竹松地区の水害写真と説明文など
注1:既に掲載中の「2020年7月6日、福重地区の水害状況(写真と説明文)」と、「1957(昭和32)年 大村大水害<大村大水害を語り継ぐことも大切では(天災は忘れた頃にやってくる) >ページも参照願う。
注2:管理人の上野は地元が福重地区なので、竹松地区は西隣である。しかし、福重地区の水害状況の写真撮影が、あまりにも広範囲だったため、それに要した日時の関係上、ホームページ掲載が遅れている。できるだけ詳細に、竹松地区の水害状況をお知らせしたい。
注3:本ページに井堰(いせき)の写真がある。私は、「九郎丸井堰」または「九郎丸堰」と、呼ばれている井堰と思って、その名称を使っている。もしも、違っていたら訂正するので、どなたか教えて頂きたい。
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(写真2) 竹松町 (写真中央部左側)九郎丸井堰?の損壊。堰が壊れると水田に水が供給できない。(写真1と同じで)郡川左岸の決壊。 |
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(写3) 小路口本町 (写真中央部右側)郡川の左岸が損壊。
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<被害写真提供のお願い> 竹松地区も上野一人で被害場所を探しながら撮影した関係上、また日時の遅れもあり、当然全部の被害写真が撮れていない。私が撮ったのは、郡川の左岸のみである。もしも、他の場所で被害写真を撮られた方へ、お願いがある。できるだけ本ページに掲載したいので、写真のご提供を願う。<メールページは、ここから>。
概要
大村市・竹松地区は、1957(昭和32)年 大村大水害で、郡川の左岸側=小路口・鬼橋・竹松町側の堤防が各所で決壊したため、大きな被害がでた地域だった。先のリンク先ページに地元の方の証言として、当時のことを次の「」内通りに語られている。
「とにかく物凄い雨で、ずっと雷が鳴っていたように思う。郡川の堤防がいたるところで決壊し、竹松の町中に増水して来て(当時、国鉄大村線の)竹松駅ホーム近く(高さ1mくらい)まで冠水した。道路には木や板など流れてきたのを覚えている」
今回の「2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)」は、1957(昭和32)年 大村大水害時より、圧倒的に少なかった雨量<今回2020年7月6日の雨量(気象データページ参照)>だったためか、はたまた萱瀬ダムや堤防が強化されたためか、竹松地区は、1957(昭和32)年 大村大水害時よりは、被害が少なかったといえる。ただし、本ページ掲載写真でもお分かりの通り、今回も規模や範囲の大小は別としても、被害が出ている地区には変わりない。
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(写真1と2)の概略説明:この被害箇所は、郡川に架かる矢次橋から上流側へ約245m行った郡川の左岸堤防の決壊である。両写真とも左側にあるのが、九郎丸井堰?のある上流側(重機の左側)が長さ5m弱、井堰の下流側が約25m壊れ、高さ約4m、長さ(幅)合計約30mが決壊している。ただし、両写真とも既に土のうが積んである。
(写真3)の概略説明:この被害場所は、郡川に架かる鬼橋から上流へ約600m行った左岸で、小路口本町と思われる。そして、写真左側(上流側)に写っているのが、餅田井堰(餅田井手=用水路)である。決壊場所は、ブルーシートの左右両脇にある二か所の木枠の間である。その被害の大きさは、目測ながら高さ約4m、横幅は約15mである。(手前側の土のうが積んである横の長さと被害場所の横幅は、ほぼ同じである。つまり、ブルーシートの幅より、左右側とも決壊場所は1.5m位づつ広い)
この近くの農家の方に話しを聞いたが、「水田には直接的な被害はなかった」という。
(後半原稿は、準備中。、しばらく、お待ちください)
(初回掲載日:2020年8月16日、第2次掲載日:2021年5月7日、第3次掲載日: 月 日)
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