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開会挨拶(増元会長) |
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講師:大野さん |
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会場いっぱいの皆様
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皆様、熱心に聴講中 |
第3回福重郷土史講演会報告
日時:2008年2月2日 13時00分〜15時40分
場所:福重住民センター・大会議室
講師:大野 安生 氏(大村市文化振興課)
参加者:96名
講演(概要)
1)主催者挨拶:増元さん
2)講師紹介:増元さん
3)講演:大野さん
内容:戦国時代の大村ついて
・発掘された戦国時代の遺物の展示と会場内回覧
1、寿古遺跡と好武城跡
寿古遺跡は古墳時代〜戦国時代の遺跡で最盛期は中世。戦国時代には衰えた。発掘調査によって多量の遺物が出土した。
(1) 発掘調査の結果
寿古遺跡の真ん中に位置する城本体は未発掘である。寿古遺跡と好武城跡との境にある溝から石鍋、輸入磁器、土器(瓦質・土師質)などが出土している。遺物は都市へ運ぶ途中の商品と思われる。
(2)寿古遺跡と好武城跡の意味
彼杵郡家は当時の長崎県央地域の中心地だった。また、中国製こね鉢などは商品ではなく日常使用で中国人居住の可能性もある。
鎌倉時代の当地は東福寺が九州に持った最大の荘園で寿古遺跡と好武城跡は彼杵庄を運営するための現地本部で、年貢や貿易輸入品、特産品等の輸送中継地の役割を果たしたと考えられる。
2.今富城跡と戦国時代の大村
福重の城<( )内は補足>には
・好武城(戦国時代の遺物は少ない)
・今富城(サンタ・クルス教会もあった)
・尾崎城(尾崎の古城、尾ノ城)
などがある。
2007年8月に発掘された今富城の横堀(空堀)は、大村純忠時代のものである。あと大村藩領絵図に岩名ノ城と言うのが佐奈川内川と野田川に挟まれた地点に記されている。
大村市内の城
最初、城は“避難所”的ものから居城するようになって来た。さらに城プラス城下として城下町も現れた。三城の城下町は現在も道路など見れば明確に分かる。
大村市内の城は24〜25位ある。
・大村館は平地の屋敷。
・三城城は純忠、喜前時代で格子状町並みの城下町。
・玖島城は大村領初の近世城郭。
・城の尾城は縦掘りが幾本もあり、この形式は大村に他にない。佐賀側に多い築城形式で、一体誰が造ったのか不明。
・中岳砦(萱瀬にある砦)
・切詰城(萱瀬にある城)、この近くに別の城の付いた地名あり。
・伊賀峰城、大村領境目の城。
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大村市郷土史講演会の案内
日時:2月16日13:30〜16:30
場所:さくらホール 以上
(以上)
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