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2024年、(福重小学校)白馬様の祀り(概要報告)

2024年、(福重小学校)白馬様の祀り(概要報告)
日時:2024年1月12日
16時15分〜16時35分 (上記横長写真は終了後の記念写真)
参加数:
全体で27名(妙宣寺のご住職、福重小学校、PTA、関係者など)
場所:福重小学校、白馬様(校舎裏側の畑の端で開催された))
(大村歳時記シリーズの)白馬さまの紹介ページは、ここからご覧下さい
 祈願中(白馬様の前にて)

概要白馬様は、教職員と児童の守り神様です。この日、曇り空ながら無風で穏やかな天気のもと、祀りが執り行われました。主な内容としては、供養と記念写真でした。15時30分頃から福重小学校PTA役員を中心に、事前準備しておられました。

 なお、、昨年まで福重幼稚園の先生やPTAの方々も参加されていました。しかし、昨年度末で福重幼稚園は、閉園になったため、妙宣寺のご住職はじめ福重小学校の先生、PTA役員関係者のみとなりました。

 それでも、白馬様の裏側の碑文や、その史跡説明板の文章にある「教職員と児童の守り神様」の通り、参加者の皆様、白馬様の供養も兼ねて教職員・児童の安全、健康、活躍などを熱心に祈願されました。そして、最後に最上部の記念写真を撮影して終わりとなりました。今年の出席者の皆様、諸準備から後片付け含めて、大変お疲れ様でした。
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 ご参考までに、白馬様について簡略化して書きますと、次の<>通りです。 < この白馬様の建立は、昭和16(1941)年1月です。建立者は推定ながら当時の福重村か福重小学校だったと思われます。建立当初の由緒などは先のリンク先に書いてある通りですが、建立以降、学校・幼稚園・PTA関係、福重地区の方々などで、「教職員、児童の守り神様」として長年祀ってこられました。 

 <白馬さまの詳細な紹介は、白馬様の紹介ページ、このページ最下段の(「福重のあゆみ」より)白馬さ項目あるいは白馬様の史跡説明板を参照>
祈願中(後列側)
PTA役員の皆様(熱心に準備や後片付け)


(「福重のあゆみ」より)白馬さま
(しらうまさま)
福重小学校の校舎裏、一段高い所に「白馬さま」が祭られています。毎年1月の末に先生方やPTAの方々で「白馬まつり」が行われています。福重小学校が皆同にあったころ、小学校では不思議なことがたびたび起こりました。夜になると、廊下や天井を白い馬が走り抜けたり、刀を打ち合わせる音が聞こえたりしたのです。

中央部の右側が白馬様、左側が史跡説明板
白馬さまの挿絵
(福重のあゆみ「小学生版」より)

 学校の建っていた所は古戦場(合戦のあった所)の跡だとか、馬の墓があった所だといわれていました。  元の小学校跡の近くには「合戦で討ち死にした武士の墓」と言い伝えられる墓が今もあります。馬の幽霊が出ると聞いた福重村の村長さんが「そんなバカなことがあるものか」といって小学校に泊まられたそうです。

そうしたら、寝ている部屋の天井をパカパカ走り回る馬の足音が聞こえ、村長さんは自宅へ逃げ帰ったそうです。また、先生方の病気が多かったり、亡くなる先生もありました。そういうことが続いたので、この地で亡くなった人や馬の霊を慰めなければと「白馬さま」として祭ることになりました。

昭和16年(1941年)のことです。そのためかあやしいことは起こらなくなり、「白馬さま」は学校・児童の守護神(しゅごしん、守り神)として祭られていました。その後、校舎は今の場所に移転しました。ところが、新しい学校でもまた馬の亡霊が現れたり、子どもの事故が続いたりしました。

 そこで、学校とPTAが話し合い「やはり白馬さまを祭らなければ」ということになり、前の学校跡に残してきた「白馬さま」の祠(ほこら=神を祭る小さなやしろ)を、昭和31年に今の場所に移して祭るようになりました。そのおかげか、学校は何事も起こらず、順調にいくようになりました。白馬さまには、このようないわれがあるのです。  (福重のあゆみ「小学生版」62〜63ページより)



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