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福重郷土史同好会
2006年の活動報告(3)

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笠塔婆形式の墓
石霊屋形式の墓
五輪塔形式の墓
宝塔形式の墓
史跡見学報告
日時:2006年11月13日(月)10時00分〜11時30分
場所:集合と打ち合わせは福重住民センター、その後現地へ移動
史跡名:大村藩主大村家墓所(大村市古町1丁目、本経寺の墓所)
説明:増元さん   参加:10名

1)本経寺の概要
 本経寺は、日蓮宗で創建は妙宣寺(創建=1602年)より遅く、慶長10(1605)年である。本堂は火災焼失し、1787年に再建された。

2)国指定史跡と墓所の概要
・『大村藩主大村家墓所』は、国の指定を受けた国指定史跡である。
・国の指定は、墓所全部ではない。
・大村家墓所は、大村藩初代藩主喜前(よしあき)から11代藩主純顕(すみあき)まで歴代藩主とその一族の墓である。

・キリスト教を棄て仏教を大村家は、信仰していると言うことを内外に示すため巨大な墓を建てたと思われる。2万七千石の小藩の割には平戸藩(約6万1千石)よりも大きな墓である。
・高さは、6mを越すものもある。

3)墓の形が様々で高い石工技術
・墓の形が笠塔婆(かさとうば)、石霊屋(いしたまや)、五輪塔(ごりんとう)、宝塔(ほうとう)など、様々な種類がある。
・上質な石材(萱瀬の安山岩が多い)、高度な石工技術で優れた彫刻が施されている。
<墓の主な種類>
 一般の墓にもある普通の墓の形式も含め、ここの大村家墓所では、けっこう多くの種類が見られる。中でも次の(1)から(4)は大村家墓所の特徴である。

(1)笠塔婆形式の墓(右写真の上から1番目)
(2)石霊屋形式の墓(右写真の上から2番目)
(3)五輪塔形式の墓(右写真の上から3番目)
(4)宝塔形式の墓(右写真の上から4番目)

4)特色ある墓碑など
継ぎ墓=妙法院塔(お姫様の墓)は、(笠の右下部分を別の石で補修している。

愛犬の墓=(由緒や年月が判明している犬の墓では、日本最初と言われている)愛犬の墓がある。犬の名前は『華丸』(はなまる)である。大村純信の急死報告を聞いて殉死した小佐々市右ヱ門の火葬時、愛犬『華丸』がその火に飛び込んで死んだといわれている。

クルス灯篭=十字型の透かし彫りがあるが、キリシタンとの関係は不明である。

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(注:補足意見) 大村家墓所の表示板に「(大村家)第・・代」との表示が沢山あった。この代数は、初代から十代半ば頃まで実在を史実で確認されていない。つまり偽装で間違いの代数である。大村市は、2006年現在もなお「大村家の祖先=藤原姓の初代が994年に四国から大村にやって来た」説を継続しているが、これは歴史上間違いである。観光客の多くが来所されるであろう国指定史跡にも、このような偽装の表示をしているのは、疑問を感じた。詳細は「お殿様の偽装」ページをご覧下さい。 ただし、<大村藩初代藩主、大村藩第・・代藩主>の表記は、正しい代数である。

(福重郷土史同好会・史跡見学会報告は、以上)

掲載日:2006年11月26日
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