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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 地主(ちゅうず)大明神(チュッ様)

(史跡説明板)地主(ちゅうず)大明神(チュッ様)
 名称:地主大明神(チュッ様)  様式:説明板
 場所:大村市 陰平町(かげひらまち)  設置者:住みよい町づくリ「チーム鈴田」
 設置年:2017年3月31日(平成29年3月31日)  GPS実測値:32度53分21.18秒 129度58分57.80秒
 全体の大きさ:高さ170cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°53'21.18"N,129°58'57.80"E
(写真1) 地主(ちゅうず)大明神(チュッ様)の史跡説明板(左端側に白く写っている) <中央部やや右側の石祠地主大明神

(写真2) 地主大明神(チュッ様)の史跡説明板(中央部やや奥)

(写真3) 地主大明神(チュッ様)(中央部の石祠)

史跡説明板写真周辺の説明
  まず、上記(写真1)の左端側、(写真2)ならば中央部やや奥側に白色の板のように見えていますのが、今回紹介の地主大明神(チュッ様)です。先の2枚の写真とも、中央部やや右側の石祠(せきし)=石の祠(ほこら)地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)です。地元では、「チュッ様」と呼ばれています。

 後の項目、史跡説明板の内容にも書いていますが、この地主大明神は、江戸時代に鈴田(当時は今里村と思われる)の古松にあった修験道の坊・大乗院(だいじょういん)の山伏(やまぶし)によって祭られていたもので、 周辺の人々の守り神として信仰を集めてきました。(大村市教育委員会発行の「大村市の文化財」を参照)

 また、国語辞典の大辞林を引用しますと、次の「」内が解説されています。「(地主神)地神=田畑のほとりや宅地内の一隅などに祀まつられる神。土地の神・屋敷の神とする所が多い。じぬしのかみ。じしん。じのかみ」 つまり、土地ごとに、その土地を守る神様がいると信じられ、信仰してきたということのようです。

 現在ある(写真に写っている)石の祠(ほこら) の正面向かって左側面(南側面)に、「文政九年丙戌十一月再建」<1826年丙戌(ひのえいぬ、へいじゅつ)11月に再建>」の年月入り碑文があります。つまり、この石祠は、1826年に再建(建立)=建て替えられたものです。

 あと、本来は鳥居(とりい)が、1基あったはずです。しかし、(写真1、2、3)で分かる通り、何らかの理由で壊され、現在は鳥居の足のかけらが、2本残っているだけです。

鈴田の地名発祥(はっしょう)の地
 いつからは不明ながら鈴田村(すずたむら、現・大村市鈴田地区)は、元は今里村(いまざとむら)という村名でした。ところが、これまた正確な年月は不明でながら(推測で江戸時代のことと思われる)、この地主大明神(チュッ様)の脇の田んぼからが掘り出されました。

 その後、「が発見されたんぼ」から、”鈴田”という名称が広範に呼ばれて、結果、村名までも今里村から鈴田村へ変わっていったと言うことです。つまり、地主大明神(チュッ様)周辺は、鈴田の地名発祥の地です。

 なお、ご参考までに、角川地名辞典などを参照しますと、(の意味で清水(しみず)、わき水などもあるようです。そして、この意味を深読みすれば、豊かな水のある水田をイメージしていて、それはコメ(米)などがたくさんとれる所とも連想できるでしょう。このようなことから、鈴田と言う地名は、豊かさや、さらに縁起(えんぎ)も良いなどとも拡大解釈できるでしょう。

史跡説明板の内容
  (写真1)の左端側と、(写真2)の中央部やや奥に白く写っています地主大明神(チュッ様)の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。その説明板を拡大したのが、(写真4)です。

(写真4) 地主大明神(チュッ様)(の史跡説明板(本体のみ) 

 なお、(写真4)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。

< 地主大明神(チュッ様)
 この地主大明神は、おそらく江戸時代の初めに建立されたものと考えられています。現在建っている石の祠(ほこら)は、文政九年(一八二六)に造り替えられたものです。江戸時代は古松(こまつ)にあった修験道(しゅげんどう)の坊・大乗院の山伏によって祭られていました。

 そして明治三年の神社改正により一村一社制となり、新たに恵比寿と大黒を作り、浦川内(うらんこち)の富永氏邸宅内に祭られておりました。

 その後、明治三十一年頃に水田の害虫被害がはなはだしいことから、村民の総意で元の地(現在地)に戻されました。

  鈴田村の由緒は、昔は「今里」といっていましたが、この大明神の脇の田地から鈴が掘り出されたため、「鈴田」と改められたといわれています。


 平成二十九年三月三十一日  柱みよい町づくり「チーム鈴田」  




補足


 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



(初回掲載日:2017年10月14日、第2次掲載日:10月15日、第3次掲載日:10月16日、第4次掲載日:10月19日、第5次掲載日: 月 日) 


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