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福重郷土史同好会
2011年の活動報告(4)

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第39回例会報告
日時:2011年6月20日19時30分〜21時20分
参加:5名 、 場所:福重地区住民センター

報告など(前回2011年4月18日例会以降から主な事項のみ)

(1)4月21日、今富町調査(冷泉寺跡=飛び石、諸刃石垣、禅宗系の墓など=上野調査)
(2)4月23日、上記の再調査(岩屋権現跡、飛び石、諸刃石垣など含む=2名で調査)
(3)4月29日、鳥甲摩利支天宮例祭と竹生島流棒術演武の見学(上野含む全体参加者:25名位)
(4)5月2日、山田権現跡の調査(上野)
(5)5月の放送、大村ケーブルテレビ3番組で山田の滝などを報道(再放送分含む)
(6)5月14日、まちかど研究室に上野講演 (全体参加者:40名)
(7)5月17日、旧・箕島の方から話と写真説明を受けた(上野)
(8)6月1日、鳥甲岳(769m)と鳥甲摩利支天宮への撮影と計測調査登山(上野1回目)
(9)6月1日、南川内の渓谷や滝調査(上野)
(10)6月9日、鳥甲岳と鳥甲摩利支天宮への調査登山(上野2回目、主に碑文解読作業)
(11)6月9日、(萱瀬)氷川神社の見学(上野)

議題
(1)大村大水害について(福重地区などはどうだったのか)
1、大村市全体の状況は。
・大上戸川、内田川、鈴田川、郡川流域を中心に)市全体で死亡者19名(死亡者数の内、小学生4名、中学生1名も入っている)、重軽症者、 床上及び床下浸水が多数で、“未曾有の災害”だった。ちなみに大村市の日雨量は約750mmと言われていた。

2、 当時、福重地区の各郷内 (町内)、その他の地域状況は。

・郡川、佐奈河内川、野田川なども氾濫した。石走川(通称よし川)流域の田んぼも冠水した。
・郡川の鬼橋と矢次橋の中間あたりが決壊したと思う。そこから激しい濁流があった。
・郡中学校近くの橋(現在は暗渠みたいになっている所)に流れてきた木々が、まるでダムみたいになって一層水が増水した。
・(そのよう各河川の氾濫、増水によって別紙図の通り)福重地区内では沖田町、寿古町、今富町、皆同町などで床上か床下浸水、あるいは田んぼへの冠水が広範囲にあった。佐奈河内川や野田川の堤防が決壊して一部の田んぼに大きな石も上がった。
・沖田町公民館付近の住民は郡中学校に避難したのを覚えている。
・大雨だけでなく、ずっと連続して雷が鳴って落雷していたと思う。
・今富町の平野部には溜め池がいくつも出来たみたいに田んぼが冠水していた記憶がある。
・空からバケツで水かけるように降っていたため昼間でも非常に暗かった。家の縁側から庭の4m位先にあった高さ1m50cm位の大きなサボテンが昼なのに全く見えないほどの集中豪雨だった。
・当時、川棚町に住んでいたが、裏山が土砂崩れして家にかかってきたが、難を逃れた。川棚からも大村へ稲の再植え付け用に苗を提供した。
・当時、森山町に住んでいたが、周囲の家40軒含めて土砂崩れで家が流された。自分は仕事先にいて難を逃れたが、後で見た本明川沿いは筆舌に尽くし難い状況であった。

(2)今富町の冷泉寺、十二社権現、岩屋権現の跡地について
(別紙の概要地図参照)
・冷泉寺跡=「寺地(てらじ)」と言う地名が伝わっている。それ以外にも例えば飛び石、 諸刃の石垣、ソテツなどもあったと言う。この件、従来説の場所と違うと思われる。

・十二社権現跡=大村藩領絵図に図示もあり、個人宅の門口上の竹林付近ではないか。この件、従来説の場所と違うと思われる。

・岩屋権現跡=跡地に5〜6寸の穴があいている大きな石があったと言う。(大村郷村記より)  この件、ほぼ跡地周辺は分かったが、決定的な「穴のあいている大きな石」を現在までに特定できたいない。再度の調査必要あり。

(3)鳥甲摩利支天宮について
(別紙報告書「鳥甲摩利支天宮の石碑など」を参照)
 ・鳥甲摩利支天宮は鳥甲岳(769m)の頂上尾根伝い(推定約750m)付近にある。
 ・石碑の文字解読含めて詳細は別紙報告書をもとに討論した。

(4)今秋の史跡巡りについて

 ・10月頃に。  ・場所は萱瀬地区で。  ・具体的には次回例会で決める。

(4)その他
 ・会費関係など

次回の例会予定

 ・第40回例会:9月12日19時30分〜
 ・場所:福重地区住民センター

(以上)


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