大村の歴史
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大村大水害 |
はじめに | |
1)大村大水害当時、長崎県内外の水害の概要 | |
(1)当時の豪雨状況 | |
(2)当時の被害状況 | |
・長崎県内の被害状況 | |
・長崎県外の被害状況(熊本市の場合) | |
・長崎、佐賀、熊本3県下の被害のまとめ | |
2)大村大水害、大村市の記録より |
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・水害発生 | |
・雨量 | |
・災害救助 | |
・救援 | |
・被害状況、大村市史より | |
・二つの記録の補足と感想 | |
3)濁流(昭和32年7月水害作文集)について | |
4)大村大水害時に流された碑文石は何を物語っているのか | |
・滝壺脇から10mも流された”碑文石” | |
5)水害を体験された方の話しと、私のかすかな記憶 | |
・私のかすかな記憶 | |
6)先人の教訓と大村市洪水ハザードマップ | |
・大村市洪水ハザードマップ | |
7)まとめ | |
(1)大村大水害を語り継ぐことも大切では | |
(2)災害に強い都市になるのは | |
(3)河川愛護団体の紹介(一例) | |
あとがき | |
はじめに
この大村の歴史シリーズは、どちらかと言いますと近代史や現代史に関しては多くありません。しかし、今回なぜ、1957(昭和32)年7月25日に発生した大村大水害などについて書こうと思ったのか、いくつか理由があります。それは、主に下記の3点 さらに、せっかく写真や文章を記録として書籍類に残しても、図書館でしか見れないものになっていては現在進行形として即座に調べたりすることもできない状況があります。そこで、あくまでも将来は別としてもホームページに書けば少しでも活用できる可能性があることも、先のリンク先ページには掲載しています。
大村市のホームページには、諫早市みたいに大水害特集ページは見当たりませんが、1957(昭和32)年の「大村市政だより」に当時の災害状況が掲載されています。それは、いずれもPDFファイル形式で「1957(昭和32)年8月上旬号 No146 」、「1957(昭和32)年8月中旬号 No147」、「1957(昭和32)年8月下旬号 No148」、「1957(昭和32)年9月上旬号 No149」などです。水害発生直後の「市政だより」ですから、大村大水害の実情を生々しく伝えてあると言えます。 私が今回書こうとしている大村大水害についてのページは、諫早市ホームページの『諫早大水害50周年記念誌(目次ページ)』に比べれば、まるで”月とスッポン”みたいなものです。それでも、このページ掲載により、ほんのちょっとでも大村大水害を知るきっかけになればと考えました。つまり、個人的な希望ながら「大村大水害を語り継ぐことも大切では」との思いで、このページは作成しています。 |
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1)大村大水害当時、長崎県内外の水害の概要
上記二つの表を見ますと、いかに当時の雨量が凄まじいものであったか良く分かると思います。特に、(当時、南高来郡瑞穂町)西郷の雨量は、記録的でした。内閣府サイトの「災害概要(記録)」によれば、この西郷の1109.2mmの雨量は、その後1976年9月11日に発生した徳島県の日早の記録1114mmについで、(2011年6月)現在でも2番目の数字と思われます。あと、今回長崎県内だけでなく被害の大きかった熊本県の降水量関係も調べたのですが、私の探し方が悪かったのか把握できませんでした。
私の個人的な推測と補足ながら、この長崎県下の被害状況表は各自治体が集計した数字をまとめられたものと思われます。そのため自治体ごとの集計の違い、あるいは記録がなかったりと言うこともあるようです。いずれにしましても、長崎県下の状況は、広範囲に多数の尊い人が亡くなられ、家屋、橋、堤防などが壊されました。また、郷土史などの関係から言えば貴重な史料や遺物なども流失、損壊にあったようです。 |
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2)大村大水害、大村市の記録より
この時間に市役所(注3)の2階からみると、徳泉川内の山際から、田の平・草場一帯の内田川沿いの水田は鉄道線路だけを残して一面濁流と化していた。その後雨はますます降りつづき、各地の河川、堤防や橋梁が欠壊、流失したという報告があいついだ。水主町方面をはじめ駅前通りから本町、 海岸沿いの商店街、西大村方面の住宅街の浸水は甚しく、深さが50センチ に達したところもあった。
市議会でも27日災害対策協議会を開き、今後の被災者救済、復旧計画などが協議された。対策本部では28日早急復旧を関係方面へ陳情するため、大村市長、 森市議会議長は東京へ、渋江助役、鹿島副議長らは県へ出向いた。陳情の主な点は@中小企業復興のため2億円程度の特別融資をして ほしい。 A復旧工事費として特別融資をしてもらいたい。 B災害の大きかった鈴田川、大上戸川、内田川、郡川を根本的に改修してもらいたい。などであった。 水道断水地区にたいしては、大村・竹松両部隊の給水車により応急給水がおこなわれ、主要道路の清掃も29日から陸・海自衛隊、青年団、消防団を始め各種団体の応援をうけ、矩期間のうちに床上までつもった泥土をはじめ流木などがかたずけられた。これらは市内水田1,020町歩のうち流失埋没した300町歩の土砂だけで24万リューべあり家屋1万戸に入ったドロが6万リューべ、全市内に流れこんだ土砂は総計100リューべにのぼるといわれた。 被害状況、大村市史より
この節の最初の方には、市史発行以前の大きな台風やその被害状況などの資料があります。その次に特別に「七・二五・水害」と言う項目を設け、1957(昭和32)年7月25日に発生した大村大水害について資料含めて6ページにわたって詳細に書いてあります。この項目だけ、なぜ詳細に書いてあるのでしょうか。 この項目の最後の方(486〜487ページ)に大村大水害の被害種別や被害見積もり額なども含めて被害状況一覧表が詳細に書いてあります。今回その全部は書けませんので、486ページの一覧表の中から死者、民家や建物などの一部分を拾い上げて、さらに書き方も一部変えて右表に書いています。 |
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4)大村大水害時に流された碑文石は何を物語っているのか 重さ何十トンもの大きな石を流す自然の力
このような河原の真ん中にある大きな石を見ると、「なぜ、こんな大きな石が、ここにポツンとあるのか。なんと水の力は大きいのか」と思わざる得ないものです。全部の石が大村大水害時に流されたとは言いませんが、この水害との関連で一つだけ明確に分かる石があります。 滝壺脇から10mも流された”碑文石” |
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5)水害を体験された方の話しと、私のかすかな記憶
<竹松地区> |
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6)先人の教訓と大村市洪水ハザードマップ
「 大津浪記念碑 高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 此処(ここ)より下に家を建てるな 明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て 部落は全滅し、生存者、僅か(わずか)に前に二人後に四人のみ 幾歳(いくとし)経るとも要心あれ 」
このデータは、大村市ホームページ「安全対策課の説明文」によりますと「大村市洪水ハザードマップ(2009年2月原案作成) このマップは、郡川・大上戸川・内田川が大雨によって増水し、氾濫した場合に予想される浸水の範囲とその深さ、及び避難所などを示したものです 」と言うことです。
また、先の説明ページの中には、「このマップでは、大雨の規模は、郡川では概ね50年に1回程度(467mm/日)、大上戸川・内田川では概ね100年に1回程度(107mm/時間)降るとされる規模の雨を想定しています」とあり、利用の注意、日頃の備えと避難する時の心得など、大変分かりやすい図やイラスト入りで作られています。 土砂崩れ(崖崩れ)も怖い災害
なお、このマップには(印刷物では常識な)発行日もしくは作成日は書いてないようです。ただ、少し参考になるのは、市ホームページの更新年月日が「更新日:2014年12月24日」となっていますので、これよりは以前と思われます。また、この地区別マップが同時作成、同時発行でなければ早期に出来たものは、先の「更新日」より相当早いとも推測されます。 |
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まとめ
長崎県や大村市の自然も、先に述べた全国の状況と大差はないと思えます。地震も他県に比べたら少ないみたいに思われていますが、県内各地には活断層がいくつもあります。また、そのようなことから2011年3月15日付け長崎新聞には「(江戸時代の)1725(享保10)年に大村城下で直下型地震があったこと」を報道されていましたので、昔から県内や大村市でも大地震もあったのでしょう。
結局、あの大水害の教訓は、先人の書かれた書籍類を参考にしてまとめてみると下記のことを言っておられるのではないかなあと私なりに考えました。ただ、私は郷土史も防災も全くの素人です。ですから下記の中には、的外れな事柄も書いているかもしれません。ですから、「あー、このような意見もあるのか」と言う程度に、ご覧頂けないでしょうか。 (3)河川愛護団体の紹介(一例) |
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あとがき
あとがきですから、もう多くのことを書くのは、愚の骨頂みたいなものかもしれません。水害や水つながりで、今まで書いていないことも一つだけ触れておきたいと思っています。それは、現在の大村市は、決して毎年ではありませんが、水不足が予想される時期に節水運動のチラシ配布や宣伝カーが市内を回ります。長崎県央地域で山林も多く萱瀬ダムなどは長崎市への水供給地域でもあるのに、この水不足問題は、必要量に応じた雨量がない限り常態化する可能性もあるのではないでしょうか。 |
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