない頃(60年以上前)に、その種の話があったとも聞いている。
Q5:裏側の碑文を見つけたのは、何年か?
A5:今から4年か5年位前に発見して直ぐに、当時の福重郷土史同好会の増元会長に報告した。(後で調べたところ、2014年5月6日に碑文の拓本作業をしているので、この碑文の発見は同時期と思われる)
図書ボランティアの皆様の諸活動に敬意を表します。また、今回の講話に参加された皆様、暑い中、大変お疲れ様でした。